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ロマネスク

三編からなっている。民話のように思われたのは、全ての編の冒頭が、“むかし〜”、と始まるからだが、やがてそれは民話という枠から大きくはみ出す。


神童のごとき主人公“太郎”の、神童たる所行の数々にも関わらず、父に絶望されるその境遇は、やはりどことなく太宰さんを想像させる。仙術をもってして、結果、間違った形で望みを叶えてしまう辺りも、自分を皮肉っているのではないか。


二人目の主人公、“次郎兵衛”については、“世の中はそろばんでない。価のないものこそ貴いのだ、と確信して毎日のように酒を呑んだ。”というところに、そして、喧嘩上手になりたいとして、何年もの歳月をかけて喧嘩の腕を磨いたにも関わらず、全く腕を振るう機会を与えられないという悲哀に、やはり皮肉を見る。


三人目の“三郎”が嘘のかたまりであることもそうだろう。


“三郎の嘘の火焔はこのへんからその極点に達した。私たちは芸術家だ〜”と続く最後の三郎が熱弁するくだりには、やけくそな、喚きの様なものがあり、その喚きがなんともまた悲しいのである。


私の街でも、居酒屋あたりで、そんな喚き声が聞こえてくるような気がする。太宰さんの作品を青春文学とする、その所以が見える。

2010年2月 6日 17:21

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コメント

喜安さんこんばんは。
ロマネスクという題名は三者三様の芸術的(?)生き様を表現しているんでしょうか?
仙術、喧嘩、嘘を極めようとして皮肉な結末となる3人の描写がとても面白かったです。あっさり人が死んでしまう所が特に民話的だなぁと。

投稿者 りか : 2010年2月 6日 21:26

こんばんは!
太宰さんて、本当に沢山のお話を作ってるんですねぇ。
三人の名前が昔話っぽくて和みます。

投稿者 あひる : 2010年2月 7日 00:10

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