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懶惰の歌留多

自分がどうにも怠惰でいけない、怠惰は最大の悪徳である、と散々いろんな言葉を費やして自分のダメさ加減について書き綴ったかと思えば、“ ええッ! ”のひと言から歌留多の文言を書き始める。よく思うことだが太宰さんはおおむね前置きが長い。でもその前置きが後半で生きてくるから、削るわけにもいくまい。上演時間の長いと言われる私はそこに共感する。


いろはにほへと・・・の順に。例えば “ い ” なら、“ 生くることにも心せき、感ずることも急がるる ” とあり、その後に、そのことを解説するような文章がついてくる仕組みだ。


“ ろ ” の “ 牢屋は暗い ” など、身もふたもない言葉がいい。


“ に ” の “ 憎まれて憎まれて強くなる ” の中で、“ 私は、長生きをしてみるつもりである。やってみるつもりである。” とあるのが、ダメで笑える。やってみるつもりって。やって、みる、つもりって。弱い、言葉が弱い。結局早く死んじゃうじゃんよアンタ、とツッコまずにいられない。その時の決意っぽいものを文章に起こしてしまい人に見せる、それはきっとダメなことなのだな。今後は私も、ブログで決意とか語らないようにしてみるつもりである。


“ いろはにほへとちりぬるを ” と続き、“ よ ”の “ 夜の次には、朝が来る。” で終わり。あれ? “ たれそつねならむ ” は?とも思うが、まあ、この言葉できれいに締めたかったのだろうさ。


短編集のような、あと、自虐と決意集のような趣き。

2010年3月11日 02:12

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コメント

おはようございます☆

「よ」まできたなら、「たれそつねならむ」も知りたいです!

確かに良い終わり方ですけど、なんか気になります!

本当に続きがないのか、ちょっと調べてみるつもりですo(`▽´)o!


投稿者 あひる : 2010年3月16日 08:09

何度も決意らしき言葉を繰り返し、暗示をかけて立ち直ろうとしているのかなぁと思いました。
言い続けると叶うと言いますもんね。
太宰さんの不安と共に、書かなければならないという、作家の性(さが)を感じる作品でした。
その年齢でなければできないことがある・・・。
当たり前の事だけど、ついつい背伸びしたり、怠けてしまったりしてしまうなぁ(笑)

投稿者 りか : 2010年3月16日 21:03

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