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おお、サイコ

9月17日の劇場より。


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菊地明香。きくちはるか、と読む。あ、左の人ね。右の人は、ブルドッキングヘッドロックの永井幸子。この二人が、なぜ一枚の写真におさまっているかと言えば、二人とも「狗森サイコ」役の人だからである。『亀の気配』は、枯木田フミオと狗森サイコという男女を中心に語られる話である。で、かつてブルで上演したそれは、男性版(せなか)と女性版(おなか)の2バージョンを、日替わり上演するという趣向であったから、女性版、つまりサイコ版は、写真右の永井幸子が主人公として、作品を引っぱらねばならなかったのだった。が、私史上、初めて女性を主人公にした作品が「亀の気配」の女性版だったので、私の脚本も演出も、きっと今ほどは繊細でなく、なんだったら随分無神経に、私の思い込みで作られた女性像を、永井には押しつけてしまっていたのではないかと、今さら反省したりもするのだった。


その反省を活かすことが、今回、私がひっそりと抱えていた、自分内テーマの一つだった。残念ながら、やはり私はだいぶ無神経に菊地にあれこれと要求を繰り返してしまった気がする。それについてはとても残念だが、ありがたいことに、菊地の方が最後までがっちり食らいついて来てくれたのだった。いくつかの明確な課題を抱えてはいるが、どこまでもあきらめず稽古するし、日々、良くなり続けている。本番で見つかったことも多々ある。しかし、それでもやはり手強いと思う、サイコという人は。強くて弱く、女々しくて男らしい。いろんな矛盾をかかえているという点で、どこにでもいる女性なのだろうが、どこにでもいる女性よりは若干ガラが悪い。私が個人的に好きなタイプの女性であるかどうかは、まあはっきり言及はしないけども、とても魅力的な女性であると思っている。つまり、とてもとてもとても思い入れがある女なのだ。で、今日、菊地と永井が並び立つ様を見て、思った。この髪型だけはちょっと似てる、素直だけどちょっと変な菊地とひねくれてるけど実直な永井、相反するようにも見える二人の女優さん、そのどちらもがサイコであり、今やサイコにしか見えないのだとしたら、サイコという人は、とても普遍的な誰かであるんだと。つまり、サイコの手強さとは、人の手強さであるんだと。で、人を表現するのが役者の仕事だと若干大雑把に定義するなら、そんな役者さんって大変なのだと。だいぶ飛躍した論理だが。なんせそう思ったのである。いろんな人がサイコをやってみれば良いのに、と言ったら菊地と永井に怒られるか、怒られるかもな。でもやってみりゃいいんだ、けっこう大変だから。


本人はどう思ってるかしらないが、かわいらしいサイコが生まれたと思っている。最終盤、「わかったよ。」と言って恋人を抱きしめる際の、ちょっとお母さんぽい優しいトーンは、執筆時の私のイメージにはなく、その分とても印象的だった。ノビノビやればノビノビやった分だけ魅力的な人だと思う。ノビノビやらせてあげられなかったところも少々、いやだいぶあったかもしれないので、申し訳ないとも思うが、どんなとこでも隙あらばノビノビやる術を身につければいいのではないかとも思う。結果、人からアホだバカだと言われればいいのだ。ある日の本番前、あるシーンのダメ出しをした。前日に、そこのセリフがうまくいってないのは、そこのセリフがダメなんじゃなくて、そこに至る前フリがよくないからだと説明したシーンのことだった。前日の説明の結果、前フリ部分はとてもよくなったのだが、肝心のうまくいってなかったセリフのとこで、妙な気の抜け方をしたのが、とても気になったからだ。そのことを指摘するとヤツはヘヘへと苦笑いしながら、「昨日キヤスさんが、あそこは前フリがうまくいけば、その後はどうやっても大丈夫って言われてて、前フリがうまくいったし、だから後は大丈夫だと思って、油断しました。」と宣ったのだった。油断て!舞台上で油断て!と思ったのではあるが、なんかかわいらしくもあるのだった。


10日の食事。


昼:ドトールのサンドイッチ、アイスコーヒー
夕:コンビニのハンバーグ弁当
夜1:松屋の牛めし、サラダ、味噌汁、たまご
夜2:サラダせんべい、アイス

2010年9月10日 23:01

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