« 皮膚と心 | メイン | 春だ!Tシャツを!さあ! »

他者の、或いは自分の作品について多くを語れぬ自分を、「唖の鳥=鷗」に例え、内容のほとんどは卑下してみたり、あとちょっとは励ましてみたりする、という随筆的作品。新潮文庫版「きりぎりす」は、女性と随筆のようだ。

今作における太宰さんの考えには共感する部分が多い。とくに編集者とのやりとりには、自戒せねばと思うものがある。できることなら多くを語らず、ただ、なにかを書き、なにかを演じていられればいいのだが。時として、作品以外の部分で饒舌になってしまい、その中で、かすかな、しかしとんでもなく残念な自分を垂れ流してしまったのではないかと、後悔することは数限りない。


必要なことだけを、すーっと滑らかに心地よく喋られたらいいのだけどね。いろいろ飾り立てて、結果、とても下品になることがあります。


太宰さん本人も、自身のそれをどうかと思っているような書き方をしつつ、その実、ちゃんと擁護もしていて、なかなかどうしてうまいこと語りますなぁ、と思ってしまう。

2010年3月20日 04:36

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.bull-japan.com/mt/unkospam.cgi/2982

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)