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塵クズのような話ですが

とくに今やる必要がないことなら、その通り、今やらなくてもいいのだが、逆に今やったっていいということでもあるだろう。(ソクラテス:ウソ)


というわけで、この数日間、部屋のあちこちに積もり積もっていた、いくつかの不要なあれこれを廃棄している。冷蔵庫はその一端というわけだ。


年末、『嫌な世界』一色だった私に、生活を省みる余裕はみじんも無かった。いつだって無いのだが。なので、今さら大掃除の様相を呈している私なのだ。うん、だから今やるこたぁないよ実際、という関係各位の溜め息が聞こえてきそうだが、大丈夫、ちゃんとそれなりのやり方をしているので、関係各位に迷惑はかけない。と思う。つまり、


思いついた時に思いついたことをチマチマとやる。


という、規模的にはとても小さい小さい大掃除だからだ。これ以外にそれを達成する方法がない私だ。日々チマチマとやっている。


昨日は冷蔵庫の裏の、もう二度と見たくない埃の山を一掃してやった。冷蔵庫を動かしたそこは、現代日本の闇と言っても過言ではない地獄の光景だった。それを、さっとひと拭き、ツヤツヤにしてやったのだ。パッと見はなにも変わらない。誰かが我が家を訪れたところで、「ああ、いつもどおりだ。いつもどおりの散らかり方だ」としか思わないだろうが、いやいや、冷蔵庫の裏が見違えるほどの目映さなのだ。迎え入れる私の妙に清々しい態度。その理由に気づかない来訪者は、仮にそれが女性だった場合、「あー、こいつヤる気だな・・・」としか思わないだろうが、そうじゃない、私はただ冷蔵庫の裏の美しさに満足しているだけなのだ。なるべく手は出さない。


また別の日には、なにかの役に立つだろうと取っておいた、無数の、良い具合のサイズの紙袋を廃棄した。良い具合のサイズの紙袋の魔力は凄い。絶対役に立つと思わせる。なぜなら良い具合のサイズだからだ。しかし、今の部屋に住んで6年、何度も家からなにかを持ち出さなければならない状況はあったわけだが、まず紙袋を使ったことは、無い。というか、その際に、紙袋が脳裏をよぎることも、無かった。じゃあなんなんだよこの紙袋は、と。あの奇妙な魔力ももはや風前の灯。なに買ったらこんだけ貯まるんだ、という量の紙が、袋状の紙が、ごちゃまんとそこにあるのだった。


んなもん、捨てるしかないじゃないか。


よく6年も考えずにいられたものだと思う。これいらないだろうということをだ。しかしそのことで自分を責めはしない。むしろ、今気づいた、そのことを褒めてやろうよと思う。思うさま放り捨ててやった私なのだった。実際はちゃんと梱包して捨てた私なのだった。


日々、チマチマとやっている。結果、チマチマとした清々しさを得ている。この清々しさを、日々積み重ねていくのだ。やがては塵も積もって山となるだろう、だ。塵クズを無くすんだっっう話をしているのに、山となっちゃうなんて、なんとも不思議な話だが、なんせそういうことだ。


このことは、なににでもあてはまるのではないか。勉強だってそうだ。私は学生時代、ほんとに勉強をしないクソ学生だった。あの時、このチマチマとした清々しさを知っていたなら、少しは勉強をし、せめてクソではない、ただの学生くらいにはなれたかもしれない。そしたら、今ごろもうちょっと社会と折り合いのつく仕事をしているかもしれない。残念でならない。


残念でならないが、望んでそうなったところもあるわけだから、それについてはもうグチグチ言うまい。そのかわり、私は今、思いついたことを思いついた時にチマチマと表現する、という仕事をしている。


劇団しかり。それこそブログしかり。脚本や声優は、さすがに思いついた時にだけやるというわけにはいかないが、小さな小さな意識の積み重ねであるという点では変らない。


近頃、ブルドッキングヘッドロックが公式ツイッターを始めたのだった。


それについて、劇団員の永井幸子と茶をしばきながら少々話したのだが、なるほど、近頃全くブログを更新しない彼女だが、そのブログについても、あるいはツイッターについても、私なんかよりはるかに造詣は深く、私に新しい知識をたくさんもたらしてくれたのだった。で、辿り着いたのはやはり、チマチマとやるしかないじゃないかということだった。


私は残念ながらツイッターをやらない。やっぱ、今やる必要がないことは、今やる必要がないってことだよねーん。(ソクラテス:ウソ)


なので、それこそ0から知るしかないわけだが、そこで思うのは、なんだ、結局同じことじゃないかということなのだ。


チマチマとなにかを発信するのだ。できることなら、思い、をね。


そのことを、今度のブルのミーティングで話そうと思っている。せっかくのツイッターだ。みんなやってるツイッターだ。面白くなればそれに越したことはないのだ。すでにツイッターやってる方、よかったら、なんだっけ?フォローだっけ?してやってください。


告知に着地したかのような形になったのは、んー、まいいや。


さらなるコメントありがとうございます!誕生日コメントだけは、なんとかお返事を。


真優さん・・・栄養になればいいのですが。愛、ありがとうございます。
恵美さん・・・演技の勉強かぁ、オレしたことねえス。新生活楽しみですね。
サキさん・・・熱い初コメントありがとう、感激です!蛇ガラ、ありがとう。
たけめしさん・・・初コメントありがとう、どう返してくれたって受け取りますぜ。
うどんの国のSAORIさん・・・美声、ありがとうございます。会えましょうとも!


たくさんの愛あるコメント、ありがとうございました!

2011年2月26日 01:43 | コメント (9) | トラックバック

ありがとうございます2011

なかなか頻繁に更新するにはいたりませんが、それでも少しずつ。


皆さんが果敢にオナニーという言葉をかするように書いてくれることに、おっさんは興奮を抑えきれません。コメント、ありがとうございました。何年かぶりにここにお返事を書かせていただきます。


ポンキチさん・・・いち早くコメントくださいましたね、本当にありがとうございます!
かこさん・・・絶妙でした?ありがたいなぁ。おかしみをあなたともに。
まぁさん・・・36もアラフォーっていうんですかね?だといいな。ありがとうございます!
紫椏さん・・・うまいことなんて、言葉だけでもう、大感謝。ありがとう!
雄人さん・・・ながーいアレにお付き合いいただきありがとう、これからもぜひ。
ゆかりどん・・・以前、僕の携帯の「キ」の変換が、キ●ガイだった時、愕然としました。
みやこさん・・・ありがとう、期限が無いなんて塩や砂糖みたいで、なんかいいすね。
りかさん・・・いいのかどうかわかりませんが、しない奴よりする奴の方が、ええ。
yumiさん・・・なるほど、アウトプットという言葉に変換すればいいのか、ありがとう!
shioriさん・・・これからも驚きと笑いをお届けできますよう、精進いたします、ありがとう。
康子さん・・・お元気伝わってなによりです、ジワジワ全開にしていきますね。
RIHOさん・・・初コメントありがとうございます!男盛り、いろいろ盛ってまいります。
遥奈さん・・・大好き、ありがとうございます!まだまだがむばります。
ともみさん・・・踊ること?!踊るように、出す。すげえ。応援よろしくお願いします。
奏さん・・・変な意味にしか聞こえませんが、ありがとう。無期限、よろしくどうぞ!
祐里恵さん・・・わお、またも大好き、ありがとうございます!更新します、ぜひとも。
やっちぃさん・・・わー、なつい!はたして今の私がBOYSかどうか、でも気持ちはBOYSで!
椿さん・・・初コメありがとうございます!ハラハラさせてごめんなさいね、これからも。
えりこさん・・・お邪魔じゃございません、ありがとうございます。見届けてください。
ゆぅあ@北海道さん・・・16歳、初コメント、少し大人・・・最高です!!!
ゆきさん・・・何歳だと思ってた(笑)・・・?誕生日、おめでとうございます!


元気があればなんでもできるってね。皆さんから元気をわけてもらいました。おかげで、これから始まるPLAY PARKの稽古もがんばれそうです。本当にありがとうございます。


ちなみに今日、台所を整理して、賞味期限のきれたものを廃棄しました。あるもんだね、豆板醤とか、ゆず胡椒とか、ドレッシングとか、昆布茶とか、さ。使い切らないものが。最近は、米と味噌と出汁と豆腐と納豆、あとキムチかとろろ昆布、があればじゅうぶんな気もしますね。

2011年2月22日 00:00 | コメント (15) | トラックバック

36歳の男から

とくになにをどう変えるというわけでもないですが、新たな気持ちで始めるならこの日から、というのが本人的にわかりやすく、なので今日からあらためて。


ごぶさたしております、喜安浩平36歳です。


これまでのああらゆる所業を考えれば、折り返しか、返してはいなくとも確実にそれらしき地点が見えてくる、そんな年齢になってしまいました。いや、明日突然なにかが起きたとしても文句は言えないというのが世の理ですから、折り返しを考えること自体バカげているのかもしれません。


このブログを始めてすぐ、何歳目だかの誕生日を向かえ、そのことについてあらん限りのはしゃぎでもって書きなぐったことを薄ぼんやりと記憶しています。読み返せばいい話なのですが、読み返すのはやめておきましょう。


あの頃は、どなたが読んでいるとか関係ありませんでした。というか誰も読んでいなかった。いなかったのをいいことに、自室で行う独り遊びのように、見苦しいそれを振り回し、日々もんどりうっておりました。言わば猛烈なオナニーでした。なんせ出せればそれでよかった。そんなもの、読み返すもんじゃありません。


それから何年が経ちましたでしょうか。あの頃に比べ、いつもコメントをくださる素敵な方々に恵まれているとは言え、さほど大勢の方に読んでいただいているわけではないので、変りがないと言えば変わりはない状況で、しかしさすがにいろいろ経験し、オナニーではすまされない事情があったり、オナニー以上のなにかがあるんじゃないかと夢想してみたり、まあなんせいろいろございまして、ちょっと頑張ってみるかと、言わば見栄えのいいオナニーに励んでみた時期もあったわけですが、結局はオナニーでございますので、結局自分が出すか出さないかが問題で、見栄えを良くするあまり出しもしないで終わるオナニーなんて時もあり、それじゃああんたなんのためのオナニーだって話で、男というのはオナニーしないわけにはいかないのでして、そもそもあんたの彼氏だって部屋で一人になれば、


失礼、オナニーの話がしたいわけではない。表現の話です。いや、そんな大げさなものでもない。これはとりとめのない長い長い独り言です。つまりは長い長いオナニーということでしょうか。いいや、なんせもう少し脳みその方をしごきます。


かつての、もんどりうつようなオナニーには、わけのわからぬ喜びがありました。それがやがて喜びかどうかわからないようになりました。無理もありません、そもそもわけのわからぬ喜びだったのですから、油断すればヌルヌルと、いやスルスルとこぼれ落ちていきます。で、手っ取り早く喜びを得ようとしました。


それはこのブログの話だけではなく、私の表現活動の全てにあてはまっているように思います。仕事を続けて10と数年、わけのわからぬまま駆け抜けてきた時期はいつのまにか終わり、様々なことを知り、考え、やがて衝動ではなく理性でコトを片づける、そんな技術を用いるようになりました。もちろんドヘタクソなので、技術と呼ぶにはあまりに陳腐なのですが。


で、いつの間にか、なにが喜びかよくわからなくなってしまいました。なにをしていてもどこか楽しくない。今年の最初に、疲れ果てたと書いたのはそういうことでした。


それからおよそ、ひと月半。私は今、微かな、本当にまだまだ微かな、喜びの気配の中にいます。


大きかったのは、2月の頭に上演された、『中学生日記』という作品に関われたことでした。以前より、生み出す作品毎に敬愛と嫉妬の念を抱かせていただいていた、山下敦弘監督が、初めて舞台の作・演出をすることになり、その“演出協力”をなぜか私ごときが行うことになったのです。それは幾つかの数奇な縁による、不思議な出会いでした。


その現場で私が見たものは、山下監督と18名の出演者による、面白いものを作ろうという、とてもとてもシンプルな、もがきでした。映画とか舞台とか言う以前に、「面白いもの」があるのだということを、皆が常に意識していたかどうかはわかりません、ただ、私にはそれが突きつけられたように思え、それが、なによりも痛く、なによりも感動的でした。で、結果、できたものはとても面白いものでした。


私がしたことと言えば、その「面白いなにか」を、舞台用に変換するという作業で、結局「面白いもの」を作ることに関われたか、いささか疑問に思うところではあり、それはもしかしたらとても残念なことなのかもしれませんが、しかし、このタイミングでこういう現場に出会えたことにはとても意味がある、と思えたことはなかなかに代え難いもので、そこに私は「喜び」を感じたのでした。


幾つかのイベントで、応援してくださる大勢の方々の声を直接伺えたことも、とても重要でした。『蒼穹のファフナー』にしろ、『テニスの王子様』にしろ、もう何年も前から関わらせていただいていて、いいかげん私のそれにも賞味期限があろうというものを、ああもフレッシュな感覚でステージに立たせていただけたことは、作品とスタッフの皆さんと応援してくださる皆さんの、無尽蔵の力によるものに違いはなく、本当に感謝してもし尽くせません。映画だとか、武道館だとか、それは立派なことですけどごめんなさい、申し訳ないのですが今の私にとってはどうでもいいことで、どこのどんな環境だとしても、ただそこにいることを喜べる感覚が自分に残っていたことに、とても意味があったのでした。大変なこともたくさんありましたし、失敗もたくさんしましたが(歌、踊り、発言の数々)、それでも皆様を思って丁寧に(選ぶ表現はおおむね粗野でも)一つ一つの出来事を過ごすことができました。ご声援、ありがとうございました。今さらですが。


幾つかの貴重な出会いもありました。久しぶりにたくさん舞台を観に行っています。新たな、それこそ全く未知数の奇妙なお仕事もいただけそうな状況です。なにかがジワジワと動き始めています。


そこにあるそれぞれの「喜び」をしっかと実感しながらこの先をやっていけたら、ああ、人生折り返しだとしても、心に張りを持ってやっていけそうです。自分次第ということです。


では、このブログにおける私の「喜び」とは。書きたいことを書きたいように書きなぐる、ことでしかないように、今は思います。ごめんなさい、結局のとこ、男が一人でできることなんてオナニーくらいのもんなんです。たまに、いいねと思ったら、いいね、と言ってやってください。関わりづれえブログで恐縮ですが。


・・・ふう。久しぶりにいっぱい出してやったゼ。

2011年2月19日 00:00 | コメント (20) | トラックバック