« 虚構の春 | メイン | 創世記 »

雌に就いて

二・二六事件が起きた日、主人公は客人と火鉢を囲んで女の寝間着について話している。


二・二六事件のことに触れたのはこの作品だけではなかった気がする。触れるたって、事件が起きた日、としか書かれてはいないのだが。それだけ強い印象があったのではないか。そりゃあるか、国がひっくり返ろうという事件だ。自衛隊が首相官邸にミサイル突っ込んだら、ねえ。そして、その事件のインパクトを、自分との対比として使う。青年将校たちは大義であり、太宰さんは矮小だ、と言う印象を、物語の入り口で与える。


女の寝間着の話はいつしか女と旅に行く話になり、女と二人旅をする様子を主人公と客人は妄想するのだが、やがてそれが妄想ではない領域へと踏み込み、カットアウトするように会話は終わる。


結果、その妄想は、7年前の鎌倉での太宰さんの情死についてのことであるということがわかる。最初は呑気だったはずのやり取りが、暗く陰鬱なものとして仄暗い煙のように立ち昇り、ふっと消える、その読後感が気持ち悪くて、良い。


望む所だったのだろうが、これ読んでも太宰さんをかわいそうだとは思わない。かといって、ともに旅し、やがて一緒に死のうとして自分だけ死んでしまった女性のことをかわいそうと思うかというと、これまたどうもかわいそうと思いきれない。なにやってんだ二人とも、だ。


しかし、二・二六事件がたいそうなもので、二人の情死とそれを抱えたままノロノロしている男がたいそうなものではない、という考えも当てはまらない。というか、当てはまらないと思わせる。先に二・二六事件が起きた日、と書くことでそう思わせられる。太宰さんはつけいるのが上手いなぁと思う。甘えるのが上手いということか。何十年も経って読んだ一読者にそう思わせるのだから。


ところで重要なのは、女への子細なこだわりだ。太宰さんと客人の、女への妄想の子細なこだわりが、一人の女の死を我々無関係な読者にとっても重要なものへと高めていく。


やはり大事なのは細部だと、なんせ思う。

2010年3月 4日 19:19

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.bull-japan.com/mt/unkospam.cgi/2947

コメント

この、雌に就いて。は、実は一読目の感想が恐ろしく忙しくて、人にこう思ったんだよ!と話すのが難しいんです。
いつものように、うん、太宰氏だなぁ。と軽く呆れ、かと思えば軽くワクワクしたり、苦しくなったり…涙が出たり。
もう何か感情が心の中で踊り狂ってた気がして…。
2度目は落ち着いて淡々と読めたのに…。
何で一読目はあんなに涙が出たのか自分でも未だに謎です。

投稿者 良湖 : 2010年3月 9日 20:21

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)