老ハイデルベルヒ
若かりし日の、伊豆の三島での太宰さんの思い出が綴られる。
やはりタイトルがどういう意味なのか気になる。ので、ちょちょっとネット検索した所、ドイツの小説、アルト・ハイデルベルクになぞらえたんじゃないかという、見ず知らずの方のベストアンサーが見つかった。タイトルの意味を知りたがっている人は、私だけではなかったということだ。横から盗み聞くように、フムフムと納得。
青春を鮮やかに過ごした彼の地へ、時を経て戻ってみると、全ては過去のことになっていて、何もかもが変ってしまっている。街も人も。そしてきっと自分自身も。その現実を突きつけられ、それでもやっぱり今を生きていかなければならない、ね。みたいな。
実際に太宰さんが家族を連れ、久しぶりに三島に立ち寄ったのだろう時に受けた落胆が、執筆の発端なのではないか。
老は、ドイツ語でアルト。ハイデルベルクとは、そう言う地名。だそうです。
ベストアンサーの方の教えてくれる、本家「アルト・ハイデルベルク」のあらすじは、なんだか美しく(王子様とか出てくるからかね)、太宰さんの方のそれは、清々しくも、少々不格好だ。あえてそうなるように書いた節もあるし、どうしたってそうなっちゃう節もある。
私も、例えば今さら、あの青春の広島へ戻り、広島大学とか訪れてみた所で、私が在籍していた学部はもうないそうだし、私が油絵の具で汚した壁も、他の若い学生のそれで上塗りされて、見つけることも出来ないだろう。
そうでしょうとも。その場所は、今そこにいる者のモノです。後でアレコレ言ってもしかたがない。今をしっかりアレするだけだ。なんだ、アレって。
2010年3月19日 21:49
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コメント
老ハイデルベルヒって、そんな意味があったんですね…知らなかったです。
思い出の場所ですか…。
変わらないまま残ってるところなんて、多分もうないんだろうな…。
時間が経てば少しずつ確実に何かしら変わって行くんですよね。
建物だったり、風景だったり、それこそ自分自身だったり…。
人間は自分達の生き易い物が大事な生き物だから、“昔”を探そうとしてる人間には辛いかも知れないですね。
変わらなければいけないかも知れないけど変わらずに済めばいいのにと思ってしまいます。
“思い出”は形で残すのって無理なんですかね…。
投稿者 良湖 : 2010年3月20日 01:58