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燈籠

新潮文庫版「新樹の言葉」を読み終え、次は新潮文庫版「きりぎりす」。


「燈籠」もまた、女性が主人公の物語。


” 女々しくてシリーズ ” を立ち上げた私が、女性描写が得意な作家さんとされている太宰さんをモチーフに選んだのも、なにかの縁なのかもしれない。と、偉そうなことを書いてみる。


冒頭の、 “ 言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。” は、またもや太宰さん自身の心情を表現しているようだ。


薬物中毒、幾度も繰り返す自殺、誰かれかまわず金を求める日々、欲しがるあまり常識を逸脱してしまった芥川賞事件、精神病院への入院、太宰さんに起きてしまった様々な出来事が、世間の太宰さんへの眼差しを、変えがたいものへと凍らせてしまったのだろう。


そのことへの不満が、嘆きが、この作品には込められている。


私は悪いことをした、でも、それでも私は悪くない。その女性主人公の主張は、そのまま、太宰さんの主張になっている。ま、悪いことしてんだけどね、実際。


しかし、女性を主人公にすることによって、太宰さんの主張は、女性ならではの性質ようなものに変換され、物語を味わい深いものにするための、いいスパイスのようになっている。


最後に、家族とともに、明るい電灯の下で食事をすることが幸せだと書いたところに、世間への負け惜しみと、そんなささやかさに気づけるようになった喜びが、ないまぜになって表現されているように思う。

2010年3月19日 22:50

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コメント

“私は悪いことをした。でも、それでも私は悪くない。”
この主人公の主張がずっと頭から離れません。
どうしても、この主張の中に“痛み”を感じてしまって。
痛々しいと思ってしまうと、どうしても、そう言う視点から見てしまって、食事の場面になった時にはホロリとしてしまいました。
ギュっとしてあげたくなっちゃいました。
太宰ワールド全開なのに、どこか悲しい。そんなお話だった気がしました。

投稿者 良湖 : 2010年3月21日 18:04

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