« 2011年2月 | メイン | 2011年7月 »

終了、で次へ。

出演者オーディションは、昨日をもって2次選考終了。今日にはその結果が出て、今週末には3次選考が実施されます。まだまだ勝負は続きます。勝負と言ってもそれは、参加される方同士というよりか、ワタクシと参加される方々の、と言うことなのかもしれません。どこまでも気を緩めるわけにはいきません。


2011年3月28日 13:29 | コメント (11) | トラックバック

本日1日目

出演者オーディションは本日から。晴れてます。いいですね。楽しみです。


2011年3月25日 10:59 | コメント (3) | トラックバック

ここからではありますが

昨日24時をもって、ブルドッキングヘッドロック出演者オーディションの、書類受付を締め切らせていただきました。


昨日の夜、オーディションに向けた打合せをしている最中も、続々と応募メールが届き、その都度、主宰の西山が名簿にするために私たちに報告をくれるのですが、その様子はまるで選挙速報かなにかのようだと、同席していたコンクリートジャングルこと岡山もおののいておりました。


多数のご応募、ありがとうございます。といってもここからが本番ですが。どうぞよろしくお願いいたします。


なにかをしでかしてやろうとする方が、こんなにもたくさんいらっしゃるのかと思うと、なんでしょう、無性に楽しくなります。


皆さんお元気そうでなによりです。この上さらに楽しんでいただけたらもっとなによりです。いつも通りの感じでお越しいただければ幸いです。


『テニスの王子様 オン・ザ・レイディオ』をお聴きくださった皆様、ありがとうございます。永井と私の今月は、まだもう一週あります。よかったらぜひ。“ジャスクリ”で検索すれば、ウェブ上でも聴けるそうですし。

2011年3月22日 15:42 | コメント (5) | トラックバック

できることはある

さやえんどうは、みなさんのアドバイスにより、見事、卵でとじられ、美味なものとして私の胃袋におさまりました。


あれですね、もちろん主役はさやえんどうだったのですが、恐るべしなのは、やはり卵と玉ねぎ。あれを甘辛い出汁でとじた日には、なんでもうまいんじゃねえの?と思わされます。事実、玉子丼なんつって、それだけで食す丼もあるくらいです。いやぁ、いいメニューを覚えました。さやえんどう攻略と言っても過言ではなし。さっそく、余っていた挽き肉をぶちこむなど、独自のアレンジを果たしてすらおります。


しかし、おもいのほかさやえんどうと生野菜について反響があり、おっさんおののきました。皆さん、コメント誠にありがとうございました。


ところで、


本日、我がブルドッキングヘッドロックの最新人女優、ライクアバージン♪こと林生弥が客演させていただいている、


KUUM17『風の子ピュー』(作・演出:飯田こうこ)
2011年3月17日(木)~21日(月・祝)@阿佐ヶ谷かもめ座


を観劇してまいりました。ブルのtopページやメルマガなんかでも告知されております。


宮沢賢治を題材にした作品でした。ご承知の方も多いことと思いますが、宮沢賢治は岩手県出身の作家です。作家というか、教師です。このタイミングで、岩手の作家のことを、全編岩手弁で表現する、ということにはなんとも言えぬ因縁のようなものを、勝手に感じます。当事者の皆さんは何十倍も何百倍も感じているのではないでしょうか。私自身、今週はやらねばならないことがいろいろあったのですが、各所で公演が中止になる中、公演を継続しているその心意気に感じるところもあり、また、演劇人として、岩手の作家を題材にした作品を観劇することもまた、一種の貢献であると勝手に解釈し、劇場へ向かったのでした。


とても真摯に作られた作品でした。真面目です。その真面目さが、とても良い効果を生んでいたように思います。今、このタイミングだからなおさらでしょう。軽率なくすぐりなどはなく、ひたすら真面目に宮沢賢治とその作品を描いていました。西日本の出身の私には、全ての出演者が見事に岩手弁をこなしているようにも見えました。まだ演出に甘さは散見するものの、その真摯な態度に、最後まで気持ちが離れることはありませんでした。


おすすめですとかそういうことではなく(それを言い出すと、観た作品全てをおすすめにしなければならなくなるので)、また、然るべきタイミングで再演すればいいのではないかと思いました。岩手の方にご覧いただいてもいいのではないか。この状況でも、演劇にできることはやはりある、ということを、東京の街の片隅で示している人たちがいたことに、私もあらためて勇気をいただきました。


林は、『嫌な世界』に続き、幼い男の子の役をいただいておりました。本人、また少年役で・・・、と妙なことを不安がっておりましたが、齢30を過ぎて少年役ができるなんざ、ね、いいんじゃないですかね。どうなんですかね。


ブルドッキングヘッドロック出演者オーディションは、明日21日(月)いっぱいで書類の受付を締め切ります。


ここにきて、どんどん応募メールが届いております。気になる書類をいっぱいいただいております。ありがたいことです、ありがとうございます。新たな出会いが、新たな作品を生むのでしょうことを思うと、やはり心踊ります。24時いっぱいまで受けつけております。できることならば、できることならばできるだけたくさんの方に出会わせていただきたい。贅沢ではございますが。ご応募、お待ちいたしております。


明日もまた執筆、頭脳労働。くだらないこと、シリアスなこと、複数の作業を抱えており、硬軟入り交じった思考を繰り返しているので、頭がどうにかなりそうです。

2011年3月20日 23:18 | コメント (6) | トラックバック

息吹を感じたくて

ヨネスケよ、今こそ突撃だ。今、都内の家々に突撃すれば、そこそこいいもん食えるかもしんないぞ。


という黒い冗談も出てしまうほどに、行く店々に品物がない。いや、そんないいもん食えるとは限らないわヨネスケ。どこかに貯まってるのは、水とか米とかパンとか。普段なら、あなたがどんだけ突撃しても、そっと見逃すものばかりだ。


買い占めはダメということはさすがに浸透してきたのかもしれないが、支援の流れも徐々に出来上がり、むしろ棚のすっからかん度は今こそがピークだ。おかげで普段使わない、「晩飯をどうするか脳」を駆使しなければならない。


私は基本、メシのことに頓着がない。レコーディングダイエットをしている時は、それでもなにかと意識はするのだが、それにしたってカロリーのことを意識するのが限界で、そこからさらに日々のバリエーションだ栄養バランスだ、そんなことにまで脳を使ってる余裕はないのだ。こればっかりはほんと、メシにちゃちゃちゃぁんと頓着のある嫁さんでももらう以外、どうしようもない。無理なんだ、少しでもメシのことを考える余裕があるなら、それを脚本を考える方に使いたいのだ。死にますよ?と言うのなら、ああ死ぬさ、と答える私だ。


ところが今、さすがにどうにかするしかない私だ。普段なら、なんにも考えなくても自動的に作れるほど慣れ親しんだ私なりのメニューがあり、それに必要な食材だけを買えばいいのだが、それが店に無いもんだから、普段絶対買わないものを買う羽目になるのだった。


さやえんどう。


つい買ってしまったのが、これ、いったいどうすればいいのだ。


シャキッとしてパリッとしてミドリッとしたものを食べたかったのだ。春の息吹を感じたかったのだ。見渡すと、キャベツはひと玉丸々のやつしか残っていなかった。キャベツ丸々一個は必ず途中で腐らせる。一人暮らしを10何年もやってれば、それをうまいこと使いきれない人間だということくらい自分でわかっている。キャベツひと玉は無理だ。レタスはどうだ。私は生野菜が基本嫌いだ。サラダってなんなんだと思う。野菜はできれば温野菜を望む。とくにレタスを見ても、葉っぱにしか見えない私には、売れ残っているそれを見ても、ようし!とはならないのだ。というわけで却下。他にも、ネギ、小ネギ、セロリなどを見かけたが、そんな気分じゃない、とすでにだいぶ贅沢言ってんじゃないかバカ反省しろ!という声が聞こえて来そうだが、なんせ気分じゃないのでスルーし、結果、さやえんどうが目に止まったのだった。これだ、と思ってしまったのだ。なぜか。今の社会状況が私をどうにかしてしまったのかもしれない。


さやえんどうと言えば、私の場合、肉じゃがの上にちょんと乗っているそれを思い出す。しかしそのちょんと乗っているそれは、間違いなく主役の風情ではない。大事なのはどう考えても「肉」と「じゃが」だ。しかし、家に今、「肉」も無ければ「じゃが」も無いのだった。と帰宅して気づいたのだった。やはりどうにかしていたのだった。


他に選択肢を思いつけない私は、今、「肉」と「じゃが」を買い求めに、再度スーパーへ行くか、そのことで悶々としている。そんなことで悶々とする暇があったら、脚本のことを考えたいんだ、今の私は。しかし、さやえんどうをどうにかしなければ・・・、そのことが頭の片隅にこびりついて離れない。今日の気分は挽き肉だなぁ、とさらに余計な思考が私を苦しめる。これだからメシのことなんて考えたくないんだ!


茹でてマヨネーズつけて食う。それでじゅうぶんじゃないかという発想は、これを書き進めるうちに辿り着いたものだ。はしゃぐ必要はない、ただ、シャキッとしてパリッとしてミドリッとしたものを食べられればじゅうぶんなんだ。そうだ、贅沢はしなくていいんだ。


で、冷蔵庫を開け、マヨネーズが無い現実を目の当たりにし、がっくりと膝をつく私なのだった。


春はまだ遠く、いや、そんなことはない!断じてない!力づくで引き寄せてやる、買って来ます、肉とじゃがとマヨを!全部か!


えー、全く話が違いますが、オーディションがあります。ブルの。ブルドッキングヘッドロック出演者オーディションです。


締め切りが迫り、日々、応募メールが増えています。ご応募ありがとうございます。これからと思われてる方、案外締め切りって忘れるもんです。(あ?!というメンバーの声が聞こえて来るとか来ないとか。)どうぞお早めにご応募ください。着順でどうなるというもんではありませんが。また、どうしようかなぁと思われている方、受けないよりは受けた方が、なにがどうなるにせよ、意味があると思いますのでぜひどうぞ。意味のあるものにいたすべく、全力で善処してまいります。


ぜひあなたと、です。構想が今、ムクムクと膨らんでいます。まさに春の息吹の如くです。


余震、停電、交通事情など、不安な点は多々あろうかと思いますが、やはり、やれることをやるしかないので、やります。ご応募、お待ちいたしております。

2011年3月17日 21:55 | コメント (13) | トラックバック

ダー!ですよ。ダー!

すでにご存知の方もいらっしゃいますが、PLAYPARK2011-日本短編舞台フェス- が、開催中止となりました。


中止決定の報をお伝えする直前まで、チケットをお求めくださる方がいらっしゃって、それってつまり、「いろいろ大変な時だけど、おまえらがやるんだったら行ってやんよ、おらあ、ここか?このボタンを押すのか?ようし、チケ予約をクリックだ、おらあ!」、というタイプの方だったかどうかは定かではありませんが、なんせそういった種類の心意気をお持ちの方のアクションと推察され、そんな素敵な決断を目の前に、中止のご連絡をしなければならないのは、なんだろう、オレらは今回のイベントの主催者じゃないのだからそこまでなにかを抱える必要もないのかもしれないですが、やはり無念中の無念です。


ごめんなさい。中止です。オレらの判断ではないんだけど。決まったことには従うしかない。主催の方々も、きっと苦渋の決断だったのだと察します。いたしかたなし。なるようになるだけです。


一人称をオレから私に戻します。荒くれた文章を書かないための自分なりの制御方法です。いろいろな事情を私は知りません。どういった経緯で中止に至ったのか、あるいはその最終的な理由も、まだなにも聞いていません。だから発言は慎重にしなければなりません。いろんな方面を慮る立場だということも自覚しております。たださ、ただ思うのは、こういう時にやんなくていい仕事ってなんだろうねってな話で。いや、別に今やんなくてもいいんだ実際、舞台なんざ。でもそれをさ、それでもさ、それでもやっていかないとさ、ほんとにいらねえ仕事になっちゃうよ。と、思ったりもしまさぁね。今、なんでも自粛しちゃう空気だけどさ、そうやって引っ込めてったらさ、出る元気も出なくなっちゃうよぉ、アルシンドになっちゃうよぉ(わかる?)ですよ。ごめんなさい、事情もなにも知らないで言ってますからこれはもう、野良犬が喚いているだけです。でもね、だってね、だって、前日まで公式ブログとかにけっこうやる気いっぱいなこと書いてたじゃないスかよぉ。それを真に受けて、やりますつってここに書いたんだぁ、こちとらぁ、おらぁ。とね。ごめんなさい、やりたかったんだと思います絶対、主催者さんも。だからこれは中止になった今回の件についてというより、自粛ムードの世の中に向かった喚きです。


みんながんばってるのはあたりまえ。今さらこれ以上がんばれって言ってどうすんだ。誰だってやだよがんばるのとか。それよりも、がんばりをがんばりと自覚しないですむくらいの元気をさ、どんどん巻き起こしていきましょうよ。「元気があればなんでもできる」と言い続けるあの人なんて、ひんしゅく買っても冷笑されても、いろいろやらかしてきたじゃないですか。だからリングを離れた今でもヒーローなんだよ。ごめん話それてよくわかんなくなってきた。以上。


20分弱の短編でしたが、なかなか面白いものができかけておりました。私の目論んだ、「今回は役者を鍛えさせてもらう作戦」は、本番を経験することで完遂するものでしたから、残念ながら未遂となりました。うちの役者さんたちは、また別の機会をそれぞれが見つけ、次の8月公演までに、自らを研磨してこなければならなくなりました。もうすぐオーディションが開催されます。新たな勝負は、もう始まろうとしているのです。オーディションについてはまたあらためて。


PLAYPARK2011開催中止によるチケット払い戻し等については、PLAYPARK事務局の、

・ブログ:http://playpark2011.seesaa.net/
・WEBサイト:http://playpark2011.com/
・Twitter:http://twitter.com/playpark2011

をご覧下さい。


震災の影響で一回飛んじゃった「テニスの王子様 オン・ザ・レイディオ」の、次回放送分の収録を行いました。当然ちゃ当然ですが、今までにない貴重な回になったと思います。よかったら。

2011年3月16日 23:59 | コメント (7) | トラックバック

言わんぞなもし

稽古以外のこともしている。


とあるナレーションの仕事をした。それについてはいずれご報告するが、そのことで少し確認したいことがあり、我が母親に電話をすることにした。


方言のことを確認したかったのだ。これこれこういう風な内容を、伊予弁で喋るとどうなる?という質問をした。するとどうだろう、母親の回答は、必ず、必ず、こっちが聞きたいことと微妙にずれるのだった。こちらも急いでいたから、質問の仕方が雑だったのかもしれないが、それにしてもことごとくずれる。なんだったらちょっとアレンジしてきたりする。いいんだ、アレンジとかそんな小粋なことしなくていいんだ。そのせいで結果全然違うニュアンスになっているんだ。これこれこういう言葉を、ただ伊予弁にできればいいんだ。いやすまない、もう十何年、そこに住んでいないオレが伊予弁に疎くなってしまっているのがそもそもの問題なんだ、しかし、それにしたってあんた。


私の質問攻めにさすがの我が母も「ほんなに意識して言うたことないけんね、出てこんわい、ははっ」と、出てこないはずの方言丸出しで音を上げそうになったので、すっかりこっちが申し訳ない気持ちになり、しかし一つだけどうしても掴んでおきたいことがあり、それだけ、とにかくそれだけ答えてくれと母にすがりつき、そして母もよくわからんなりに答えてくれ、無事、私は仕事に臨むことができたのだった。


【◯◯ぞなもし】


愛媛の人間ならわかるだろう。今や誰も言わねえよってやつだ。名古屋の人が実はミャーミャー言わないですよ、みたいなあれだ。


接尾語と言うのだろうか、会話の最後につく【ぞなもし】。例えば、「このみかん、おいしいぞなもし」となるわけだが、その【ぞなもし】と、私の中でなんとなく父がよく使っているような記憶がある【◯◯ぞな】の違い、あるいは、【ぞなもし】は【◯◯ぞな】によって代用できるのか、ということが、私は知りたかったのだ。母曰く、「【ぞな】は言わんわいね」とのこと。・・・じゃあ父が言っていたような気がするという私の記憶はなんなのか。「えでもさぁ、よく親父がさぁ、「なんしよんぞな(なにをしているんだおまえは)」とか言っとったじゃん?」と聞く私。「あーんー、ほーねー」認める母。・・・???


じゃあ【ぞなもし】の方はどうなんだと問うと、「ほんなん、もう誰も言わんわい」とのことで、そうなると【ぞな】も【ぞなもし】も存在しないことになってしまう。それじゃどうにもならないじゃないかということで、なんとか母から引きずり出した回答が、「私のおばあさんが、なんとかぞなもしって言うとったわい」という言葉だった。いったい何十年前だ。だがいい、母が言うのだ、【ぞな】はない。【ぞなもし】はかつてあった。これだけが、私がその後に臨んだ仕事の礎となったのだった。


「◯◯ぞなもしぃ。」録音された私の台詞は、英語を喋れと言われたのに匹敵するくらい、フワッフワしたものだった。ああ、無念。いずれご報告するけども。


母が言葉のニュアンスとかコントロールできないのは当然だ。いや、申し訳なかったが、それにしたってなかなかの要領の得なさ具合に、思わず笑わずにいられなかった。


先週、祖母の法事があった。「女々しくて」の際に、モデルにしたと書いた、大切な祖母のだ。しかし震災の影響と日々の仕事とで、帰省はかなわなかった。結果、父と母に会うこともかなわなかった。今回のことでその埋め合わせができたとは到底思えないが、なにか理由でもあればそうやって話すこともできよう。久しぶりに長いこと話した気がするので、母の名誉はさておき、ここに記しておくことにする。


テレビでは、無数の人々が家族を求め、疲労困憊している様子が映し出されている。その姿を目の当たりにしなければ、今回のエピソードをここに記すことはなかったかもしれない。メシを食いトイレに行くように、私の中で流れ去っていただろう。


のんきですいません。ただ、私も皆さんから学んでいます。ということをお伝えしたかったのです。

2011年3月15日 23:54 | コメント (6) | トラックバック

ドンとかまえてくれ

停電するならしようし。


やるよやるよと言われれば、そらあそれなりの準備をするんだから、こっちだって。早朝ふいに目が覚め、本来なら停電しているはずの時間に、いくつかの家電品の電源が入っていることに逆の不安を感じ、しかし再び襲って来た睡魔に負けて寝てしまった私なのだった。まあ、寝てしまったんだからなにをどうこう言う立場ではないのだが、こちとらそれなりの覚悟で停電の準備してんだからさ。と、停電しなくてよかったんだから、よかったよかった言えばいいんだが、このなんとも言えない気持ち悪さをやはり小出しにはしておきたい。


福島であんだけのことが起きてんだ。火力の方だって損傷したんだろう。電気が足りなくなることはとっくにわかっていようもんだろう、プロなんだったら。そしたらさ、もうちょい早く計画なりなんなりをさ、水面下で動かすことだってさ、できようもんだろうさ、え、できないの?あんなにバタつくもん?


事故を事象、事象、と言い張る、あの奥歯にものの挟まった感が気に食わなかったことと相まって、あんたらからしか電気が買えないことがムカついてしかたがねえよ。と小出しにする。


あーもー、今度は2号機ですか。


さ、今日もPLAY PARKの稽古だ。残念ながら震災の影響でそれぞれの仕事の予定が狂ってしまい、全員が揃うことができなかったが、台詞は補いあいつつとりあえず最後まで流してみる。補いあいつつできちゃう本てどうなんだ、とも思うが、そこを役者さんに柔軟に対応できるようになってほしいので、今回はいいのだ。どんどん流して、どんどん本人たちが気づいていかなければならない。


PLAY PARKは予定通りやるようです。いろんな考えもあろうとは思いますが、なんせやるようですから、さらにやる方向でグッとアレしていきます。しっかしこれ、大変だぞ。今、都内で公演中の皆さんもだいぶ大変みたいだし、これは、大変です。


初コメントと書いてくださった方々だけで恐縮なのですが、お返事を返させていただきます。余裕があれば数年前みたいに全部のコメントにお返事を返したいところなんですが、なかなか。たまにですいませんが、ご容赦ください。


けんちさん 千葉も大変ですね。交通の問題も都内以上に大打撃なんじゃないでしょうか。
りかこさん それでも震度1ありましたか。祈っていただけるだけでも、充分感謝。
さくらさん 逃げた犬は帰ってきました?それが心配です。ご自身はお怪我なさってませんか?
あろんさん 液状化って、あれなんなんすかね。凄いスね。日々、お気をつけください。
舞華さん 関西は関西でかつて大変な思いをなさっていますしね。どこも一緒です。
ちゃあさん 避難訓練て大事ですね。体で危機回避の仕方を覚えるしかないなぁと思います。
よしこさん 少しでもなにかが伝えられたらと思います。また覗きに来てください。
まみさん もはやどこにいても安全ではない。考えを改めるいい機会なのかもしれませんね。
まみさん 短時間に同じお名前の方が!?一人であの揺れの中にいたら。お察しいたします。
りゃまさん、避難生活おつかれさまです、早く通常の生活に戻れることを祈っております。
とうふさん、ご無事でなによりです。ぜひ充実の高校生活を送ってください。

それから、えりこさん、ご結婚おめでとうございます!大手を振って新生活を!

2011年3月14日 23:52 | コメント (11) | トラックバック

オマエは役に立たない

やはりどうしてもテレビを見てしまう。いいかげん頭を切り替えねばならないのだが、難しい。


しかし、当然のことながら、テレビを見て情報を手に入れるだけで、私になにができるというものでもない。私にできることは、今私がしなければならないことについて考えることだけで、それは今抱えている仕事のことだったりする。


散々、役に立たないアレやコレやを生業にしてきた。今できることは、あらためて役に立たないなにかを生産することだけだ。それでも、そのなにかでどこかの誰かがやる気になってくださったり、ほんの微かにでもフッと顔がほころぶ瞬間を見つけてくださったりすれば、なにもしないよりはましだ。と思う。全てはどこかで繋がっているのだ。


ので、すみません。そろそろいつもの私に戻らせていただきます。どこに謝るというもんでもないですが。


非常事態も極大の山場は越えたのだろうか、テレビを見ていると、どうもね、どうも、情報を伝える側の方々の方が興奮しすぎてやいないか?と思う瞬間がたびたび目につく。いつだって政治や行政を見張っていてくれるのはありがたいが、マスコミがそれをもっとうまく育てることだってできるんじゃないか。と、よくも知らないやつが言うことです、聞き流してください。


皆さんも実感なさっているでしょうが、私の近所で、スーパーやコンビニから水や食品がこつ然と姿を消した。レジも凄い混みようだ。単純に流通の問題でストックが尽きたというのもあろうとは思うが、買い溜めるやつがいるからなんだとも思い、やりきれない思いになる。なんなんだ急に慌てちゃって。いいじゃないか、どうアレしたってやられる時はやられるんだ。水道から水が出るだけいいじゃないか。停電どんとこい、と思おうぜ。やだけどねほんとは。でも、さ。いやごめん、これだってね、今どうしてもどうしても必要な方が買い溜めなければならなくて買い溜めてるだけかもしれないんだから、うん、聞き流してください。


少々話を変える。


PLAY PARKでやることがだいたい決まった。え、今決まったの?とひかれてしまっては困る。せっかくいつもとは違う形態でなにかをやるのだ。いつもと違う作り方を楽しもうとしたら、そうなっただけなのだ。だから結果、とても楽しみながら稽古ができている。苦しんでいる役者もいるだろうが、それもまた違った醍醐味だ。


今回、台本は書きません、と宣言して稽古に臨んだ。いや実際はスタッフさんのために書くんだけどね、最終的に。役者に台本を作る、つまり土台を作る作業に、おおいに関わってもらいたかったのだ。


そうすりゃどうだ、また違った角度からメンバー個々の個性というものが見えてくる。楽しみ方を見つけられる者は強い。考えすぎる者はどこへも向かっていけず立ち往生するし、考えを止めた者は頭の中の地図を失い右往左往だ。真面目に台本覚えて演出家の言うことを聞いてるだけじゃダメなんだ。自分にも言い聞かせよう。真面目なだけじゃダメなんだ。作家がいて演出家がいて、さらに役者がいて、関わる全ての誰かがなにかを生み出す力をもってして、初めてそれは見るべきなにかになるのだ。


役に立たない連中が集まって、役に立ちそうもないなにかを作る。それでもそれがなにかに響いて、どこかで本当に役に立つなにかが生まれるとしたら、おいそれとさぼるわけにはいかない。というわけだ。


出来の良し悪しはこれからです。彼の大災害のためになるようなテーマはなに一つこめらてません。それでもよかったらぜひ観に来てください。


ただひたすらに、グロテスクな日常にささやかなおかしみを。

2011年3月13日 23:07 | コメント (10) | トラックバック

書いてる場合ではないのだが

初コメントをくださった方々へのお礼はあらためて。今はやはり状況が状況です。


こんなことになるとは。揺れを感じた時の私には全く想像できていませんでした。宮城・福島はもちろん、その周辺の地域にお住まいの方々の生死に関わる危機的状況、都内各地に閉じ込められてしまった無数の方々の疲労心労、遠くで誰かの安否を思っていらっしゃる方々の混乱、本当になんと申し上げればいいのか、おいそれと励ますことすらできない、そんな心境です。


帰宅後、すぐにブログを書き、それから部屋を片づけていて、うちで一番背の高い本棚などが、もとあった位置からずれていることに気づきました。倒れていてもおかしくなかった。寒気がしました。


阪神淡路大震災の時、私は大学に通うため、広島で一人暮らしをしていました。朝、地震があり、広島もおおいに揺れたはずなのですが、私はすっかり眠り込んでいて、いつもと変らずボンヤリと眼を覚まし、テレビをつけてはじめて、どうやらいつもと違うらしい、ということに気づきました。もしもっと大変な揺れが広島を襲っていたとしたら、なにもわからぬまま死んでいたかもしれない。そう思うと寒気がした、ということを思い出しました。


ご質問がありました、『蒼穹のファフナー』の舞台挨拶の件ですが、私も現在プロダクションを通じて、情報収集を行っておりますが、これを書いている時点で、決行か中止かを把握できておりません。申し訳ございません、今後の公式サイト、公式ツイッター、劇場窓口などから伝えられる情報を慎重にご確認ください。


明日もこの異様な状況の余韻は続くのではないかと想像します。まだなにがあるかわかりません。皆様もどうかお気をつけください。

2011年3月12日 00:30 | コメント (16) | トラックバック

私は仕事帰りでした

皆様はご無事だったでしょうか?


揺れた時、私は電車の中にいました。たまたま、駅に停車していました。うたた寝をしていた私は、隣の人め、えっらい体を揺すってくるなぁと思っていました。すぐに車内が一斉にどよめき、私は意識をハッキリさせることができました。実際に地面が揺れている時間以上に、電車は長い間揺れていました。電車はしばらく走りそうもありませんでした。たまたま、地元の駅まで三駅、去年の夏にはその辺まで歩いたりして汗を流していた距離だったので、電車を降り、家まで徒歩で帰りました。途中、大きな公園を抜けたのですが、そこにたくさんの人が集まっていました。見渡すと、ほとんどの人が携帯を見つめていました。どこからか、ラジオの音声が聞こえて来ました。ああ、大変なことになっている・・・。その光景を見て、初めて実感しました。歩いている途中で、2度目の大きな揺れを感じました。車酔いに似た、気持の悪い感覚になりました。家に帰ると、玄関の壁に飾られている無数の靴が、散乱していました。部屋のそこかしこに積まれた本の山が崩れていました。そんなもんですんでよかったと思います。どこかではきっともっと大変なことになっている人がいるはずなのです。


笑い事ではありませんが、都内も今、なかなか互いに連絡の取れない状況で、そんな中、不意に届いたメールがブルのメールマガジンで、なんか篠原のお兄さんが、「毎週金曜日はメーーーーーーールマガジン!」とか言ってて、


なに言ってんだバカ。


と思ったのは、しかたがないことじゃないでしょうか。いや、篠原にしたってしかたがないじゃないかという話でしょう。篠原自身、ツイッターで、なるべく広いところへ、と呟いています。それ呟くより大声で言いたいよね、とは申しません。よもやこんなことになるとは思わず書いたメールマガジンに違いないのです。もし仮に揺れてから書いて発信したんだとしたら、どうかしているか、よっぽどの優しさか、でしょう。


東北地方にご家族ご親戚がいらっしゃる方は本当に気が気じゃないでしょう。お察しいたします。どうかご無事でありますよう。

2011年3月11日 16:22 | コメント (16) | トラックバック

届けこの声

3月の『テニスの王子様 オン・ザ・レイディオ』の、パーソナリティをやることになりました。永井幸子と。私個人としてはちょっと前にもやった気がするんで、お、こんなにすぐ?と少々驚いておりますが、まあ、今はそういう流れということでしょうか。ぜひお聴きください。永井がとても愉快です。


同じ劇団の人間と、公の電波をお借りして、どうでもいいことを話す(どうでもはよくないだろうことも、もちろん話す)。なかなかオツなものです。


また、『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』なんですが、こちらはなんと大好評につき、新たな上映館が続々決定。3月どころか、4月も全国で上映されるとか。素晴らしい。私自身も、新宿で舞台挨拶をするとかしないとか。


今調べましたら、するようです。します。よかったらこちらも、ぜひお越し下さい。イメージを壊さない程度には盛り上げます(すでに壊れているとか言わないで)。


『ペアプリ』なるもので、森久保祥太郎さんと一緒に取材を受けたりもしました。和気あいあいとした、愉快な取材になったのではないかと自負しております。カットされてなければ、武道館の裏話など話しております。こちらもぜひお読みください。いつ発売とか、その辺は、申し訳ない、ジャンプスクエアをご覧いただき、ご確認ください。


昨年末から、レイディオ、劇場公開、舞台挨拶、武道館、ときて、で今またレイディオに舞台挨拶と、応援してくださる方々に声を届ける機会が続いていてありがたい。だからちゃんとやれよ、とどなたかに釘を刺されているのかもしれない。ちゃんとすればいいってもんでもない職業だと思っていたりもしますが、いや、ちゃんとすべきだと思いますので、ちゃんと、ええ、ひとつひとつ、ええ。やってやりますともさ。


その一方で、ブルドッキングヘッドロックの動きもジワジワと加速し始めているので、それについても軽く触れておきますと(次書く時もっとちゃんと触れるつもりなのだ)、まず『PLAY PARK 2011』なるものに出演いたします。


日本短編舞台フェスと銘打たれたイベントです。我々もその末席に名を連ねることになり、現在、地味に稽古をしています。ライブハウスで行うイベントなので、普段のブルドッキングヘッドロックとは、否応無しに、異なるなにかが生まれてしまうのではないかと思うのですが、しかしそこで浮き足立って全く違うことをしてしまったのでは、10周年だ10周年だ言ってた意味がない気もするので、なるべく同じ精神で取り組もうとしています。精神は同じでも、ハコが違えば、結果、なんか奇妙で愉快なものができるのではないか、と期待するのです。お時間があればぜひ覗いてみてください。


また、8月に行う予定の本公演の出演者を求め、出演者オーディションを開催します。今、絶賛募集中です。2006年から計3回、ワークショップを行って来ましたが、今回は出演者オーディションです。ワークショップの際は、本公演への出演を希望せずとも参加できました。今回はさすがにそうはいかないので、若干雰囲気は違うでしょう。ただ、参加いただければ、参加いただいただけのなにかを持って帰れる内容にしようと思っています。その点では、過去3回と同じか、いや、むしろ過去の経験を経て、より有意義な時間になるのではないでしょうか。楽しみです。ご応募お待ちしております。


そろそろ8月公演のチラシイメージを固めるための打合せも始まるはずで、ああもう夏の話か、と少々ぼんやりしてしまいますが、前を向いて動けるのはいいことなので、精一杯頭を絞るだけです。


報告に終始するのもアレですが、あとはもうひたすら花粉にやられているばかりなので。


あーもー、目ぇかゆいわぁ!!


あひるさん・・・いい人生かぁ、いいならよかった。いつか自分でも言えるようにがむばります。ありがとう!
くるみさん・・・変なもんか。とても丁寧な文章、ありがとうございました。ちょくちょく来てくださいね。

2011年3月 5日 23:55 | コメント (14) | トラックバック