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夏ライフ

花火を購入する人々。左から姫、ギュン、夜更かしの三人に、写真を撮っているゴリラを足した四人で浅草橋へ。


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なんせ夏っぽいことをしようという目論見なのである。初めて問屋さんで花火を購入。安いし楽しいし。こういうのは、うちの田舎じゃとんと味わえなかったなあ。農村には問屋とかなかったのではないか?よく知らないけど。


手持ち花火つってもいろぉんな花火がある。ぶっといのもあれば、どういうアイディアだ?というものも。進化するんだね、花火も。


目論見の全貌はおいおい公表します。そちらは夏を楽しまれておりますか?

2009年7月30日 23:43 | コメント (7) | トラックバック

ゾウアザラシ

喫茶店にて。ひたすらPCに向かい、あるいは本に向かう。頭脳労働な空気に酔いたいところだが、気がつけば座席であぐらだ。申し訳ない、エクセルシオールカフェ。そちらの品格を下げてしまったのは私だ。エクセルシオールの品格とは?という問題は、まあ、別の問題としてだ。


隣のカップルだが、女性がひたすら化粧を直しているのを、向かいの男性が、一切目をそらすことなく、なんだったらちょっと微笑みを讃えながら見つめている。お!いい女か!と思い、様々な「さりげなテクニック」で隣を盗み見る。そこにいらっしゃるのは、目の周りを直しているのになぜか鼻の下が極限まで伸びている、言ったらまあ、面白い顔の人だ。


なんなのか。


確かにそのエクセルシオールカフェのトイレは少なく、混むので、トイレで直してくれとも言えないのだが、しかし、どうなのだ。その鼻の下は。ゾウアザラシではないのだから。ゾウアザラシではないのだから。二度言ってしまった。そしてどうしてそれをずっとずっと見つめているのか彼。微笑み王子ここに降臨。


最初、私はある主従関係を想像した。それは女性が上位で、男性は女性の様子をじっと見守っていなければならない、という関係なのだが、しかし、その女性の有様を目撃してしまうと、むしろ男性のそれが優しさに見せかけた猛烈な悪意に見えてきて、これは蔑みか?ほくそ笑んでいるのか?と思うと、私の中のなにかがムクムク沸き上がってくる。オレもこっそりゾウアザラシみたいな顔をしてみよう。PCを睨みながら。彼が気づいた時、彼はいったいどんな顔で私を見るのか。まさか隣にまでゾウアザラシがいたとは思わないのではないか。彼から一瞬でも微笑みを奪えたら、それは私の勝ちだ。


どうでもいいけど。


なんせ気持ち悪いのだ。その眼差しが。どういうことなんだよ。気が散るよ。


よそ様のことばかりアレコレ言いやがってと言われる向きもあるかもしれないので付け加えると、私はなにもしていない時の顔を、「フフ、変な顔」と言われる人生を送ってきたので、ここはひとつトントンてことにしておいていただきたい。ゾウアザラシなどやってみせる必要はないということなのだ。

2009年7月29日 13:29 | コメント (2) | トラックバック

そろそろという話

「ケモノミチ」を終えてからというもの、部屋の隅っこの陰毛のような、箸にも棒にもひっかからない状態の私だったのですが、いや、どんな理由であれ陰毛はひっかけたくないのですが、なんせそんな具合で、どうにもこうにもと思っておったのですが、そろそろケツをひっぱたかれる気分を積極的に妄想して(Mなのかな?)、仕事っぽいものに取りかかり始めた今日この頃です。


仕事の話しは無しにしましょう。書くのがめんどくさい。書く仕事なのに。書く仕事だからか。


他に最近していることと言えば、植え替えた観葉植物を愛でることと、果て無き部屋の掃除、そして読書と観劇でしょうか。


「女々しくて」に出演してくれた津留崎さん主宰の世界名作小劇場「ー初恋」や、「不確かな怪物」に出演してくれた仗さんが客演のJACROW「明けない夜」、ペンギンプルペイルパイルズ「cover」など。どれもなにかを喚起させてくださる作品で、観られてやはりよかった。今後も、ナイロン100℃の稽古が始まるまでになるべく多くの作品を観られたらと思うのですが、どうなんだろう。ケツをひっぱたかれる妄想と、どっちを優先すべきか。


やらないといけないことや、やっておきたいことをメモるのですが、たいていそのメモ自体無くす。そして毎朝ぼんやりしてしまうのです。いけないいけない。


山田辰夫さんが亡くなられたというニュースにがっくり。面識もありませんし、ボク如きが言うことではないですが、ほんとに素敵な俳優さんだったと思っておりまして。なんかよくわからないが、頑張らねばと思わせてくださる方だったのです、勝手にね。


さあ、そろそろやろうか。と思ったというわけです。

2009年7月28日 12:39 | コメント (3) | トラックバック

深緑の季節を迎え

さてと。


部屋の緑を手入れしたりなんだり。


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サンセベリアその1。以前、大きな鉢に植えたものをここで紹介したかと思いますが、ひと株、冬の寒さに負けて根腐れを起こして枯れてしまい(晩秋に一回だけあげてしまった水がダメージだった模様)、なもんでオレの頭皮同様見た目がいくぶん寂しくなってきたので、新たにひと鉢購入して植え替えてリニューアルした合体作です。空気を清浄する効果があると言われて久しいサンセベリアですが、実際どうなんだろう。そんなこともたまぁにあてにしてみたりはするからデスク周りに置いてみてるんですが、しかしそれよりもこう、尖ってて上を向いているフォルムが私は単純に好きです。あと、家にいる時間が短い私には、水やりの頻度が少なくていい多肉種が適していると言えます。


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小さなスパティフィラムとサンセベリアその2
手前の小さなスパティは、先日までやってた「ケモノミチ」の舞台美術に、なんか観葉植物置きたいなと思って劇場の近くで適当に買ったもの(DVDが出たら置かれてるのが確認できるかも)です。店先に値札も貼られず適当に置いてあったから適当に買ったのですが、やはりその適当がアレなのか、咲くはずの花にどうも勢いが無く。二つ咲きかけて枯れ、今、大きめのが一つ咲きかけています。頼む、うまく生きてくれ。そしてサンセベリアその2。その1に足すためにサンセベリアを探していて、そしたら手頃なのが置いてある店を見つけたので衝動でもうひと鉢購入。で、前に枯らしてしまった他の植物の(うちの部屋のなにが悪いのか?!)鉢を空け、それに植え替えました。時期的に植え替えはもうちょい早く行わなければならないんじゃないかと思ったんですが、思い立ったが吉日。部屋の中を泥まみれにしながら植え替えました。満足しています。


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アイビー。これも以前購入したものと最近購入したものの合体作。アイビーがまばらでは、アイビーな感じがしません。こいつはスパティ同様、まめな水やりが必要で、かつて、やはり勢い勇んで購入したアイビーを水不足で枯らした経験を持っているので、今度こそはと思っています。外壁に使われるほど寒さに強いはずのアイビーが枯れる冬の私の部屋はいったいどういうことになっているのかと思います。私は自称観葉植物好きで、いっそ部屋はジャングルのようでかまわないとすら思っているのですが、不本意ながら最近よく枯らしてしまいます。というか、東京来てからよく枯らしてて。いったいどれほど悲しい思いをしたことか。広島にいた頃(10年以上前)に育ててたパキラなんて、今でも実家に引き取られて、バカみたいに生長し、居間でオレの1.5倍のでかさになってのさばっています。腰高くらいだったのに。ちょっと怖いくらいです。なのに。東京って。ちなみに写り込んでいるマンガ、「鈴木先生」は相変わらずお薦め。


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セロウム。一番最近購入したもの。これも大学時代に育てたことがあり、そいつもやはり元気で、ちょっとどうかと思うような巨大なサイズの鉢に植え替えられて、実家の玄関にいるのですが、つか寒さに弱いはずのセロウムなのに外置きってと思うのですが、それはもうモンスターの如き生長をとげていて、同じ年月生きてきたオレは・・・、と思わせられます。で、そんな思い入れ(どんな?)のあるセロウムを、新規購入。やはりフォルム。葉がいい。気根がいい。怪物っぽい。こいつも湿気を好むタイプなので、水やりは丁寧に。冬は気合いを入れて守りたい。


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古株のザミア。こいつはご長寿。しかし、かつてのミッシリした幹はなりを潜め、ヒョローい感じなってしまいました。すまんよ。なにが悪かったかなぁ。モノはほっそりしてしまいましたが、ひとまず植え替えを考えています。中の土を新しくしてやりたい。人間でもなんでもリフレッシュは大事です。


うちの主役たちはこいつらです。ジャングル化させるために、アイビーを次々に増やす計画と、肩の高さくらいのでっかい新種購入を考えています。スタッキーみたいな、乾きに強いのがやはり向いているでしょうか。一昔前はドラセナの各系統が流行っていましたが(幸福の木もその一つで、ほんとはドラセナ・マッサンゲアナと言います)、最近あまり見かけないのはなんなんでしょうか。ドラセナ・コンシンネとか、フォルムが好きだったのですが。


なんせそんなことしつつ、少しずつ人間らしい生活を取り戻そうとしています。


あ、これ、劇団の作演出のブログですからね。あと写真がどれも淡ーいのは携帯が勝手にやったことですからね。

2009年7月25日 14:09 | コメント (3) | トラックバック

集合写真

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ケモノミチ出演者のみなさんです。


楽しそうですね。なによりです。

2009年7月15日 00:51 | コメント (2) | トラックバック

かきわけて進んだ先に大海原

毎度のことながら、ありがとうございました。


全日程が無事終了いたしました。ご来場いただいた皆様、ご声援くださった皆様、気にしてくださった皆様、皆様、ありがとうございました。


今回、わかりやすい内容にするべく、物語の運びも、会話の内容も、丁寧さを意識して作ったと思っており、なので結果として2時間30分近い大作になってしまいました。中には長い上演時間に辟易しちゃった人もいたかもしれませんが、僕に面と向かってその文句を言う人は一人もいなかったので、僕が絶対に言わせない雰囲気をプンプン作っていたか、実際に長く感じずにご覧いただけた方が多かったのか、どちらかなのでしょう。うそ、偉そうにすいません。


でもしょうがないと思うのです。だって、そんなのちょっとカットしたところで2時間を切るようなことには到底ならないんだから。だったら2時間半のままで、2時間半をなるべくいつでも面白くと意識するべきではないかと、あたりまえのことですが、小劇場でやってるものとしてはそこそこにビクビクしながらも、心を決めて作り続けた作品です。まあしかし、しょうがないばっかじゃアレなんで、次はさらに様々な問題に配慮しながら作れる、そんな大人な作家を目指して精進いたします。書き始めたら忘れるんだけどねー。うへへ!


当日パンフに書いたことを以下に。


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思ったことをいくつか。

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私は一人っ子である。

にも関わらず今回の作品は3人兄妹の話である。なにがそうさせるのか、なんせ知りもしない兄妹の会話を延々綴ってみた。どうなんだろう。楽しんでいただけたら幸いだ。

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前回の「女々しくて」という公演の際にもここの欄に書かせていただいたが、3月に祖母が他界した。その葬儀のために一日だけ帰省したのだが、そこで見た様々な光景が今回の作品に多大な影響を与えていると言ったら言い過ぎなので、だったらこんなこと書くなよと思うでしょうが、でもちょっとも与えてないと言ったらそれはそれでそんなことはないから、なんなんだ、まあなんせちょっとだけ影響されてるわけです結局のとこ。

黒い服に身を包んだ人たちが泣いたり笑ったりしている光景。

それは死にまつわるなにかの折りに着る服で、そんな折りだから泣くのはまあわかるとして、けっこうな勢いで笑う姿もそこにはあるんだから、なんとも奇妙だ。どうやら人は、どんな時でも泣くらしく、笑うらしい。

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たいした引用はしていないが、阪神淡路大震災や秋葉原の事件に着想を得ていたりする。

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個性豊かなゲストに恵まれ、また久しぶりに劇団員も大勢揃い、時に賑やかに、時にじわじわと思う存分「ケモノミチ」を作らせていただいたことに心から感謝している。スタッフの方々の尽力についても同様だ。あともちろん、今これ読んでくださってる皆様に。

ご来場ありがとうございます。ごゆっくりせざるをえないと思います。どうぞごゆっくり。楽しかったらなによりなのですが。


生きてたらまたお会いしましょう(別に死ぬつもりはない)。では。


喜安浩平

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内容については、ここに書いたことで充分ではないかと。他にも考えたことはたくさんあり、込めた思いはたくさんありますが、そこはほら、野暮になりますので。


打ち上げでも少し話したのですが、ふと気づいたことは、今回の「ケモノミチ」も旗揚げの時の「思考の大回転」も、要はなにも起きない日々のある瞬間をたまたま拾い上げただけですよーという点でほとんど差はないのだなあということで、それがなんだか感慨深いのです。9年も書いてきて変らないのもなんだかなぁなのですが、昔はお客様にそれをクソミソに言って帰られ、今はけっこう楽しそうに帰っていかれる。よしもっとやろう、と思います。あと、自分の考える「おもしろ」を今後も信じ続けよ、と思います。


なんせまた一つ、猛烈に思い入れ深い作品と出会うことができました。この先も、私にはきっといろんなことが起こるのでしょう。だから次にお会いする時にはちっっっとも笑いも泣けもしない作品とか作っちゃう可能性もあります。なるべくそうならないように豊かな日々を送れたらと思います。いやむしろ泣きでも笑いでもない、また違った喜びを見つけられたら、それはとても幸せなことです。だから、さらに見知らぬ道を突き進みます。


次は「女々しくて2(仮)」。もうやっちゃうのかよ、という声が心地いい。


2009年7月13日 13:41 | コメント (3) | トラックバック

え、もう

千秋楽?


短い。7ステは少ないなぁ、やっぱり。ここ最近2週間のスケジュールで公演を打ってきたので、一週間の公演はやはり短い。


なんせ最後の最後まで楽しみ尽くして。


では。お越し下さる皆様、劇場でお待ちしております。

2009年7月12日 10:05 | コメント (1) | トラックバック

2日目終了

ふいーす。(ため息)


もう、観に来ていただいた方の前でつくため息の多いことと言ったらない。


それは別に内容とか評価に不満足だからというわけではなく、自分自身誰よりも作品に集中して臨んでいるからで、その結果の疲労がそうさせるだけだ。評判に関しては、手前で言うのもなんだが、とても満足している。いや、満足の度で言えばもっともっと際限なく褒めてもらいたいと思っているわけだから結局満足することすらないのだろうと思うのだが、それでも、観劇後の感想でいろんな種類の、それこそ10人いれば10人それぞれの感想をいただける、そういう種類の作品が作れたことに手応えはやはりあるのだ。


作品についての思いを語るのは野暮というものだから避けるが、賛否の否の方でもいい、見てなにかを思ってもらいたい作品です。どうか、当日券でもなんでも、ご覧いただきたい。まだ明日と土曜夜には若干の余裕がございます。


明日は金曜、平日にも関わらず昼夜2ステージ。ここからは体力と集中力の勝負。短期決戦である。悔いなく過ごしたいと、いつも以上に思う日々だ。

2009年7月 9日 23:11 | コメント (3) | トラックバック

初日の朝

初日の朝である。


何度迎えても初日の朝はやはり初日の朝で、疲れ果ててシャワーも浴びず、いつの間にか寝てしまい、ギットギトの顔で起きたとしてもやはりその朝は初日の朝の空気なのである。


昨日はずいぶんな晴れ模様だったようだが、劇場にいっぱなしだったので梅雨の中休み的なそれも満喫できず。今日はどうだと窓を開ければギリギリで踏ん張ってくれているような曇り空。神様、どうか降らさないでください。


まずは昨日の時点でやり残したことをやっつけ、さらにゲネプロやって、ようやく初日開演。さあ、一番長い日が始まる。


初日は売り止めの大盛況。9日、10日はまだ席に余裕があるとのこと。ふんわりふらり、気が向いたらお越し下さい。


では。劇場でお待ちしております。

2009年7月 8日 10:37 | コメント (2) | トラックバック

ザ・ポケット

おはようございます。


今から劇場へ。ザ・ポケット。ザ・、無くてもいいと思うんですが、ザ・で一回詰まる感じがもどかしいんですが、正式名称はザ・ポケットなのでザ・ポケット呼びます。


中野です。ザ・ポケットと言えば、以前ブルドッキングヘッドロックが、同じ方がオーナーでザ・ポケットのお隣に立つ劇場MOMOというところで、「スパイシージュースHOT」という作品を上演させていただいたことが思い出にありますが、やはり個人的にもっと思い出深いのは、ナイロン100℃のオーディションに受かり、初めて東京で立った舞台「φ」(ファイ)の劇場が、ザ・ポケットだったことでしょう。本多劇場と同じくらい通い慣れた感があり、それは本番どころか稽古もザ・ポケットで行われたからで、それがザ・ポケットのこけら落とし公演の一環だったこともあり、田舎から出てきたばかりの猿にはそれはそれは贅沢な環境でした。ほら、読んでてザ・が邪魔でしょ?


奈落のカビ臭い地下室を楽屋にして、吉増さんや廻さん(その頃はまだ本名)らオーディション組の男性5人で一ヶ月近く暮らしたのを覚えています。昨日、「ケモノミチ」のために小屋入りして、楽屋割をした際に、どういうわけだか篠原寺井岡山がそのカビ臭い地下室を楽屋に割り当てられ、「これはない!これはない!」と連呼しておりましたが、ああそうか、これはなかったのかと、そこでようやく気づきました。あの頃の僕らはそれでも全然良かった。東京でお芝居やりたくて出てきて、やっとお芝居やらせてもらえて、たくさんの個性にあてられて、どん底までへこまされて、だから僕はほんとに無我夢中でした。


あれから11年。ナイロン入って10年。ブルを立ち上げて9年。ようやく自力でザ・ポケットに帰ってきました。自力と言ってもみんながいなくてはどうにもならなかったので、みんなの力なのですが。だから篠原たちが「これはない!」と言うのも受け入れましょうというものなのです。実際カビ臭いし。そもそもなんであの3人だったのか、彼らが不憫で笑いが止まらないのですが、選ばれる必然がどこにあったのか、そこが興味深いところです。


昨日小屋入りして、丸一日仕込み。今日は場当たり。素敵な美術が立ち上がっております。見てるだけで楽しくなってくる。これ見るだけでも来た方がいい。「住みたいね。」そんな話を美術の長田とブルの永井が話していました。そういう空気の美術です。素晴らしい。これに明かりが入った時、さらに世界は鮮明になり、さらに音が、人が、走り回ることで「ケモノミチ」がついに全貌を現します。


気の抜けぬ日々が続きますが、しかしどうにもニヤニヤしてしまいます。

2009年7月 7日 09:35 | コメント (3) | トラックバック

あと少し

通しまくっています。


今日も通し、明日も通す。役者の皆さん、どうか怪我などなさいませんよう。集中力がモノを言う頃になってまいりました。悔いなく万全で。当たり前ですが大変です。


伝えるべきことは余す所無く伝えたいわけですが、しかしなんというかオレが足りない。オレがもうあと4、5人いればいいのにと思います。


いやだなあそれ!!


しかたがないので一人でなんとかしています。毎日えんえん稽古を見ていても飽きないのは、作品が面白いからか、オレがただの物好きなのか、とふと思います。


きっと「どっちも」なんですが、今日のところは美術の長田が観に来て、とても勇気の湧く感想を残していってくれたので、「作品が面白い」の方で決定です。


だいぶ尺もタイトになってきたし、安心してお越し下さい。お待ちしております。

2009年7月 5日 02:04 | コメント (5) | トラックバック

ダアアア!!

寝て見る夢が「ケモノミチ」のことだったりすると、寝覚めが重くていけないが、その重さこそ手応えだとも思うわけで、だからどんな夢を見ようとひとまず寝る私なのだ。


今回、私がデザインさせていただいたTシャツの背面には、


OK, go the unknown way
if I eat and sleep and am up
and take a deep breath.
It's all right.


という文字がプリントされています。「メシ食って、寝て起きて、深呼吸したらさあ行こう、見知らぬ道を。きっと大丈夫。」


猪木さんの詩ではありません。あれは「行けばわかるさ、行くぞー!1、2、3、ダー!!」です。


しかしまあこの背面プリント、まるで今の自分を現すようです。今、ひたすら毎日私はメシ食って寝て、起きたら稽古場出かけて、うんうん唸り続けております。大丈夫とはなかなか思えない日々ではありますが、大丈夫と言い聞かせ続けて、ひたすらジリジリを繰り返しています。


客演陣は本当に素晴らしい人たちです。真摯に稽古に取り組んでくださる。さらに、演出が手を加えることをためらうほどの、「それぞれ」を持っている。出ていただいてほんとに良かったと思うにはまだ早い。早いが、それでもうっかりそう思う瞬間があるからこそ、私は稽古場へ向かえるのだ。


もちろん劇団員もまた、今回も粘り強く闘ってくれている。特に今、スタッフワークと役者を兼ねている彼らの気力体力の消耗は著しい所だろうが、通し稽古の際にはそのことに甘えない演技を見せてくれている。


あとは私だ。


ケモノミチは、文字通りウネウネと曲がりくねりながら小さな細道を作るような感覚の作品です。それは個人的な感覚のもので、内容はいたって直球であると思います。が、物語の綴り方、主題の捉え方、そこにブルドッキングヘッドロックらしさがなければならず、らしさを伴って歩もうとすると、その歩みはすぐふらつきます。我々が歩いた後にできるケモノミチはどんな姿をしているのか。皆様にもぜひ確かめていただければと思います。


いつも長いと言われる上演時間(ゴールデン街劇場の時ですら、1時間半の予定が1時間50分になりました。)今回もちょい長いです。ごめんなさい。今それをどう削るか、必死に考えています。それはただ時間を短縮する作業ではありません。なんと言うか、輪郭をシャープにする作業です。それとは別に、あるいは同時に、ちょい長くても耐えられる内容に仕立て上げようとしています。まさに佳境。佳境です。


劇場でお会いできることを楽しみにしております。辿り着けたらね。辿り着けるけどね。

2009年7月 4日 09:39 | コメント (1) | トラックバック