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バランスを崩せ!
売れてますんべ、ナイロン100℃。あんまり売れるもんだからますんべってなっちゃっうほどですよ。すげえなあナイロン。メンバーなんですけども。売れたお金で別荘とか建ててくんないかなあ。その前に持ち家がなきゃってね!家が欲しい。豪邸。誰かください。豪邸をお願いします。もう、ダウンタウンの浜ちゃんとか住みそうな。ノリさんでもいいよ?とんねるずのね。よく分かりませんか?オレもよく分かりません。
さて、現実逃避はほどほどに。今日はブル総会。かたや前売りが売れて売れてどうすんだっつってる劇団のメンバーであるところの私が、しかし片方では「どうやったら売れるんだよ!ファッキン!」とか言ってる集団のメンバーでもあるわけだから、そうやって世界のバランスは保たれているのかもしれませんね。
ざけんな!!バランスとか糞喰らえ!!どっちも売れたいのよ!!おいらはよ!!
というわけでいかに一般のお客さんを増やすか、という所を現在の最大の課題としてですね、話し合いを進めていこうとしております。まだ具体的なところには進んでおりません、正直。ここから。ここまでは、それ以前のもっと基本的なことを話しておりました。それもそろそろ卒業したいなってね。わけで。次のステップに進む為には、やはり大事なのはさらに多くの新鮮なお客さんとの出会い。それがなければ成長はないと。作品的にもね。
今、新たな活動へ向けて水面下で検討を重ねております。まだまだ不安材料が多いので、鼻息馬並みで発表!(わけがわかりませんね)というわけにはいきませんが、やってやろうと思っています。やらずに能書きたれてても仕方がない。それよかやる奴の方が、バカかもしれませんが、それでもやっぱりいい。流される事なく、懸命に抗って、かたちにします。おす。
はい。意気込みでした。
明日はなんだっけ、アニメディア?の取材?とか、なんか仕事がありまして。ここ数日がずいぶん自分ペースだったので、気持ち切り替えないといけない感じです。寝なきゃ。
あ!昨日はみのすけさんのライブがありまして、近所だったので楽な気持ちで行ってまいりましたが、よかったよー。優しくて面白くて。みのすけさんの歌、生で聴くの初めてだったんだけどね(なんでだろう、タイミングが合わず?)、聴けてよかった。ゲストの方々もよくて。いい雰囲気でした。ちょっと報告。
では。
わずかに告知
ナイロン100℃、10周年記念公演「ハルディンホテル」。ついにそのワークショップ開始。えんえんエチュードをやりました。緊張するよほんとエチュードだけは。その成果がどのように活かされたかは、本番を観ていただくしかないっつうことで、どうぞ観に来てください。観に来るしかないって、これはよ。
それと、次回の活動へ向けて、ブルドッキングヘッドロック制作チームのミーティング。具体的になるところ、まだまだなところ、様々に話しは進み、もう少しでなんとか皆さんにもリリースできる所へ辿り着けそうです。慎重かつ大胆に組み立てたいと思っております。お楽しみに。ナイロンの後だから来年だけどね。
10月はDEARのイベント。11月はナイロン。やることつまってるねえ。うは。
いいものを観た
コンドルズ「スターダストメモリー」を観る。
素晴らしく面白くて。
普通に客として堪能してしまいました。メンバーの小林顕作さんと「S21」でご一緒させていただいたのをきっかけに初めて観に行ったのですが、いやあ気持ちの良いステージ。コンドルズはダンスカンパニーなんですけど、ダンスはもちろん、映像もコントも盛りだくさんで、超エンターテイメント。もちろん根っこに魅力的なダンスがあるからいろいろできるんでしょうけど、素直に素敵だなあと思ってしまいました。
刺激になりました。
我々ブルドッキングヘッドロックが、今後さらに作品内容の充実を図るのは当然のことなんですけど、それに伴って、ちゃんと世間様と折り合いをつけられる集団になりたいと思っておりまして、ま、ぶっちゃけもっとお客さんを呼びたいってことなんですけど、もうね、呼びたい。もっともっと。
そのためになにを考えなければならないのか。そのことを、この前の「シベ少」にしろ、今日の「コンドルズ」にしろ考えるきっかけを与えてくれた気がして、とっても楽しいです。いい刺激。
いろんなことを考えなければならない。そのことを楽しめる今だからこそチャンス。ずんずん行きたい。ですよ。来週からはいよいよナイロンも始動しますしね!たんのしみだこれ!役者だ役者!働き盛りだオレ!
あと、掲示板で知りましたが、シークレットは当人にもシークレットな様子で、オレ、もう当選者が出始めていることを知りませんでした。当たった方おめでとうございます。まだの方、あきらめず待ちましょう。まだまだ。どんな内容になるかは、もちろんシークレット!楽しみに待ちましょう。すこーしずつその全貌が明らかになるはずです。やっぱ働き盛りだオレ。
サックスは雨の為お預け。スタジオまでの道のり、かんなりの雨だったので、濡らしていい事はないと判断。無理はしません。飽きたくないので。
いろんなことを考えたいし、いろんなことを体験したいし、観たいし。それらのことはここに書き記していきます。まとまる考えではないかもしれませんが、考えなければ変わるはずはなく、前を向かなければ進むはずもない。進め進めブル、オレ、あとなんかいろいろ。
そんな気分にさせてくれた「コンドルズ」でした。
のん気な昼間に
オリガト・プラスティコ「西へ行く女」を観る。岩松さんの書く作品を見るのは初めて。大変だなーと思いました。のんき?
演じるのがとても難しいと思ったのでした。
実際、出演している安澤ねえさんも難しいの、と言っておりましたし。でもやりがいがあるんじゃないかなあと。演出力、役者力、そういう根本的な力を試されるそんな戯曲でないかなと、いま自分が考えてる事にどうしてもつなげてしまう私なんですけども。
残念ながら昨日の終演後、ケラさんにお会いする事はできず、お話しはできなかったのですが、それはまた別の機会に。
ここんとこ舞台を観る機会が多いのは自分に時間の余裕があるからで、いいねえたまには。余裕。吸収する時間が私には必要です。追われて使い果たすだけではね。枯れてしまう。あと1週間でナイロンのワークショップも始まるし、その前にできるだけのことはやっておこうと、先々のためにそう考えております。
サックスも触んなきゃ。むふふ。
天気がいいので洗濯洗濯。あ、海行きてえ。
「ソ」の謎と芝居考と
気がつきゃ数日経っている。早いよ。
なにをやっていたかといえば、えっと、前回公演の反省会でしょ、自主映画「苺の日」の撮影でしょ、シベリア少女鉄道の芝居を三鷹に観に行ったでしょ、サックスの練習したでしょ、あと、なんかしたでしょ、なんかいろいろしてました。あと気分転換にファミコン引っ張り出してツインビーとかやりました。なつかスゥィート。
暑くていい。しかもずいぶんからっとした暑さ。やる気にもなる。
サックスの練習をしているのだがどうもオクターブ上の「ソ」がだめだ。「ソ」の音が悪い。割れるんだよねえ。なんだろう。「ラ」と「シ」はいい音。「ソ」に降りて来ると音が変わる。で、そうなってくると「ファ」辺りも悪くなってくるから困ったものである。で、もう一度気を取り直して「シ」から「ラ」「ソ」と降りていくとなんだよ今度はちゃんと出るじゃねえかってわけで、これってやっぱりオレの吹き方の問題?つかアルトサックスなんですけど、高音と低音では、安定した音を出すのに難易度の差とかある?高音の方がむずかしめとか。なんにせよ「ソ」が気になるんですけどね。下唇の内側が、歯が当たってしびれてなんかいかりやの長さんにでもなった気分。それもまた心地よし。よかねえか。
♯、♭はまだ憶えられず。まずはきれいに音を出したい。いい音である事に感覚を研ぎ澄ましていこう。これはもう役者的作業だね。いい音で喋る事。やはりそこに感覚を研ぎ澄ます。
そしてもちろん気持ち。ハートとか言ったりする人もいたりいなかったりだ。語尾を変えてみました。
「骨」の稽古ではとにかく「気持ち」について執拗に執拗にしっつよーーーにダメを出しました。それはもうなんて言うの、世界を作るうえで必要不可欠な、世界の住人、登場人物のリアリティ、を形成する為で、世界を作ろうとする作業とはそういう意味でとにかくこまかーーーーいディテールの積み重ねだ。と言えるのではないかと。
そういう意味で昨日観に行った「シベ少」は面白いと思うものの、面白いという事のわかりやすさには敬服しまくりなものの、でも、私の観たいものはまた少し違うものだと思った公演でした。それをわからせていただけたのでいい体験だったです。
徹底的に物語的な前振りをしておきながら、後半怒涛の「仕掛け」で物語を捨てて笑いに持っていくその手法、そしてそれ自体を目的にしている点は確かにどことも違う特色で、「シベ少」が今伸びているのは、制作的にも売りがはっきりしているし、リピーターも生まれやすいからなんだと思い、その物語の放棄の仕方には学ぶものが多くてほんと頭いいなあと思っちゃった私であります。あと、そういう「仕掛け」重視な辺りが芝居なめてる感じがして、それがいい。いい具合に楽。
ただ、やっぱり私が作りたいのは辛くともしんどくとも、もっと確固たる「世界」なようで、方法論的面白さは、んー、正直まだまだ自分自身弱い所があることが「シベ少」観て、いやっつうほどわかったんですけど、でもなんだろうそれよりもなによりも世界の面白さ。それはそのまま登場人物の魅力。作品世界の住人の魅力。役者の魅力。演技の面白さ。っつう意味ではもうこれ今時どうなんだってくらいど真ん中ってことで、今やど真ん中過ぎてマイナーな面白さなんじゃないかって勢いですよ。映画産業もね、芝居よりも、テクニカルな何かが主役になっちゃたりするご時世ですし。
でもそこで勝負したい。だって私はうちの役者の事、とっても面白いと思っておりますので。「仕掛け」の為の駒ではない。生きた人として舞台の上に現われ、観る人々にいろんな何かを生み与えていく。もう、なによりもひとぢから。そこをもっと突き詰めよっかなあと考えた昨日今日明日なのであります。
それにしても「ソ」がなあ。
取り掛かった諸々について
ようやく部屋の片付けに取り掛かる。
散らかった状態がずっと続いていたので、どこからてをつけたらいいのかわからず、途方にくれて何日も見過ごしていたのですが、そろそろなんとかせねばなるまいと思い、今日、ようやく手を出し始めました。
少しずつがんばります。
それとさっそく新作品の構想をパソコンに書き込み保存。まだまだ大雑把なのでそれが面白いかどうかっつうと、思いつきの域を出ませんからだめなんですけど、とにかく、さっそく手をつけ始めましたという報告を。膨らませていきます。
それとね、サックス。練習がしたい。近くにでっかい川でもあればな、それこそ土手まで出てって腹いっぱい吹くんですけど、いかんせんこの辺は田舎的閑静な住宅街。というわけで近くの公共施設の中にある小スタジオみたいなのが借りられるか調べに行こうと思っております。遠慮して吹いても音は出るものの、やはり安定しないので。おもくそ吹きたい。あと、♯と♭の押さえ方は、さすがに独学ではムズいと判断。本でも読んでみるかと思っております。とにかく今は楽しい。
暑くて暑くて、しかしおかげでやる気が出る。遅れてきた夏は、我々の公演が終わるのを待ってくれていたような勢いですよ。
さ、さ、おかたずけーい。かぜまかせーい。
買ったよオレ。買っちゃった。
ほんともう個人的なことであれなんですが、諸々の理由と、あとけっこうな衝動により、私は今日サキソフォーン、略してサックスを購入するに至りました。けっこうな買い物よ、これ。
練習して吹けるようになったら、自分のプロフィールの特技の欄にも書ける事が増えますし、ま、やってみよっかなってね。がんばります。喜安浩平28歳。遅くはない。
しっかし美しいねえ、管楽器は。管に限らず楽器は美しいですけどサックスはひときわ複雑で美しい。まるでこれは、・・・女性そのものだ!!!!しかも私好みの!!!触るのをためらう輝きですよお!!!いや、触んなきゃ始まらんのですけど。むふううう!!
なんか昨日の映画といい、今日のサックス購入といい、いつもなら公演後は燃え尽きてだらだらと過ごしがちな私が、なんでしょう今回はまだまだやれる。そんな勢いですね。それは昨日書いた反省文にも込められてはいますね。なんだろう、やりきったすがすがしさよりも、もっとなんとかしたいという向上心、そういったものが臆面もなく顔を出しておりますよ。
ま、続かなければ意味は無く、気負わずにやっていきます。
昨日書いた内容から、さらに踏み込んだ所を書いていきたいと思うものの、それには少しばかりの体力も必要で、しかし今日は自主映画の打ち合わせや事務所との打ち合わせなど、打ち合わせ三昧の一日だったので少々疲れており、なので明日以降に持ち越します。鉄は早い目に打っておきたいと思っておりますので、早い目に考えをまとめていきたいとは思っているのですが。
そうそう打ち合わせって、そう、自主映画撮ります。篠原が。企画製作は第5回公演「パンクの園」に出演していただいた中西広和氏。彼の執筆した脚本を元に、ウチの夜更かし監督が辣腕を振るうわけです。その作品にちょっとばかしお邪魔する事になったわけです、僕キヤスです。どこかのコンペに出す事を目指しており、なので中西さんの鼻息も荒々しくなる一方です。いい作品になることでしょう。貢献できるよう、それなりにがんばります所存です。おす。
さ、夜中なのにサックス組み立ててみよ。こっそり音とか出してみよ。きゃ。
打ち上げで酔えなかった一因について
「座頭市」を観る。けっこうわかりやすくて面白かったです。わかりやすいって素晴らしい。最後のダンスは微妙だと思うものの、それも意味はあると思い。
自分の作品は毎回「よくわからない」とアンケートに書かれます。しかたがありません。あえてよくわからないと思われるように書いているのです。なぜかといわれるとすごく説明が難しく、その辺のわかりにくさが座りがいいからってなんだか雑に言ってしまうのもいやなんですけど、なんだろう、私は、どこまでつきつめていっても他者との完全な理解と共感は困難だと思っていて、そのスタンスが私の作品にも反映されてるんだと思います。でも、それでも、ほんのわずかな、あるいは一瞬の、共感できる箇所があれば、そのかすかな喜びに心躍らせたい私もいるのです。そのために作ってるというしかないほどに。それはもう、まとわりつく孤独感との共存と闘争の繰り返しです。だからなんだって話しですが。
今回「骨」を皆さんにご覧いただいて、そこから学習したことはたくさんあるんですけど、ブルを立ち上げた頃から見ていただいているようなお客さん、あるいは関係者の感想の中で興味を持ったのが、今回の作品を「今までで一番わかりやすい」と言ってくれた方と、「今までで一番難しかった」と言ってくれた方にぱっくり分かれたという所です。
私は毎回、物語を放棄しよう、イメージを紡げば物語ではないなにかで本は出来上がると思って書いているのですが、でも今回、今までで一番物語にこだわったのかもしれません。物語的カタルシスが生まれるような要素が今までのどの作品よりも多めに含まれていた、と分析します。だって前半の物語がちゃんと伏線ぽく処理されてるからね。こういうことかしら?っていう、まあよく使う言葉ですが「解釈」がしやすい作品だったとは思います。ただ、やはり僕は物語を重要だとは思ってなく、なのに物語的なモノが多分に含まれてしまったために、ある人たちには、今回の作品がわかりにくいとうつったのだと思われます。つまり、僕の、今回の作品に対するスタンスが今までのどの作品よりも曖昧だったと、そういうことだと考えられますというわけです。
そこに反省と発見を見出します。
確かに、お客さんにもっと作品の見方そのものをわかりやすく提示する努力をしなければならないと思い、それは例えば大雑把に言えば「物語は重要ではない。この作品には意味もテーマもない」というスタンスで、その作品の「世界観」あるいは僕そのものの「世界観」と言えるでしょう。「意味は無い。ただそこにある」という。僕の見つめ方そのものがより研ぎ澄まされるならば、みんなもきっとその見つめ方でもって作品を見るだろうからその作品をどう面白がればいいのかっていう点において迷う事は少なくなるだろうと考えられます。あったりまえのことだけどね。
同じ方向から見つめよう。手はつなげなくとも、同じものは見えるはず。それこそやっぱり孤独との共存と闘争ですが。
そして逆に、それでも集団として活動を継続していくなら、そこには観客の支持が必要なわけで、そのためにできるサービスの一つとして、なんらかのカタルシス、理解と共感の為のこちらからのアプローチを怠ってはいけないということを肝に銘じなければいけない。私はコミュニケーションがとっても下手で、それはきっと相手に何かを伝える努力を自分自身甘くとらえているからだと導き出され、つまり何かを伝えたいなら伝わるだろう行動に出なければ伝わるはずがないという当たり前の、あまりに当たり前の結論にいたるわけです。
オレはここから見つめているよ。という。
きっとブルのメンバーは私と同じ角度から作品を見つめようとしてくれているのだと思います。じゃなかったら今回の作品も成立しなかった。そこにこそ最大の感謝。
私は孤独だが孤独ではない。
今回の作品を観てくださった方々、それ以前の作品から観てくださってる方々とも、さらに角度の調節をしたいと願います。私と皆さんの角度がさらにはっきりとあわさった時、そこにはより鮮明なブルドッキングヘッドロック的世界が見えるはずです。
私はまだ甘い。そう思わされるのに充分な経験でした。そして、もっとできる、こんなもんじゃない、と思える公演でもありました。
みなさんどうもありがとう。こんな調子ですが今後ともどうぞヨロシク。「世界の北野」は遠くとも、負けじと思わねば勝てるはずもない。さ、新たな出発。
「骨」終演!
ありがとう。ほんと各方面にありがとう。
落ち着いたらちゃんと書きます。今は気持ちと裏腹に体力が欲しいので。休みます。
明日は部屋の掃除。洗濯。それがすんだら、そう、次のことでも考えようか。前を見るしかないのですからね、おいらたちはね。
すぐまた会えるさ。ではでは。