姥捨
水上温泉にて、最初の妻(実際には内縁の妻か)、小山初代さんと服毒心中をしようとした時のことが、描かれている。
「道化の華」、「狂言の神」、に続いて、三度目の自殺モノだ。自殺モノってジャンルもどうかと思うが。
初代さんをモデルにしているのだろう、かず枝の、鈍感を装っているのか、はたまた太宰さんが隣にいた女性をそうとらえたのか、今から死ぬようには見えない、なんとも明るい振る舞いが印象的だ。そして、実際に服毒し、しかし失敗して生き返り、生きてはいるものの気を失ったままのかず枝が、無意識のまま、「胸が、いたいよう!」と叫び上げる、その無防備な姿にこそ真実があるように思われ、悲しい。
帰京後、二人は別れる。なんともやりきれない話だが、夫は小説に狂い、妻は不貞を働いた。なかなかどうして、どうにもなりそうもない二人ではないか。
森の中、気を失い、泥まみれで喚き散らす死に損ないの女を見て、男は別れを決意する。その際の、決意の言葉もまた印象的だ。
“ 単純になろう。男らしさ、というこの言葉の単純さを笑うまい。人間は、素朴に生きるより、他に、生き方がないものだ。”
アンタが言うか。という向きもあろうが、そうですな、とも思うのである。男がこういう考えの元になにかを言うと、女の人は別の単純さでもってブーブー言う。
いろいろ言葉を費やして、自分に言い訳したり言い聞かせたりしているところは、男ならではの女々しさだ。その辺は、太宰さん、健在だ。
2010年3月19日 23:23
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コメント
太宰さんが実際に体験しているだけに、生々しくそして哀しい作品でした。
これから心中に行こうとしているのに、妙に女の方が、度々あっけらかんとしている所が印象的で、映画を見て笑ったり、雑誌を読んでたり、考えないようにしているのか、それとも元々頭であまり考えない人なのかな?とも・・・。
男が決定的に別れを決断するきっかけとなる、モヤモヤしていた題名の意味が後半で判明。
辛辣だなぁ。
投稿者 りか : 2010年3月20日 09:24