« 勝負はここから | メイン | 懶惰の歌留多 »

I can speak

本日より、新潮文庫版「新樹の言葉」を。


これまで新潮文庫版「走れメロス」、「晩年」、「二十世紀旗手」を読んできて、時系列的にはどうやら本当は「きりぎりす」に所蔵されている作品のいくつかが、次に読むべき作品のようなのだが、残念ながら手に入れたいタイミングで新潮文庫版「きりぎりす」が手に入らず、じゃあまあいいさ、同じようなタイミングに発表された作品を多数収録してある「新樹の言葉」を読むことにした。


「I can speak」は、昭和14年2月号の “ 若草 ” にて発表されている。同じ時期の発表作としては、「走れメロス」に収録されている、「富嶽百景」がある。


甲州の三坂峠に下宿していたことや、その後甲府へ移ったことなど、「富嶽百景」とつながる件があり、お、ここにつながったか、と、頼る地図も無くウロウロ歩いていたら思いもかけず見知った道に出たような喜びがあった。作品とは関係ないことだけど。


三坂峠の秋冬が耐えられず甲州へ出たら “変なせきが出なくなった。” と、唐突に、変なせきが出てたことを言われ、なんじゃそらと思わせる。「富嶽百景」の中ではそんなこと言ってなかったじゃないか。心の中で小さなツッコミを入れることが、太宰さんの作品を読んでいるとそういうのは多い。


「I can speak」は、「満願」ほどの短さの短編。太宰さんはエッセイに近いものもよく書いていることがわかってきて、だけどそれらが事実だけではなく、若干の捏造をもって書かれている可能性があることを知り、だから “ 私はいついつの頃、どこどこに住んでいた。” みたいな、太宰さんの事実から入るパターンの作品を読んでも、その後に待ち受けているものが必ずしも全部事実というわけではないと思えたら、幾分太宰さんにイライラしなくなった。これから読む方には、「へえ」とか「ふうん」くらいの距離感で読むと良いのかもしれないと提案する。


しかしながら、生活のこと文学のこと、真っ当な人間になるべく悶々とする日々のか細かろうアンテナに引っかかった一瞬の出来事を、ぐっとロマンチックに仕上げる、その手管は相変わらずで、そう、良く出来たブログの文章のよう。私もたまにはぐっと来るブログを書きたいものだと思う。


太宰さんにブログを与えたら大変なことになったのだろうか。あるいは金にならないからと、全然更新しないか。

2010年3月10日 02:07

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.bull-japan.com/mt/unkospam.cgi/2957

コメント

今晩は、お疲れ様です。
I can speak は久しく読んでなかったので、懐かしかったです。
太宰氏にブログですか…。
本当に存在したら面白そうですね。
更新するときは凄く更新して、しないときは極端に更新する!みたいなブログになりそうな気もするんですけど…。
でも見てみたかったかも知れない。

追伸…さっき打ち損じたまま送ってしまったかも知れませんけど、すみません。

投稿者 良湖 : 2010年3月16日 20:11

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)