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「喜安浩平の世界」その1

「喜安浩平の世界」について。もはや定かではない記憶も交えつつ振り返る。


最初にお話をいただいたのは2010年、まだ肌寒い季節の頃ではなかったか。中西プロデューサーに食事に誘っていただいた。そこで、私となにかが作りたいという、とてもざっくりとした構想をうかがった。構想というか、そう、希望のようなものだった。中西さんが終始楽しそうにお話をしてくださったことを、今でもよく覚えている。


その後、しかし私はブルドッキングヘッドロックやナイロン100℃の活動に時間の多くを割かれ、いただいたお話を具体的に進めることが出来ずにいた(「桐島、部活やめるってよ」も書いていた)。


そんな折、中西プロデューサーが、あらためて私の背中を押すように、再度食事会を開いてくださった。この時、中西さんが、私と加藤さんというプロデューサーを引き合わせてくださったのだが、ここから色々なことが大きく動き始めたと記憶している。最大の変化は、このあとしばらくして、アニメーション製作のスタッフが具体的になったことだ。こればかりは加藤さんなくしては決まらなかった。私にとって未知数の部分を補ってくださった、大変ありがたい存在だった。途中、諸々の事情で製作からの離脱を余儀なくされ、完成を共に祝うことができなかったことは大変残念だったが、きっと加藤さんの元にもDVDは渡っていることだろうし、その出来にも満足していただけていると信じている。


それにしても食事会は重要だ。


打ち合わせではない。食事会だ。なんせ食事をすればいいのだ。しかし、だからこそ、自由な発言が許され、結果私みたいな人間をうまいこと調子づかせてくれる。おかげでなにやら好き勝手なことを話させていただいた気がするし、私以上に中西さんは好き勝手なことを仰っていたように記憶している。そこで生まれた勢いが、その後の私たちを動かし続けた。


この企画に、とくに絶対に実現させなければならないという、重大な使命は無い。それでも多くの労力と資金を投入してそれを作ろうとする時、そこには得体の知れないなにか、それがつまり勢いだと思うのだが、そういったなにかがないと、現実にはなかなかなり得ない。0からなにかを作る時、そこには必ず勢いがいるのだ。元気と言い換えてもいい。それが持続できたことが、なにより大きいと思っている。


私もいつか重要ななにかを始動させる日が来たら、食事会から始めようと思う。それがこのプロジェクトから学んだことの一つだ、と言ったら誰かにバカ野郎と言われるだろうか。


話がそれた。なにせそういうわけで、話が具体的になり始めた。こうなってくると、私も後にはひけない。そこで、少しずつ脚本に手をつけ始めた。


最初に書いたのは、『初めてのお祭り』だった。


私の作品には、よく「お祭り」や「神輿」が登場する。そういう点で、私にとっては、最もスタンダードな作品と言えるのが、『初めてのお祭り』なのである。


軽い気持ちで味わえる短編を幾つか、という基本構想は、いつの間にか中西さんと私の間で共有できていたので、まずは思いつくままに、短いアイディアを本に起こしていこうと考えた。


なので、『お祭り』も、“素人がなぜか神輿を組み立てなければならない”というアイディア以上のなにかを加えようとはせず、ただもうそのことだけで最後までひっぱった。まあ最終的に、なぜか5人の背景をモノローグで語るという流れを思いついたので、無駄に世界に奥行きができ、奇妙な手触りの作品になってくれて、よかったのではないだろうか。


コントとは言え、世界に奥行きがあるのはいいことだ。気をつけなければならないのは、キャラクターだけ、世界観だけ、言葉の奇抜さだけ、にならないことだ。それでは平べったくなる。テレビのバラエティで見るようなコントとは異なるものにならなければ、わざわざ作る意味がないと思っている。

 
続いて、『初めてのインタビュー』『初めての感覚』『初めての来訪者』『初めての自転車1』が立て続けに出来上がった。


『初めてのインタビュー』に登場する初平禁次郎というキャラクターも、私がかつて書いた作品に登場している。『お祭り』に続き、登場済みのモチーフやキャラクターを使う辺り、どうやらこの頃はまだ、私もなにかを探っていたのだろうと思われる。


20代前半に書いた作品に、“初平さん”は登場していた。その時の名前は“松平さん”だった。しかし、この時にはすでに、女性にとことんセクハラを働く大物俳優という大枠はすっかり出来上がっており、今回はそれを、10何年の歳月で培った小手先のテクニック(!)でもって、より強靭な、より執拗なキャラクターに仕立て上げたというわけだ。


『初めての感覚』と『初めての来訪者』は、結末を先にイメージすることなく、筆の走るままに書いた作品である。そういう意味で、ブルドッキングヘッドロックに書き下ろす時に近い感覚で作ったものと言える。どういうきっかけがあったかはわからないが、そろそろ現在のスタイルで書いてもいいのではないか、と思い始めたのだろう。ブル同様、矮小で、しかし説明しがたい自由がある。これらの作品に、ブルドッキングヘッドロックの役者が多数出演しているのは、必然なのである。


『初めての自転車1』は、今でこそ1となっているが、最初から連作にするつもりはなかった。プロデューサーから、石井真さんと喜安が共演できるものを一つ、というリクエストがあり、ということは、販売元も一緒だし、某アニメ作品を連想する方がたくさんいらっしゃるだろうと容易に想像できた。じゃあいっそはっきりそれを連想していただいた方が、面白いし刺激的だろうと思って書いたら、ああなったというわけだ。


なぜ連作になったかと言えば、1だけではただの言葉遊びでしかなく、表現が浅いと感じていたからだ。自分で作っといてなにを言うか、と仰る向きもあるだろうが、なんせそうなのだ。だって、ただひたすら言葉の意味をずらして遊んでいるだけなのだから。というわけで、その遊びを物語に乗せることで少しでも遊びを豊かにし、作品に奥行きを作ろうと考えたのだった。


というわけで『自転車2』『自転車3』ができあがった。最後に出来上がったのが『初めての修羅場』だった。


実はさらにその後、『初めての地球』というとても短いエピローグを作ろうと考えたのだが、適当な着地点をイメージできず、むしろ着地点など無いのがこのDVDのらしさではないか、とも考え、そのエピローグはそっとボツにした。提出もしていないので私の頭の中にしかない作品である。


『自転車2』と『自転車3』も、3作揃えばストーリー仕立てにはなっているが、『自転車1』と同様、基本はただの言葉遊びだ。脚本の構造としては一番簡単な種類のものと言えなくもない。要はいかにソレになぞらえるかなのだ。で、ソレというのはまあ、見ていただけばわかるわけだが、当然、1より2、2より3の方が、使える言葉が減っていくので、なぞらえるだけの作業でも徐々に難しくなっていく。最後の方にはずいぶん手こずったことを覚えている。しかもできれば物語を収束させたかったので、なにかしらの“終わらせるアイディア”も必要だった。そこで、男同士のはずが、まるで男女の別れ話のようになっていくという、もはや下ネタですらないところまで飛躍させることにした。別れ話には往々にして感情的な言葉が飛び交う。そして、わかりやすいクライマックスには感情的な言葉が大変都合がいい。別れ話にまでもっていったのは、なかなか良かったのではないかと思っている。


『自転車』以外の全ての作品に言えることだが、『修羅場』はとくに誰が演じるというイメージを持たないまま書いた。おかしみの構造はシンプル。ただ、誰もが予想するひねりの後にもう一ひねりすることで、重心が後ろ寄りになり、最後もキュッと締まるという、短編らしい短編にすることができた。短編のつもりが中編並のボリュームにまで膨らんだ作品が多く出来上がってしまっていたので、意識的に短編として書いたのが、この作品の特徴とも言える。これくらいすっきりした構造のものをもう幾つか書くつもりだったが、私にはこねくり回してオカズを足しまくってしまう傾向がある。そこは反省し、なにか別の機会に活かしていきたい。


といったところでいったん筆を置く。長くなった。次回は、絵のこと。収録のこと。最後に作品一つ一つをもう一回、順番に振り返るつもりだ。つもりだからいつになるかはわからない。気長におつきあいいただきたい。


2012年9月25日 01:31 | コメント (6) | トラックバック

『映像で!見る!ブルの世界2012!』

ブルドッキングヘッドロック初のミニイベント、


―「Do!太宰」「嫌な世界」DVD発売記念!―『映像で!見る!ブルの世界2012!』


が、無事終了いたしました。ご来場いただきました皆様、ありがとうございました!

劇団がこういう企画を行うことはあまりないと思います。それでもやはりそこかしこに劇団を感じるイベントでした。


司会を男性メンバーが日替わりで務めましたが、それぞれの個性はもちろん、二人のコンビネーションがあったりなかったり、それでもなんとかなったりするところに、この劇団の色を感じました。


諸々のイラストを永井に頼んだ以外にも、お茶のサービスは伊藤にまかせたり、オペレーションは林、岡山、深澤、小島に短い打合せにも関わらず奮闘してもらったり、そういうところにも劇団を感じました。


使用したBGMは全て、西山が過去に製作した楽曲でした。我々にはやはり馴染みがよく、あの空間をうまく埋めてくれました。


イベント中に津留崎が写真を撮ってくれていました。いい写真を撮ります。それについては後ほど選定して公開します。


映像チームの猪爪、篠原の、無駄だったり有益だったりの数々の努力の積み重ねが、無理だと言われた「スケベの話 PLAYPARK編 映画版」の完成を実現させ、蔵出し映像のコーナーを大いに盛り上げてくれました。映画版では、実は藤原よしこが縁の下でいろいろ動いてくれていました。それも大きかった。


もちろん今回のイベントは、普段から物販チームを務める寺井、山口の二人の頑張りなくしては語れません。使用する映像と音楽を全て整理したのは寺井だし、あの山のような商品を用意したのは山口です。


だれも別にその筋のエキスパートではありません。劇団だから為せたことだと思います。


ついでに終演後、人力・人海戦術で慌ただしく椅子や機材を片づける姿にも、劇団というものを感じました。打ち上げの後、叩きつける雨の中、自宅から持ち寄った椅子を手運びして帰ったメンバーもいます。


今回、受付には坂下さんという素敵な女子を、映画製作にはプロの優秀なスタッフさんを招き、よりよいイベントとなるよう尽力していただきましたが、基本的に全ての準備や進行を、劇団員だけで行いました。普段の公演では、様々なスタッフさん、ボランティアさんのお力を借りまくっている我々ですから、こんなに劇団員が劇団員だけでなにかをすることは、実はとても稀なケースです。


だから、劇団を感じたのは当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。しかし、だからこそなにかを問われるよこれは、とも思っていました。


劇団だけでなにかをやってなにかがうまくいかなかったとしたら、それは直接劇団に跳ね返ってきます。ましてや演劇ではなく、イベント。わざわざ不慣れなところで勝負しようとしているのですから、規模の大小とは関係なく、実は大変なことをしようとしていたのだと思います。


実際うまくいったかどうか。それは、今すぐ答えの出るものではないと考えます。劇団とは、演劇という手法を使って活動する、連続した運動体です。答えはこの先の我々の活動の中に反映されて見えて来るのだと思うのです。


ただ、何人かのお客様には直接声をかけていただき、とても楽しそうにお話をしてくださいまして、その様子を拝見しているうちに、うまくいったのかもしれないなぁとホッとひと息つかせていただくことがありました。声をかけていただき、ありがとうございました。どうぞどんどん声をおかけください。


また、打ち上げの席で、いつになく劇団員が楽しそうに話している姿も見ました。何時間も飲んでいましたが、なかなかみんな元気でした。そんなところにもホッとしました。そして、次になにかが反映されればと、さらに強く思いました。


なにせ元気であれと思います。まず我々が元気でなければ。元気でいるのも我々の仕事です。


そういうわけで、劇団員が元気にイベントを行い、元気に打ち上げているのは、ともていいことだと思いましたし、よし次だ、と思えました。その点において、やってよかったイベントでした。


個人的には、もっと蔵出し映像をご覧いただきたかったし(DVD化してない「女々しくて」をはじめとした作品群や、くだらない映像がまだまだ多数ありました)、「スケベの話 PLAYPARK編 映画版」の話もしたかったし(35分の作品ですが、話せることはいろいろあります)、「Do!太宰」と「嫌な世界」の話もしたかったし(この大切な2作品のためのイベントでした)、私がコンビを組んだ篠原の司会のあまりのgdgdっぷりに物申したかったし(実際打ち上げで皆から無数のダメ出しをくらっていました)、いろいろありますが、うん、まずはよかったよかった。


皆様がこのイベントを経て、さらにこの劇団に愛着を持っていただけたら尚よしです。


どうか今後、なにかがどうにか反映されて、ああ、あのイベントやって良かったね、と我々自身が自信を持って言える時が来ることをご期待ください。その時にはきっと皆様に、今よりもっと豊かな時間を提供できているはずです。きっと、必ず。


こういうイベント、二回目も開催できるといいですけど、それは本業があってこそですね。あー、楽しかった。ご来場ありがとうございました!!


追伸:イベント中、熱心なお手紙をたくさんいただきました。これ、いつもよりも顕著でした。うれしいです。とても嬉しい。私が関わるいろんな表現に興味を持っていただけて、それが嬉しいです。ありがとうございました。

2012年9月18日 12:48 | コメント (5) | トラックバック