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走れメロス

ようやく「走れメロス」だ。こんなんだったっけか、「走れメロス」。読んで思うのはやはり、メロスはバカなのか、ということである。


激怒したはいいが、そんな、その勢いで乗り込んでっても捕まるに決まっているじゃないか。友達に会いにいくのではなかったのか。で捕まって王と言い争いになり、さんざっぱら王を挑発しておいて、だけど時間をくれろと願う時には突然丁寧語になる。で、あろうことか会うはずだった友達を勝手に人質に差し出し、約束を破ったらその友達を絞め殺せと、殺し方まで指定済みだ。


なんか、その後のアレを読めば確かにいいお話ではあるのだろうが、なんせバカなんじゃないか?という疑念がつきまとって、なかなかまともに受け止められない。“そうです。帰ってくるのです。”という響きが、“そうです。変なおじさんです。”を想起させるのは、私のせいじゃない、メロスのせいだ。


友の元へ戻る途中、持ち前の呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出すそれは、まぎれもない、バカのなせるわざではないか。ぶらぶら歩いて2、3里とは、どんな呑気さだ。ちなみに1里がだいたい4キロだ。で、川を泳いで渡った後には、一刻といえどもむだには出来ない、と思っている(じゃ最初から走っとけ)。で必死で走って盗賊をかわして走れなくなって、あきらめて、友よ一緒に死ぬぞと思ったのもつかの間、生き伸びてやろうかと思ったり(どっちなんだよ)。で、あろうことかまどろみかけたら、足元で水が湧き出ていることに気づき(気づけ)、その水飲んだら元気になっちゃったよ、おいおい。で、酒宴の人々を驚かせたり犬蹴っ飛ばしたり、あげく全裸で(なぜ?)、夕闇が迫る中、走りながら友人セリヌンティウスの弟子のフィロストラトスとやりとりし(このタイミングでこの名前)、間に合い、めでたしめでたし。


と、書き連ねてみると、歩いちゃうとことか、突然がんばってみようと思うとことか、なんか心当たりがあって、頬が赤らむ思いになる。台本を書く時の、締め切りに追われる私となにが違うというのか。私の中にも小さなメロスがいるということか。私もバカということか。書き終わった頃には全裸だということか。うん、ある意味全裸だ。少なからず納得できる気がしてきた。


ちゃんと考えると、バカだと思わせるのはその文体によるところが大きいと思う。簡潔に力強く言い切ろうとする文体が、メロスを短絡的に思わせる。これまでに読んだ他の太宰作品とは、そこが違う気がする。ただ、最初こそ古代ギリシャっぽいが、途中はなんというか、日本の民話っぽい。のはなんでだろう。おいおい二読目に入る。その時に考えよう。

2010年1月29日 14:07

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コメント

友情を描いているというイメージだった走れメロス。読み返してみると短絡的なメロスの一挙手一投足に突っ込みどころが満載ですね。コントみたいです。最後裸だし(笑)。

確かに試験とか締切期限があるときの前って、他のことが妙に楽しくなっちゃって脱線することがたまにありますけど、親友が自分の代わりに処刑されるかもしれない状況であれば、歌ったりする事はまずないですね(笑)

投稿者 りか : 2010年1月29日 17:41

お疲れ様です。小学生の頃、とってもとっても感動したメロスですが、大人になった今読んでみると確かに、んっ!?
(とっても感動したけれど一番印象に残っているのは子どもゴコロにもやっぱり全裸!)
もう、喜安さんの解説面白すぎ、あははははははは!
駆込み訴えのユダってあんなに余裕のないオトコだったっけ?可愛さ余って憎さ百倍?オトコゴコロはよくわかりませぬ。
何年かぶりに読んだら結構、面白い!

今宵は月がとっても綺麗。読書の手を休めてご覧になっては。

投稿者 ちょちょ : 2010年1月29日 22:23

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