38歳になりました
本日、38歳になりました。
2月19日も0時を回り、ふと携帯電話を見ると母親から着信があったので、急いでかけ直すと、用件は、ナイロン100℃の『デカメロン21』のチケットは取れたのか確認したいのだと言う。ああ大丈夫、それなら取れているという旨を伝え、まあこっちから言うことでもないような気もするが、ありがとうという気持ちもないわけでないので、出来る限りついでですよーという感じで、「先ほど38歳になりました。」と私は言った。すると母親は「ああはいはい、まあほんとは4時を回ったらよ、ははは。」と、なんとも無粋な返事を返してきたのだった。1975年2月19日の午前4時に生まれたのだ私は。
ひと言多いところはよく遺伝していると思いますよ、お母さん。
えー、すっかり更新が止まってしまったブログだが、忘れているわけではない。いつだって、ああ更新しなければ、ああ変なとこからコメントきてるの削除しなければ、ああ更新しなければ、ああ変なとこからきてるコメントを削除しなければ、と思ってはいるのだ。
しかしいかんせん余裕がない。いつだって余裕がない私だが、この半年間、本当に余裕がなかった。140文字の呟きでお茶を濁すしかないほどに。
というわけでツイッターにすっかり取って代わられたかのように思われてもいたしかたない、私の情報発信源だが、ここぞという時はやはりブログなのである。なんせ本来はダラダラとした長文が性分の私なのだから。
すでにコメント欄に祝いのお言葉をくださっている方もいらっしゃる。本当にありがとうございます。
そして、ツイッターに、あるいはFacebookに、たくさんの方々が祝いのお言葉をくださっている。本当にありがとうございます。
本当にたくさんなので、お一人お一人にお返事を返すのはとても難しく、だからここに、
ありがとうございます。
と書き記して、お礼の言葉とさせていただきます。本当にありがとうございます。
37歳は面白い歳でした。『喜安浩平の世界』や『桐島、部活やめるってよ』で皆様に、喜びや驚きを提供できたことはもちろん、『新テニスの王子様』の地上波放送があったり、『蒼穹のファフナー』のニコ生も印象深いものでした。『エンリコ・イリソギ』で自由に遊ばせていただいたことも有意義でした。
ブルドッキングヘッドロックとしては、『スケベの話』で、同時に毛色の全く異なる長編を2作書き下ろし、ヘトヘトになりながらも新たな境地へ足を進めることができたのではないかと思いました。さらに、劇団公演の後にはPLAYPARK2012において、『スケベの話 PLAYPARK編』を上演する運びになり、“スケベの話”というレパートリーが自分の中に出来たことを嬉しく思いました。次作『少し静かに』に、なにかが繋がっていけばと願い、企んでおります。
38歳がどんな歳になるか。今から楽しみでなりません。まあ、よもや自分が38歳になるとは、8歳の頃にはついぞ想像しませんでしたが。
新たな喜びを皆様にご提供できるよう、これからも精一杯精進してまいります。どうかどうか、叱咤激励、ご指導ご鞭撻、あとたまには甘いものや素敵なもの、よろしくお願いいたします。
毎年、たくさんの方に祝っていただける自分の立場を真摯に自覚し、37歳の時よりはもうちょっと恥ずかしくない大人になろうと思います。
ではまた!