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「今」ということ

 結局こんな時間だ。夜更かしにもほどがある。最近どうも夜更かしが過ぎて駄目なのです。次の日に仕事があろうがなんだろうがとりあえず目がらんらんとするので寝れないのです。まいったものです。が、その分ここにいろいろ書けるので良いのかもしれません。いや、ここに書いてるから寝れないのか?

 昨日、厳密にはもう一昨日になるのか、撮影スタジオにおりましたと書きましたが、文字通り撮影をするためにスタジオにおりまして、なんと申しましょうか、ほんとこっぱずかしい写真を何十枚と激写された私なのでした。「DEAR BOYS」の仕事の一環です。おそらくいずれ世の中に出回ることになるのでしょう。これを読まれている方は、それらを見つけたからといってやみくもに人前に持ち出さないように。こっそり隠し持ち、むしろ封印してくださる事を切に願う次第であります。

 だってすっげえはずかすぃーんだもの。

 共演者の松風君、鈴木君、武内君、小西さん、それぞれみないい人で、若いし、ずいぶん現場の雰囲気も和んできてとても良い感じです。鈴木君なんて19歳なんだと。19歳って。オレなんて19の頃は広島の山の中で酒に溺れてふらふらふらふらしてましたよ。どうなってんだ。で、武内君の初々しさ。おっさんたちのうごめく中、一人緊張した面持ちでたたずむ様はまるで若かりし日の私を見るようで、っておれはそんなにおっさんか?いや、自分でもずいぶんおっさんだなと思ってはいたのですけど、なんだろう、いつの間に先輩?なんかどうも先輩ぽいことになっているのですこの現場では。まずいな。当分後輩キャラでお願いしたいと思っていたのに。しっかりしなきゃいけないのかな。ま、小西さんは私よりさらにおっさんなのですが。で、松風君がいい具合に盛り上げてくれます。松風君は、かつてはメガレンジャー、今ではおはスタ月曜日で活躍中の好青年で、好青年なんだけど全体に漂う胡散臭さがかなり面白い。いろいろやって盛り上げてまいりますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

 はい、新番の宣伝でした。

 さて、今日、昼間に少し時間が出来たので、外で飯を食いながらいろいろと、徒然に、作品の事、ブルの事について考えをめぐらせてみましたのでした。なんか思考はそこかしこに飛びまして、だからたくさん考えは出てきたのですが、どこから書いていいものか。

 面白さを考える上で一つ私の中で外しておけないのは、それが「今」のものであるかどうかという事で、別に時代の先端を行くぜみたいな欲は無いものの、なんと言うか「古い」のはやはりいやなのです。それは時に乱暴な言い方で「ださい」と表現されたりするかもしれませんが、もちろん「ださい」にもいろいろあるとは思いまして、あえて「ださく」することで生まれる笑いや効果があるでしょうから、全ての「ださい」を否定する気はまったくありません。さらに、だからといって「おしゃれ」が良いというわけでもなく、「おしゃれ」は「おしゃれ」で良いとは思うものの、そういうことではなく、やはり気になるのは「今」なのです。

 「今」の空気。「今」の私が求めるもの。「今」のみんなが求めるもの。「今」できること。「今」しかできない事。「今」。

 今、あらゆるジャンルにおいてニーズは多様化し、その中で大きな流れを見極める事は、非常に難しいような印象があります。実際いろんな選択肢があるからね。どれを選んだってある意味間違いじゃないかもしれない。しかし、きっとその多様な、あるいは複雑な時流の中に見極めるべき流れがあるはずで、それはまだ大きい流れではないかもしれないけど、でもそこを見極めなければ、誰かの表現を踏襲するだけに留まってしまうのではないかと。いや、踏襲でもいいんですけど。「今」の空気が生んだ事なら、そこには新しい何かが含まれていると信じます。「今」主義。

 ところで近頃「ぶっちゃけ」という言葉が話題になったりならなかったりしているようで、なんだかなんでも「ぶっちゃけちゃう奴」がいるみたいなんですが、あれはどうなのでしょうか。「正直言うとぉ」とか「はっきり言うとぉ」みたいな意味ととらえますが、「ぶっちゃけ」という言葉に私は大きな力を感じ、それはつまり「めんどくさい」ということではないかと考えます。本来なら抑えておかなければならない、我慢しなければならない、相手のため、自分のため、みんなのため。あるいは、よーく考えて上手く伝えなければならない、丁寧に。理解できるように。傷つけないように。それらの想いはしかし「ぶっちゃけ」という言葉の台頭によって簡単に破壊されるようになったのです。「ぶっちゃけ好きだよ、おまえのこと」はつまり「めんどくさいから言うけど好きだよ、お前の事」だし、「ぶっちゃけオレ連続殺人犯なんすよね」は「めんどくさいから言うけどオレ連続殺人犯なんすよね」だ。そんなこと言う奴はいないだろうけど。で、「ぶっちゃけ」という言葉の効果は、「ぶっちゃけ」ることでなぜかその後の発言の印象を軽くするというもので、「好きだ」という告白行為も「連続殺人なんです」という告白行為も、なんかたいしたことないような気にさせてくれる。だから「好きだ」とだけ言うよりも軽い分だけ、受け手も軽く受ける事が出来、仮に受け手がそれを迷惑だと返してきても、なんせ軽い発言だから本人に返ってくるダメージも少なくてすむ、という事になる。「殺人」にしたって、「ぶっちゃけ」付きで暴露されたら、こっちは「まじで?」というくらいにしか返せないのではないか。なにを言ってるんだオレは。

 そうやって軽く言えてしまえるということで言葉そのものが軽くなる事を、私はあまり歓迎しない立場です。「ぶっちゃける」ことで、極端な言い方をすれば、発言の責任を放棄しているようにすら感じられます。ただ、その根っこが「めんどくさい」なのは、なんというか、面白いと思え、そうやってあきらめてしまう、人の駄目さ加減が好きではあります。めんどくさいという力。思考をやめたとき、人は「ぶっちゃける」のです。思考を止めてしまった人の姿を思い浮かべてほしい。身近な人で結構です。きっとそういう人は微妙に口を半開きにし、目はどこ見てるんだかわからない感じで、若干首がどちらかに曲がったまま、手も開いてんだか閉じてんだかわからない曖昧さで、ぼんやりおっ立っているのでしょう。なんという自然な歪み。「ぶっちゃける」とはそういう姿、状態のことなのです。

 べつに「ぶっちゃけ」から「今」を読み取るなんて気はさらさら無く、ほんと採り上げたかったから書いてみました。すげえ眠くて半開きのまなざしで書いたので、ちゃんと読み返したらめたくたなことになっているのかもしれませんが、もう眠くて眠くて仕方が無いので、もう、このまま修正もせずに掲載します。明日、読んでみてやべえと思ったら明日修正します。なんという無責任。でも眠いの。

 今まさに、私はぶっちゃけた状態なのかもしれません。

2003年3月22日 05:49

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