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思い出

「思い出」は、太宰さんの幼年期、少年期を書いた自伝小説だ。なるほど、すでにこの頃から “私” を書く人だったということか。


本人はまさに遺書として書いたのだという。こんな穢い子どももいましたという告白をもって、死のうとしていたのだ。が、書いてみたらそれ一編では納得できなくなってしまったそうで、その後もどんどんと作品を書き連ね、「晩年」という立派な作品集にまでなってしまった。死ぬ気だけどやる気。人は複雑だ。「東京八景」にその辺のことが書かれていた。先に読んどいてほんとによかった。


「思い出」は三章構成になっている。一章では叔母や両親兄妹、女中らのことなど、自分以外のことが多く描かれている。とはいえ、やはり太宰さんのダメ臭さはじゅうぶん漂っている。いるのだが、それはまあ幼いガキのことだ、いいとして次。二章、中学にあがった主人公のことがこれでもかと描かれているのだが、その自意識の固まりっぷりが、オエッとなる気持ち悪さで、その胸くその悪い感じが、とくに私にはよかった。オエッとはなるが、わからないでもないとも思い、そう思ってしまう自分にも若干オエッとなるのだ。


「役に立たないオマエ」という自分の作品を思い出した。アレも自分の高校時代のオエッとなる部分を、まあ多くは滑稽なものとしてだが、恥ずかしげもなく書き連ねた作品だったからだ。三章の、女中のことを想い、人知れずのたうち回り季節が過ぎていく様も、「役に立たないオマエ」を彷彿とさせる。


三章では他に、葡萄狩りの場面が、なぜだかとくに映像として脳裏に具体的に浮かんだ。いい場面なのだろうか。なのだろうな。


あとどうでもいいが、当時の中学生もオナニーとかするんだなぁと、そりゃあ太宰さんも男だ、なにかしらするんだろうが、なんせ時代を超えた共感をおぼえた。どうでもいいが。


それから冒頭、叔母の話から始まり、最後にもう一度、忘れた頃に叔母のことに触れる。その構成が、いい具合のところに着地してくれたかのような感じが、上手いね、と思わせる。


これをもって遺書としようとしたのか・・・、と考える。どう考えたかを書き始めると長くなるし、考えたというよりは、まだ、考えたいなにかがある、という程度なので、その作業は二読目のこととしようと思う。「東京八景」同様、太宰さんご本人のことを考えるために、何度も読むことになるのだろう作品ということだ。

2010年2月 2日 23:25

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コメント

遺書ですか…。

人は死ぬ気になれば何でも出来るっていいますよね!でも何か、太宰さんからはそーゆーの感じないです。太宰さんのことを考えるだけで億劫になってきました。笑

私には死ぬ気がわからないけど、生きる気なら何でもできるってことはわかります!!

いっぱい生きて、美味しいもの沢山食べたいです。


投稿者 あひる : 2010年2月 3日 05:38

喜安さんこんにちは。
他の作品もそうですが、思い出は特に周囲の人との会話や太宰さん自身が、頭の中に映像として光の加減や、アングルなどイメージしやすい感じがしました。

やたらと吹出物を気にしたり、鏡を見て顔をつくったり、蒲団の中であんましたりするのを、いや〜勝手に覗いてしまってすいません(笑)と言ってしまいたくなる。
遺書のつもりで書いたこの作品、妙な生命力を感じますね。

投稿者 りか : 2010年2月 3日 13:36

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