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令嬢アユ

「佐野くん」という若い友人の事を書いている。「佐野」と言えば、「ダス・ゲマイネ」の主人公も佐野であった。太宰さんには、どの登場人物にもモデルがいるのではないか。余裕があれば調べて行く予定だ。


どうにもダメな感じの佐野くんが、かっこつけて旅に出て、旅先でかっこつけて釣りをしてたら、素敵な女性に出会って、かっこつけたり笑ったり恥をかいたりするうちに、その女性と結婚したいと思うのだけど、実はその女性が娼婦らしいとわかり、ひどくがっかりするという、今だったら人権ナンタラが文句言いそうなオチがつく話。だからって、私だとしてもやはりドキッとしますわな、好きになった人が例えば風俗の方だったら。


まあそれはさておき、どうやらいよいよその当時、戦争の気配がそこかしこにあったようで、女性が連れていたおじいさんの、その甥御さんが出征したというエピソードが終盤に挿入されるのだが、作品に戦争の気配があることが、これまでの作品とおおいに異なり、そのことで娼婦の存在もまた異な味わいとなっていることに、気が行った。


全ての人間に等しく戦争はなにかをもたらし、それによって生じるなにかは人それぞれなんだろうが、この作品の中では、娼婦という職業への眼差しと、その娼婦の人格とをくっきり天秤にかける。が、別に胸焼けするような重さはない。ちょっとほのぼのとすらさせる。


私は「ケモノミチ」という作品で、のっぴきならない状況に陥った人々の、のっぴきならないが故に露になっていくその人の内側というものを、これでもかこれでもかと濃く書いてみたわけだが、今作を読んで、ああ、こんな風に軽やかに、淡々とそれを描いてみせる事もできるのだなあと、思ったのだ。

2010年4月 2日 16:57

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コメント

「佐野くん」は私の持ったイメージですけど、なんか凄い普通の男の子だなぁ。と。
そんな案外普通の佐野くんと娼婦“らしい”女性の関わり方が実は私はあまり嫌いじゃないんですよね。
「戦争」と「娼婦」と言うキーワードを上手く織り交ぜて書かれた話は、やっぱり少し考えさせられるものがありました。
…何て言えばいいか、よく分からなくなっちゃったんですけど、重すぎないけど考えさせられる深い話だと思いました。

投稿者 良湖 : 2010年4月 3日 01:40

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