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道化の華

昭和五年、鎌倉で心中自殺を図った後の自身の体験を元に書かれている。


大庭葉蔵という主人公が女と心中するも救助され、海沿いの療養院へ運び込まれる。そこに見舞いにくる葉蔵の友人たちと、真野という看護婦を中心に描かれる、穏やかな数日間。みたいな。「思い出」に続き、当時の太宰さんの告白度の高い作品で、「晩年」の中では比較的長編
の部類に入る。


繊細で、へなちょこな若者たちの姿が印象的だが、それは太宰さんが自身らのことをそう評したいが故だろう。私は自殺をしたことが無いからわからないが、現実を直視しきれずフワフワヘラヘラしている感じは、例えば、メシも食えないのに演劇とかやっていた20代の自分に当てはまらなくもない。そういう共感みたいなものが、太宰さんを支持させるのだろう、10年前に読んでたらね。


で、この作品にも工夫はあり、それは、書いている太宰さん本人がちょくちょく顔を出し、自分が今まさに書いているそれについて、あーだこーだと文句をつけるのである。だけどなんだかんだ言いながら書き進める。読者に対しても語りかける。で、なんか甘える。


どうしてそうしたかったのか。そうしなければ伝えたい全てが伝わらないと思ったのか。その気持ちはわかる。その都度注釈を入れたい気持ち。全部に言い訳と解説が加えられたらどんなにか自分の作品の正当性を伝えられるだろう。ただ、どう伝わろうが、なにを題材にしようが(それが自分自身のとても重大な事件だったとしても)、そこから作り上げた虚構のみでなにかを表現したいという “心意気” みたいなものも私にはあって、できたら作者自身は登場させたくないと考える。太宰さんはご自身のことについて神経質だったのかしら、と思う。それともただの面白みのための工夫だとしたら、ちょっとうっとおしいす太宰さん。


あ、あと、看護婦への微かな衝動がエロくていい。女性にしてみりゃろくでもないとお思いになるだろうが、そんなもんだ。どうしたって生きてりゃ腹は減るし、チンコも勃つのだ。

2010年2月11日 01:30

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