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初稽古はつつがなく

 ついに「ドントラ」初稽古。ストレッチやって、ゲームやって、発声やって、歌の練習やって。まだ始まったばかりなのでさらっと。まだまだこれからです。それにしても・・・、

 オキメグかわいい!そして小さい!顔!体!あといろいろ!で!小さいのに目がでかい!ま、そりゃな!そうだわな!奥菜だもんな!恵だもんな!納得!いやはや・・・、それにつけても・・・、

 ユースケさんいい人!すげえサービス精神!体調悪かったのに!盛り上げるんだ!けっこうテレビとかわんない!自然体な!ナイロンのメンバーの名前一生懸命覚えてるの!いやはや、これはこれは、ふう、

 芸能人ということで少しばかし盛り上がってしまいました。あとはもう井上順さんと秋山菜津子さんと「たま」の3人さんが合流するだけ。けっこういるけど。

 で、今日はナイロンのメンバーで飲み。メンバー内打ち入りといった趣。打ち上げの反対で打ち入りね。
おいしい焼き鳥屋さんでだらりーんと飲みました。なんせ明日の稽古は夕方からだからね。楽チンさ。

 と、調子ぶっこいてあぐらぶっこいて放屁ぶっこいて、うだうだこんな文章書いてたら思い出した!

 明日は「DEAR」の録りじゃん!!おやすみ!!

2003年3月26日 02:41 | コメント (0)

今日は短めに

 考えるに、「方法」とはつまり「なに」をどう「見る」かということで、だから何かを見る、その時の私のスタンス、状態を改めて見直していく作業が必要だなと。考えるに。

 いきなり失礼いたします。キヤスです。考えるのもいいですが、そろそろ実践していきながら進めなければと思っておりまして。しかしどこから手をつけるべきか、いや、手をつけたいモチーフは既にあり、それをどう扱っていくか、そのことで悶々としたりしなかったりです。

 あと、明日から「ドント・トラスト・オーバー・30」の稽古ということでその準備もしなければならず。稽古着とか。稽古靴とか。あとー、えーと、あ、曲を聴いていかないといけない!覚えてきてねーって。言われてた。大変!・・・さ、いよいよ動き始めますぞ。なにがどう動くのか未だによくわかってませんが、それでも動くんだってばさ!動くんだっつーの!盛り上がってまいりますので、こちらの方もどうぞお楽しみにん!

 遅い晩飯をプライド25見ながら食って、風呂入って、曲聴いて、本読んで、寝る。

 そんなんだから起きるの遅くなるんだっつーの!

2003年3月25日 00:51 | コメント (0)

ウロウロ考える

 どうもだらしなくてだめだ。睡眠時間が長い。不本意に。なんかなあ。ま、なるようになるんでしょうけども。

 昨晩は普段テニスの現場でお世話になっております、キャスティングの野上さんのお誕生日パーテーでありまして。野上女史はほんと役者を大事にしてくれる素敵なスタッフさんで、みんなみんな彼女のことを慕っているのですが、昨晩もスタッフさんやら声優さんやら大勢集まってて、彼女の人徳のほどを実感いたしましたさ。んで朝まで飲み。そりゃだらしなくもなるわな。

 でも楽しかったからOK!オレが海堂やってんのは彼女のおかげで寿司!(勢いだけ)

 さて、そろそろ9月に向けて台本の執筆に入らねばと思います。しれっと言ってみたけどすごい事言ってんなオレ。大丈夫か?

 もちろんいきなり何かを書き始められるわけもなく、そのためにここ最近このコーナーでもいろいろ考えてますよーみたいな事を書いてきたわけで、だからまだまだ「芯」を探す冒険は続くし、ていうか始めたばかりだし、少しずつやっていきますさ。

 この前、「今」という事について少し書きましたが、それを実際の作品の中にどう取り入れていくのかという事も考えなければならず、それに関してはまだはっきりとした根拠はないものの、例えば今戦争のことがメディアの中心にあるからといって、戦争そのものをテーマに持ってくるようなことはしたくない。そこにあるもっと根本的なところをどう掴むか。見方とも言えます。つまり、戦争は「今」を見るときの大きなファクターではあるものの、それが「今」そのものとは考えられないということ。だから戦争はないな。戦争という事実がある「今」は、もっと様々な事によって語られるはずだ。

 ただ、その方面から考えられる事として、実感というか、なんだろう、危機感ってあるじゃないですか。過去の戦争、例えば湾岸戦争の時より私の中に危機感があり、それは当然ながら北朝鮮のことがあるからで、湾岸戦争の時だっていろいろメディアが不安を煽るようなことを言ってたような気がするけど、例えば経済的なことね、でもそれより今回危機感が強いのは、死という、その空気が今までよりもずっと近くにあるからで、頭で想像するのを越えた、肌で感じる恐怖。だと。で、そのことが不謹慎な言い方になりますが、なんか新鮮。バカな若者みたいだけど。ていうかバカな若者なので。もうすぐおっさんですけど。

 整然と論文的なことを書いているわけではないので、だからなんだと言われたら、なんとなくとしか答えられないんですけど、そこにもなにかヒントがあるかもしれません。

 当事者であるというか、「今」の渦の中に立つこと。

 外から眺める事もできるけども、中に立つ事で生まれる感覚が、少なくとも私にはなにか今までと違う感覚と思われ、中に踏み込んでいく、奥に潜っていく作業がしてみたいという事でしょうか。それは例えるなら、地球をぐるっと飛行機だか衛星だかで見渡して全体の地図を書く事よりも、どこかの深い森の中に迷い込んでいく行為。

 思えば私が書いてきたブルの作品は、まずジャンルの設定から入ったところがあり、それはその時々によってSFだったりファンタジーだったりサスペンスだったりなんかあといろいろあったと思うんですけど、それらは枠組みとして機能してきて、それはブルの幅を広げるのに重要な役割を果たしてきましたが、そのことと、作品にかかわらず毎回私が大事にしたいと思ったこととのつながりはどうだったのだろうか。もっと密接であってもいいのではないか。ていうか密接に。方法としてのジャンル?「テーマ」とかそういうのはいつも考えませんし、そういうのは考えてから書くものではないと思っていますから、毎回当日パンフに「意味は無い」「テーマは無い」「考えるな」と書いてきたわけで、でもじゃあ結局ジャンルそのものがテーマだったという事か。だってそれしかないわけだから。そこが勢いだけの虚ろさということか。

 いや、過去のどの作品においても、もちろんいつだって大事にしたい何かがあって、そのことについて書いたきたつもりではあるのですが、それとジャンルという枠組みのバランスの悪さか。バランス?安易だな。違う。もっとなんていうか、うーん。

 極端な話、ジャンルなんてなんでもいいわけで、芯にあるものがはっきりしていればそれこそSFでもファンタジーでもSFファンタジーでもいいのだからやはりジャンルは方法だ、であるべきということか。断定できないのはまだ根拠が薄いから。もっと探さねば。

 ただ、伝えるための方法は無くてはならないもので、ジャンルが何かを伝えるためのなにか役割の一端を担うなら、やはりジャンルはあったほうがいいんだろう。ただそれは方法なので、ブル全体の、というよりはその時の作品に限ってととらえるのがいいのではないか。ブルを、というか私の作品をジャンルでわけることは出来ない、ということだし、そういうところへ持っていきたい。だから「芯」を一言で表す、みたいな簡単な事は出来ないのかもしれません。一言で表すのも簡単ではありませんが。一言ではいえない複雑さでありたいという事。

 だから戦争ではないのだな。戦争は、これまでの私のとらえ方だとジャンルなのだ。最初にあるのはジャンルではない。

 ただ、方法という事については考えていかなければならいと。思ってます。ブルの打ち出す方法。それがなんなのか、すくなくともジャンルではないという事ですが、ジャンルは方法の一つでサービス。お客さんへの、そして自分たちへの。そうかだから毎回ジャンルを変えるというのは一つの方法ではあるでしょう。一つの方法に縛られないという方法。でもそれよりもうひとつ強い方法。。さらになにか方法。

 「芯」と「方法」。あたりまえに必要なことですが。今改めて。ただ方法について、改めて言葉にしていくのは、そのことに縛られてしまいそうだし、なるべく限定はしていきたくないなと。じゃ、どうすればいいの?

 ここまで考えてきて思ったのは、結局私がなにを思うか、なにを感じるかで、だから「今」というのも私自身の「今」であるところが大きいのかもしれない。だから町に出ようと思う。歩いてみなければ。あと、本、映画、音楽、表現の数々、私は今なにが起きているのか、知らない事のほうが多い。それらが私の中に入ってきたとき、やっと私なりの「今」を描けるのでしょう。そう感じるにいたりました。

 実は次回作について、音楽劇にしたいというのが既にありまして。そこにももっと根拠が欲しいし、厚みが欲しい。音楽劇というのは、まあ、方法ですわな。

 脳みそウロウロさせながら考えてるので、なんだかまとまりなくて読みづらい事と思います。ご勘弁を。オレもまだまとまってないので。むしろさらに混沌としていくのかもしれません。それこそ、深い深い森の奥に迷い込むことなのでしょう。

 来週から「ドント・トラスト・オーバー・30」の稽古が始まります。また少しずつ忙しくなります。おもろい事になるといいけど。そちらの報告もここで。台湾の事、庭球祭の事、ブルの事、稽古の事、なんか書くこといっぱいだな。ほんとに書けるのか?いや、書くさ。書く。慌てずいきます。

 ではまた。

2003年3月23日 22:50 | コメント (0)

「今」ということ

 結局こんな時間だ。夜更かしにもほどがある。最近どうも夜更かしが過ぎて駄目なのです。次の日に仕事があろうがなんだろうがとりあえず目がらんらんとするので寝れないのです。まいったものです。が、その分ここにいろいろ書けるので良いのかもしれません。いや、ここに書いてるから寝れないのか?

 昨日、厳密にはもう一昨日になるのか、撮影スタジオにおりましたと書きましたが、文字通り撮影をするためにスタジオにおりまして、なんと申しましょうか、ほんとこっぱずかしい写真を何十枚と激写された私なのでした。「DEAR BOYS」の仕事の一環です。おそらくいずれ世の中に出回ることになるのでしょう。これを読まれている方は、それらを見つけたからといってやみくもに人前に持ち出さないように。こっそり隠し持ち、むしろ封印してくださる事を切に願う次第であります。

 だってすっげえはずかすぃーんだもの。

 共演者の松風君、鈴木君、武内君、小西さん、それぞれみないい人で、若いし、ずいぶん現場の雰囲気も和んできてとても良い感じです。鈴木君なんて19歳なんだと。19歳って。オレなんて19の頃は広島の山の中で酒に溺れてふらふらふらふらしてましたよ。どうなってんだ。で、武内君の初々しさ。おっさんたちのうごめく中、一人緊張した面持ちでたたずむ様はまるで若かりし日の私を見るようで、っておれはそんなにおっさんか?いや、自分でもずいぶんおっさんだなと思ってはいたのですけど、なんだろう、いつの間に先輩?なんかどうも先輩ぽいことになっているのですこの現場では。まずいな。当分後輩キャラでお願いしたいと思っていたのに。しっかりしなきゃいけないのかな。ま、小西さんは私よりさらにおっさんなのですが。で、松風君がいい具合に盛り上げてくれます。松風君は、かつてはメガレンジャー、今ではおはスタ月曜日で活躍中の好青年で、好青年なんだけど全体に漂う胡散臭さがかなり面白い。いろいろやって盛り上げてまいりますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

 はい、新番の宣伝でした。

 さて、今日、昼間に少し時間が出来たので、外で飯を食いながらいろいろと、徒然に、作品の事、ブルの事について考えをめぐらせてみましたのでした。なんか思考はそこかしこに飛びまして、だからたくさん考えは出てきたのですが、どこから書いていいものか。

 面白さを考える上で一つ私の中で外しておけないのは、それが「今」のものであるかどうかという事で、別に時代の先端を行くぜみたいな欲は無いものの、なんと言うか「古い」のはやはりいやなのです。それは時に乱暴な言い方で「ださい」と表現されたりするかもしれませんが、もちろん「ださい」にもいろいろあるとは思いまして、あえて「ださく」することで生まれる笑いや効果があるでしょうから、全ての「ださい」を否定する気はまったくありません。さらに、だからといって「おしゃれ」が良いというわけでもなく、「おしゃれ」は「おしゃれ」で良いとは思うものの、そういうことではなく、やはり気になるのは「今」なのです。

 「今」の空気。「今」の私が求めるもの。「今」のみんなが求めるもの。「今」できること。「今」しかできない事。「今」。

 今、あらゆるジャンルにおいてニーズは多様化し、その中で大きな流れを見極める事は、非常に難しいような印象があります。実際いろんな選択肢があるからね。どれを選んだってある意味間違いじゃないかもしれない。しかし、きっとその多様な、あるいは複雑な時流の中に見極めるべき流れがあるはずで、それはまだ大きい流れではないかもしれないけど、でもそこを見極めなければ、誰かの表現を踏襲するだけに留まってしまうのではないかと。いや、踏襲でもいいんですけど。「今」の空気が生んだ事なら、そこには新しい何かが含まれていると信じます。「今」主義。

 ところで近頃「ぶっちゃけ」という言葉が話題になったりならなかったりしているようで、なんだかなんでも「ぶっちゃけちゃう奴」がいるみたいなんですが、あれはどうなのでしょうか。「正直言うとぉ」とか「はっきり言うとぉ」みたいな意味ととらえますが、「ぶっちゃけ」という言葉に私は大きな力を感じ、それはつまり「めんどくさい」ということではないかと考えます。本来なら抑えておかなければならない、我慢しなければならない、相手のため、自分のため、みんなのため。あるいは、よーく考えて上手く伝えなければならない、丁寧に。理解できるように。傷つけないように。それらの想いはしかし「ぶっちゃけ」という言葉の台頭によって簡単に破壊されるようになったのです。「ぶっちゃけ好きだよ、おまえのこと」はつまり「めんどくさいから言うけど好きだよ、お前の事」だし、「ぶっちゃけオレ連続殺人犯なんすよね」は「めんどくさいから言うけどオレ連続殺人犯なんすよね」だ。そんなこと言う奴はいないだろうけど。で、「ぶっちゃけ」という言葉の効果は、「ぶっちゃけ」ることでなぜかその後の発言の印象を軽くするというもので、「好きだ」という告白行為も「連続殺人なんです」という告白行為も、なんかたいしたことないような気にさせてくれる。だから「好きだ」とだけ言うよりも軽い分だけ、受け手も軽く受ける事が出来、仮に受け手がそれを迷惑だと返してきても、なんせ軽い発言だから本人に返ってくるダメージも少なくてすむ、という事になる。「殺人」にしたって、「ぶっちゃけ」付きで暴露されたら、こっちは「まじで?」というくらいにしか返せないのではないか。なにを言ってるんだオレは。

 そうやって軽く言えてしまえるということで言葉そのものが軽くなる事を、私はあまり歓迎しない立場です。「ぶっちゃける」ことで、極端な言い方をすれば、発言の責任を放棄しているようにすら感じられます。ただ、その根っこが「めんどくさい」なのは、なんというか、面白いと思え、そうやってあきらめてしまう、人の駄目さ加減が好きではあります。めんどくさいという力。思考をやめたとき、人は「ぶっちゃける」のです。思考を止めてしまった人の姿を思い浮かべてほしい。身近な人で結構です。きっとそういう人は微妙に口を半開きにし、目はどこ見てるんだかわからない感じで、若干首がどちらかに曲がったまま、手も開いてんだか閉じてんだかわからない曖昧さで、ぼんやりおっ立っているのでしょう。なんという自然な歪み。「ぶっちゃける」とはそういう姿、状態のことなのです。

 べつに「ぶっちゃけ」から「今」を読み取るなんて気はさらさら無く、ほんと採り上げたかったから書いてみました。すげえ眠くて半開きのまなざしで書いたので、ちゃんと読み返したらめたくたなことになっているのかもしれませんが、もう眠くて眠くて仕方が無いので、もう、このまま修正もせずに掲載します。明日、読んでみてやべえと思ったら明日修正します。なんという無責任。でも眠いの。

 今まさに、私はぶっちゃけた状態なのかもしれません。

2003年3月22日 05:49 | コメント (0)

千客万来。戦争反対。

 どうしたことか、掲示板の書き込みが活発だ。とか言うと、まるで活発な事が駄目な事のようだが、そうではない。

 こんな嬉しい事はない。

 ここ最近、ふと思い立ってつらつらと思うところを書き込み始めた私なのですが、それに対していろいろリアクションがあってくれるのは、なんといいますか、更なる思考と探求の良いエネルギーとなります。ので、本当にありがとうございます。これからもどうぞご自由に書き込みください。お待ちしております。

 今日は一日仕事をしておりました。録音スタジオやら撮影スタジオやらにおりました。外の音は何も聞こえませんでした。みな和気藹々と仕事をこなしました。仕事を終えてスタジオを出ると、街はいつもと変わらぬ表情で生きていました。むしろ、明日が休日だからという事でしょうか、そしてそういうシーズンということでしょうか、いつものその時間より酒に酔った若者をたくさん見かけた気がしました。家に帰る途中、いつものようにコンビニで、ヨーグルトとかなんかそういう、体によさそうな感じのものを買い込みました。慰め程度ですが、出来れば健康でありたいといつも願っているのです。やがて家に着き、なんとなくテレビをつけてみました。・・・開戦していました。

 なんだろう、この、ああ、やっぱり始まったね。という、この感覚。なんだ、なんなんだ。どうすればいい?どうすることもできない?無力。無力ということでしょうか。

 ちから。彼には力がある。強大な力。その力を、彼はイラク国民の開放のために使っている。らしい。だけど、

 仮にフセインのそれが圧政というやつで、それにイラクの国民が縛られていたとして、でも、今のやり方で彼らを開放できたとしても、その先、また別の闇が彼らの心を縛り上げてしまいはしないのか。

 もう一度言うが、彼には力がある。強大な力。それは、戦争を始めたり、あるいは戦争を止めたりできる、大きな力だ。なのに。

 私はあまりにも物事を知らない。だから何かを言う権利などないのかもしれない。だけど、いや、だからこそ教えて欲しいのは、別の方法はなかったの?ということ。あまりに幼稚な疑問かもしれませんが。あ、今テレビで、アメリカ軍が使用する爆弾類の紹介を行っています。あれは大量破壊兵器とは呼ばないの?

 いいかげん寝なければならない時間なのでとりあえず今日はこの辺で置きますが、実際はもっと書きたいので、ちょっと寝たらまた書きます。だから、

 つづく。

2003年3月21日 04:35 | コメント (0)

「サークルの先輩と後輩」という設定で

 こういったことを話題にする事はもはや出遅れ気味の感があるほどですが、あのブッシュって人はどうしちゃったんでしょうか。まずいだろあれは。まずい。き○がい?

 あと、どうなんだろうか、テレビを見ていると、「もういいから戦争しろよ、戦争始めろよ」みたいな空気を感じるのだけど。まあ戦争始まらなかったら始まらなかったでなんとかするんだろうけど、ここまで盛り上げたんだからさ、みたいな。感じるんだよな。おれも毒された?

 今日所用で渋谷駅の近くを歩いてたらデモらしきことをやり終えた人々の集団に出くわしました。反戦デモ。なるほど、今まで以上にデモというものが身近なところにあると実感したわけですが、その中で少し気になった事がありまして。

 デモだかなんだかをやり終えた人々がおりまして、見たところ20代~30代でしょうか、男性も女性も胸の辺りにゼッケン状の物を掲げ、「ブッシュを許すな」とか「小泉を倒せ」とか、ものものしい筆致でメッセージを書き込んでありまして、さらに顔を隠すようにガーゼの、いわゆるかぜひきさん用のマスクを装着、という姿でたむろしておりまして。で、そこからほんの数メートル離れたところに女性が一人立っておりまして、その女性もやはり胸にゼッケン状のものを掲げ顔にマスクをしてるんでありますが、私が気になった事は、これホントどうでもいいんですけど、その一人離れたところに立っている女性のマスクにくっきりとピンク色のペンで、にっこり笑っている事を意味する、あの漫画的な、ニコッていうんですか?そういう口の形?が描かれてたんですね。でも胸には「本当の悪は誰だ!!」って書いてあるの。どういうつもり?ほんとどうでもいいんだけど。

 なんつうか不謹慎ていうんですか?こんな事考えたって意味無いんですけど、あの反戦デモやってる方々は、実際戦争はんたーい!と主張するわけですが、仮に、仮にね、ほんと急にブッシュが「俺やめるわ。やめる。なにをって、戦争だよ。戦争。やめやめ。だってなんかアレじゃん?戦争ってさ、よくないじゃん」とか言い出して戦争やめちゃったら、その時どんなリアクションをとるんですかね?(街角の、例えば渋谷の、巨大ビジョンでブッシュが戦争やめたというニュースを知ったデモ参加者の二人)
A「・・・先輩」
B「・・・ん?」
A「どうします?」
B「・・・え?」
A「いや、・・・どうします?」
B「・・・」
A「戦争、ないみたいですけど」
B「・・・んん」
A「続けます?」
B「え?」
A「続けます?」
B「・・・なにを?」
A「デモ」
B「・・・ああ」
A「・・・」
B「・・・」
A「やりますか!せっかくゼッケンもプラカードも作ったんだし」
B「いや、・・・それは・・・意味無いだろう」
A「・・・」
B「意味がないよ」
A「・・・でも」
B「だって、戦争ないんだから」
A「・・・でも」
B「だって、ブッシュがやらないって言うんだから」
A「・・・・・・でも」
B「ブッシュがやらないって言ってんだってば!」
A「・・・」
B「ブッシュがやらないって言ってるんだから、これ(プラカード)意味がないよ」
A「(プラカードの文字を読み上げて)ブッシュよ目を覚ませ。戦争反対。」
B「意味ないよ。だってブッシュ戦争しないんだから。すっかり目を覚ましたよ。あいつは。あいつなりに。たいしたもんだよ。なんかあったんだろうな。目が覚めるようなことがな。ガツーンてな。・・・だからさ、意味ないよ」
A「・・・なんだよ、ブッシュ・・・」
B「・・・」
A「ブッシュ・・・」
B「・・・しかたねえべ?」
A「・・・うす」
B「(かすかに鼻で笑いながら)ま、なんか、ブッシュもたいしたことなかったっつうことか・・・」
A「・・・(かすかに鼻で笑いながら)そすね!」
B「(笑いながら)な?なぁにが、ブッシュだよ!」
A「(笑いながら)ほんとすよ!」
B「なんだ?ブッシュって、変な名前!」
A「まったくすよ!とくにあの、ブ、ってところがだめすよ、あとシュってとこがだめです」
B「おいおいそれじゃ全部だめじゃないか」
A「あ。えへへへへ」
B「おい。つっこませんなよ。はははは」
A「へへへ」
B「ははは」
A「へへへ」
B「ははは」

 しばしじゃれあう二人。やがて笑い疲れたころ、

A「・・・じゃあ、先輩これ」
B「え?」
A「返します。ゼッケン。あとプラカード。返します」
B「・・・え?」
A「返します」
B「・・・ん?返すのか?」
A「ええ、返します」
B「ん、(とりあえず受け取り)・・・・・・・でも」
A「え?」
B「いや・・・せっかくだし」
A「せっかく?」
B「せっかくだろ」
A「・・・」
B「・・・だろ?ほら」
A「・・・でも」
B「ん?でも?」
A「でもこれ、持ってても意味無いでしょ」
B「・・・」
A「意味無いですもん、持ってても」
B「・・・そうか?」
A「だって、もう戦争しないんですから」
B「・・・しないのか?」
A「しませんよ。だって今ブッシュが、やらないって」
B「言ってたな」
A「言ってました」
B「・・・あれなのにな。せっかく作ったのにな」
A「・・・」
B「いいよ。持って帰れよ」
A「え?」
B「やるよ。持って帰れ」
A「え・・・」
B「こういうのはアレだろ?記念だから、ほら」
A「(いやそうに)ええ・・・」
B「なんだよ。一生懸命作ってたじゃないか、だからさ、持って帰っていいよ。ていうか持って帰れ。持って帰れ。な。(押し付ける)」
A「(強く押し返して)いいすよ!」
B「・・・なんだよ、・・・え?なんだ?オレか?オレが全部持って帰るのか?」
A「・・・」
B「・・・それは、いやだな、だって、持って帰っても、使わないし、使わないっていうか、使う機会が、ていうかそもそもこれ持って電車乗りたくないだろ、なんか、恥ずかしいだろ」
A「・・・」
B「これ持って、オレどんな顔して電車に乗るんだよ」
A「・・・デモしてきたっていう顔で・・・」
B「どんな顔だよ、それ・・・」
A「・・・」

 扱うテーマが若干不謹慎かもしれませんが。別にテーマもへったくれもなく。思いつくままに。
 

 私自身、今回の件に関しましては非常に腹が立つ思いですし、アメリカが嫌いってわけではないんだけど、こうもブッシュを野放しにしているとなると、アメリカ全体のことも疑わざるを得ない。で、それより何より腹が立つのは小泉総理大臣の発言の数々で、もう、情けなくて涙が出てくらあ、だ。戦争反対。戦争したいアメリカに反対。それを支持する日本にも反対。ちゃんと意思表示しなきゃいかんのだろうな。と思わざるをえない日本の駄目さ加減だ。しかしなんだろう。デモって参加しにくいのな。勇気とかっていう問題なのかな。

 所詮、ここでこそこそ茶化す事くらいしか出来ない私です。ニヤニヤとね。

 最初はただ面白けりゃと思って書いた、先ほどのAとBの会話なんですが、そこにあらかじめ意味を含ませる気などさらさらなかったものの、出来上がったものから、新たに思考を喚起されたり、別のイメージを想起させられたりするところはあり、そこを辿っていくと、探しているもののかすかな手がかりがみつかるのかもしれません。気のせいかもしれません。探求は続きます。

 あと、関係ないけど関係あるけど関係ないけど、この間、つい2日くらい前、寝てたら、自分が徴兵される夢を見ました。夢の中の私は、徴兵されたものの、実際に戦地に赴く前に事が終わってくれるのではないかというかすかな期待を抱いているようでありました。目が覚めたとき、すごくいやな気分になりました。さっき書いたAとBの会話にも、面白さと同時にかすかな気持ち悪さを感じました。だから何だってことは言えないんですけど。なんか。なんかありそうなんだな。ここにも探求の糸口が。

 つづく。のか?

2003年3月20日 01:41 | コメント (0)

ムダに夜更かしするけれど

 昨日ここで書いた事に対して掲示板にとても心強いリアクションがありまして、これはもう本当に嬉しい。ありがとうございますですよ。いやあ、前にも少し書いた事があるけど、ここに書いた事に対してリアクションが生まれてくるというのは、なんつうの?やりがい?感じますよね。書きますよ。おす。

 さて、本日、つーかついさっきまでブル総会をやっておりました。なんだろうね、乗り越えなければならないしがらみはたくさんあって、今日はその最初の小さな山を越えたに過ぎないんだろうな、というのが正直な感想なんですけど、でも一つ乗り越えた事には大きな意味があると思え、こうやって一個一個山を越えていくしかないんでしょうね。お金の事とかね。世知辛いけどね。考え出すときりがないしわけわからんくなる。数字は難しいよ。

 足りない脳みそ寄せ集めてあーでもないこーでもないと考え悶えて、なんとか結論に至ったわけですが、メンバーがそれぞれに真剣に事に当たってくれている姿は、てまえみそっつうかなんつうか、頼もしい。この調子でばんがります。

 私は考えの足りない人間なので、すぐに感覚的なところでものごと判断してしまいがちで、だから芝居なんて世の役に立ってんだか立ってないんだか、みたいなことやってるんだと思うんですけど、しかしそれでもやはり世間ときっちり折り合いをつけていきたいと思っておりまして。だからね、めんどくさくても無視して通れないもろもろの事情にちゃんと取り組んでいきたい。素人なりに。それでだめならしかたがないさ。識者に助言でも仰ごう。大事なのは自分の脳みそで考える事。結果が伴わなくとも考えたその時間と労力が血となり肉となるのだ。と。

 さて、昨日ここに書き込んだ後も、布団に入りながらまどろむ意識の中でいろいろ考えを走らせました。私はなにをしたいのか、なにをすべきなのか。もちろんすぐに何かが見つかるはずも無く、では順を追って探っていくしかないのでしょうな。ってところでたぶんオレは夢の中。気がついたら朝。

 出来れば笑って生きていきたいと考えるのはそんなに楽天的ってわけでもないと思うのですが、どうですかね。笑ったもん勝ちだ、みたいなことをかつて私の大学時代の後輩が言ったことがありまして、それは確かにもっともだ、と思った事を今でもはっきり覚えているのですが、それが別に私の生きる指針だとは言いませんものの、私の中の大きな部分を占めているとは思います。だから芝居だって、笑って作りたいし、笑って見たい。だから私の作品から笑いを削るってことは今のところ考えられないです。もう、出来るだけへらへらしていたいからね。

 でも、何作も作っていくうちにわかってきたことは、自分の中に笑いだけではない何かがあるんだなということで、それは「笑い」ときっちり分けられるものではなくて、あいまいに「笑い」と混ざったものなんでしょうけど、だからなかなか言葉に出来ないんですけど、そこをつきとめていけば昨日書いた「芯」ってところに辿り着けるのかも。

 で、なんで笑っていたいんだろうって所を考えれば、そりゃ笑えたほうがいいからさ、という感覚的な答えになってしまうんですけど、なんで笑わせたいのかってことになると考えてみる価値はあるかと。笑いたいだけではなく笑ってもらいたいんだなやっぱり。なんだろう。お客さんに寄せてった、つまりニーズに応えるとでも言いましょうか、そういう面白さで皆さんが笑ってくだされば、それはもちろん嬉しいと思うんですけど、そこにはなんつうか「計算」があり、「な。ほらな。」みたいな感覚が大なり小なりあるんです。で、それと違う喜びは、お客さんに寄せてったわけでもないのに笑ってもらえた瞬間で、そんな時、「あ、つながった。」みたいなね。「わかる?わかるんだ。わかるよねえ。」みたいな。笑わせたい、を仮にそういうのに分けるとしたら、やはり後者が楽しいんだな。僕としては。共有感が楽しい。

 だからやはりまずは僕が楽しいと思う事、笑えると思う事を提示していくという、なんかこれ昨日と同じこと言ってるみたいだけど、やはりまずは僕の提示したいものがあって、ってところから始めなければならないという事がわかりました。はい、ひとつえらくなりました、僕。

 すると僕の笑い方というのがあるんだろうなっつうことで、それを上手く言葉にするのは難しいけど、例えばニヤニヤ、例えばヘラヘラ。爆笑といいますか、声に出して大笑いできればそれはもう素敵な事なんでしょうが、僕は終始ニヤニヤヘラヘラしてられるって事もずいぶん素敵な事ではないかと思っておりまして、そこなんだよな。ニヤニヤ、ヘラヘラ。そこをさらに掘り下げたい。

 寝ないといけないので今日はこの辺で。当たり前のことを改めて見つめなおす作業。ムダではない。このムダがいい。

2003年3月19日 04:35 | コメント (0)

キヤス大いに語り始める

 明日はブルドッキングヘッドロック総会。いや、もう今日か。ブルについてのあれこれを、メンバー総出で検討しあう会合です。総出っつっても欠席者がいたりなんだりでなかなか総出にならないんですけども。野原は現在、人様の劇団に客演するために稽古の真っ最中です。ばんがれ野原。

 で、3月は頻繁に総会を開こうとしておりまして、というのも、ここ最近、ブルの活動は時間に追われることが多く、どうも取りこぼしというか、あらが目立っているように思われまして、いやなんですね、主宰者としては。ですから、本番は9月なんですけど、準備は少しでも早く始めたくて、だから私の体の自由がきく3月に出来るだけいろいろ決めてしまおうと。あらためて土台から。

 ブルドッキングヘッドロックも2000年の4月に旗揚げして、もうすぐ丸3年。4年目に突入します。続くもんです。田舎者の集団が。しかし3年もやってくると何かが当たり前になり、なにかが見えなくなってくるものです。ってすべての事がそうであるように言うのはあんまりですが。ことブルに関しましては、そういったところがちらほらあるように感じるのです。私個人もそうかもしれません。「物を創る楽しさ」。その勢いだけでやってきた3年間で、しかしその勢いだって、ほったらかしのままではなかなか続くもんではなく、いろんなしがらみ的なアレによって、勢いなんてもんはじわじわそがれてしまいます。んで勢いがそがれたときにいったい我々になにが残るのか。おそらくは何も残らないのだと思います。今のままだとね。何かを作りたいという衝動、それを大雑把に言えば「気持ち」なんて言うのかもしれませんが、「気持ち」に勝るものは無いと信じてはいるものの、それだけなら子供だって持ってるし、むしろピュアな分だけその気持ちは強く、20何年も生きてきていろんなことを知ってしまった私は果たしてそれだけでいいのだろうか。

 別に悩みとか迷いではありません。いや、だからといってすでに何かを見つけまして、というわけでもなく、これから仲間たちと探さなければならないのですけど、なんだろう、探してやるという決意。断固見つける。断固やる。

 こんなこと書くと、え、なに?ブルって問題あり?とか思われる方もいたりいなかったりだと思いますが、いえいえ全然問題は無く、大丈夫なんです。が、だからこそ問題にしていきたくて、このまま今のペースをキープしながら団体を存続させていく事も、まあ、可能なんでしょうけど、それではやってて面白くないと。旗揚げした当時のあの緊張感。別にそれに対する懐古でもありませんが、ギラギラ感はなくさないようにしないと、張り合いがありませんので。

 で、勢いの奥にある「芯」とでも言いましょうか、それを探すのが命題なのですが、と同時に、団体としてなにを見据えていくか。どこを見つめるか。どのあたりを視野に入れるか。そのことが必要で。んなこと当たり前なんですけど。旗揚げした頃は、まずは芝居を打つ事、前の公演よりも客を入れる事、みたいなほんとこれも勢いまかせな目標でやってこれたんですが、ここからはもっと確かな目線が必要になってくるだろうと。私だけではなく、メンバー全員がそれぞれにそう思っております。

 もっともっとお客さんを呼ぶ。

 なんだかそうかくとあまりに幼くて、書くんじゃなかったと思ってしまいますが、でも大雑把ではあるもののやはりお客さんを呼びたい。具体的な目標数まで書いちゃうとぶっちゃけすぎな感もあるかと思い控えますが、もう一つ大きな規模で皆さんにご覧いただけるようになりたいなーって。もともと身の程知らず、世間知らずな連中の集まりで、その辺のあつかましさは大事にしていきたいですからね。見てもらいてえなと。目立ちたいなと。いうことなんですけど。

 で、ここで気になってくるのがお客さんが入るって事が優先事項なのか、ブルの「芯」を見つけて大事にしていくことが先なのかってことで、その辺、おっきな劇団さんはどうしてこられたんでしょうね。

 矛盾なんですけど、私個人としましては、お客さんの数よりも「私の作品」というのを大事にしたいと思っておりまして、つまりお客さんを入れるためなら何でもいいってことではないという。

 正直、私が私の作りたいもの、私が楽しいと思うものを100パーセントで作っちゃうと皆さんにご理解いただけなくなってしまうような気がして、どこかでセーブしちゃってるところがある、かな?どうだろう。たぶん、ある。でも勢いだけではない何かを提示するなら、やはり作家である私が確固たる何かを見つけ提示しなければならないわけで、よし、わかった。

 作りたいもの作って、で客を呼ぶ。

 そう書くとあまりの短絡さに書くんじゃなかったと後悔してしまいますが、やはりそこから始めたい。諸先輩方もきっとそこから始めたはずだし。当たり前に存在する大きな壁。そこを乗り越えなければ先は無いと考えます。

 ということは、まず私とブルドッキングヘッドロックがなにをしようとしているのか、そのことをご理解いただかなければならないかもしれません。ご理解いただくことでもっとたくさんの面白さを共有できるはずですから。で、そうなると自分が一番そのことを理解していなければならず、そこがまず問題だな。企画書書くときとか困るんだ。私自身わかってない事がたくさんあるから。

 まずはそこから。私は、ブルは、いったいなにをしようというのか。この場所を使って探していこう。これも一つの冒険だ。思考の先になにが見つかるのか。ぐるっと回って戻ってきたっていいじゃないか。戻ってきたという事実が私を一回りぶ厚くする。よし、探検だ。冒険だ。

 今日はまじめ。こんな日もある。台湾の事は別枠で。出来れば。また明日。

2003年3月18日 03:20 | コメント (0)

初春の陽気に誘われて

 お久しぶりであります。3週間ぶり?それ以上か。日々の雑事に追われるうちに、時間だけがえらいバンバン消費されてしまい、そんな中、やっと、やあっと、こういったムダーなことに取り組めるだけの余裕が出てきた私、キヤスコウヘイであります。どうも。以後お見知りおきを。

 つっても過去を振り返れば今回以上に長期にわたってバックレぶっこいてた時期もあるわけで、まあ、そん時に比べればかわいいものなんですが、ただ一つまずったことに、バックレてる間にこのコーナーも一周年を迎えてしまったんですな。一周年か。

 続くもんだね。

 ぽっと火がついたらばーっとやっちゃって、ちょっとしたらふーって冷める、漠然とした言い方でアレですが、そんな私がですよ。何度も何度もばっくれてはいるものの、ここまで続けられるなんて。これもひとえに私自身の努力によるものでしょう。よくやった俺。

 そういった自分に対するお褒めの言葉とか、あと、なんかいたわり?そういった意味でね、一周年をつつましくもにぎやかにむかえちゃったりしようかなーと考えていたにもかかわらず、なんかずるずるとタイミングを失ってしまいましたよ。

 ま、そんなもんだ。

 もともとずるずる書き垂らす、みたいなコンセプトのこのコーナーですので、今さらそんな節目など必要が無いのでしょう。自分で一周年とか言っといてアレですが。

 というわけでぐだぐだの前置きもいいかげんやめて、まずはここまでの日々のご報告を。

 周知の事だと思いますが、「ワンダフルツアー」は無事終演いたしまして、ほんとにありがとうございますってことは、掲示板に書かせていただきましたのでここでは割愛させていただきますけども、ありがとうございました。みなさまのおかげで。ええ。

 で、楽日の次の日からさっそく声関係の仕事が待っておりまして、というのも本番の直前から本番中にかけての期間にあるレギュラーの収録は、すべてNGということでお休みを頂いておりまして、その分がね、どっと来るわけです。

 ドラゴンドライブ録って、テニス録って、ドラゴンドライブ録って、テニス録って、あと、ポケモン録って、なんか三重県の道徳教育用のビデオ録って、ドラゴンドライブ録って、ラジオCM録ってテニス録って、みたいな。

 んで、すでにご承知の方もいるかと思うのですが、「はじめの一歩」が4月の何日だかに金曜ロードショーでスペシャル放送決まりまして、それを丸一日かけて声ガラガラにしながら録りまして、んでさらに、やっぱりご存知の方もいるかもしれませんが、「DEARBOYS」のレギュラーが決まりまして、それの録りやら取材やらがありまして、なんだかおかげさまで忙しいんですけど、ちょっと落ち着く暇をくれ。

 本来なら「ワンダフルツアー」が終わって、そのことを振り返りながらあーだこーだと次のことを思い描いていきたいところなのに、まったく気持ちを整理する暇も無い。

 いやいや愚痴はこぼすまいと、いつか決めたはずだった。望んで得た仕事、望んで得た環境だ。今の多忙さにやられているようではこれ以上の多忙さに太刀打ちできない。私は望みます。今以上に多忙な毎日を。もう、出来る事なんて限られてんだからさ、若いうち。やるよ。声も舞台も。あといろいろ。

 まずは一歩、見て下さい。んで新番組見てください。それからレギュラー。ドラゴンドライブは無事最終回の収録を終えましたのですけども。

 ドラドラの現場はとてもいいところでした。みんな志が高い。レベルが高い。そんな中で、芯まで真っ黒な悪役の、しかも名前がおんなじな航平を演じさせていただけたのは、僕にとってとってもとっても大事な財産です。本当にありがとうござました。残りの放送もあとわずかですが、といおうと思ったら、ドラドラ、早速4月から再放送なんだって。なんだそれ。凄いな。あるの?そういうこと。なので、最終回を見てから、もう一回頭から見直すというのも、おつなのではないでしょうか。どうやって最終回の状況に辿り着いたかってね。見てくさーい。

 個人的には音楽の事。映像の事。すべては舞台に帰結するものですが、そういったことを吸収したい。今からの数ヶ月でなにを得られるか。それが今後の私の作品を左右すると考えます。オフもまた勝負です。

 あー、台湾の事も話さないと。楽しかったんですよ。これはまた改めて。

 あとねえ、・・・なんかいろいろあってだめだな。結局整理できないまま書いているので、なんか取り留めないし、どっから手をつけていいのかわかんねえや。

 少しずつ書こう。「ワンダフルツアー」の事。台湾の事。ドラドラの事。テニスの事。新番組の事。もちろん一歩の事。個人的な事。そしてこれからの事。これらの事をいちいち書き上げていく事は、つまり、遥か彼方を見つめつつ、足元に転がる数々の物事を拾い上げていくという行為。それには柔らかく、しかし毅然とした姿勢が必要なのだな、と思うわけです。

 最近掲示板に活気があるのが嬉しい。いろいろ書き込んでください。どうぞどうぞ。

2003年3月17日 02:12 | コメント (0)