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駈込み訴え

現在はともかく、当時の市井の人々がどれくらい聖書や福音書の内容を知っていたのかわからないが、多少でも知っていた方が面白いのではないかと思う作品だ。


私は少々知っていたので、とても楽しめた。オチで主人公がようやく名前を名乗ったのに、その人のことを知らなかったとしたら、“うん。で?誰?”となって、“あうん、だから、あの、そう言うくだりがあってぇ、”と説明を続けねばならない。大変だ。大丈夫だったのか。


そんな心配は余計なお世話だろう。その辺の知識がなくとも、充分面白い。


「黒いインクの輝き」で、“世界が終わるとして最後に食べたい物ってなんですか?”という質問が投げかけられ、それについてくだらないやり取りが繰り返される、というくだりがあるのだが、そのシーンは、ダヴィンチの「最後の晩餐」という絵と、その言葉からイメージしたものを私なりに今回の作品の空気に落としこんで描いたシーンだ。


“おまえたちのうちの、一人が、私を売る”と言うキリスト。慌てふためく弟子たちは、“私ですか?私のことですか?”と騒ぎ立てる。キリストの真意はわからない。


野木塚が消えたことの真意は誰にもわからない。世界は今終わろうとしている。新キャラはダヴィンチ。他にもいろいろ端々に散りばめてみたが、いかがだったか。


いや、そんなことはどうでもいい。


主人公が、キリストと生まれた年が同じことを何度も気にするのが印象的。あと、マルタ奴の妹のマリヤがキリストに油をぶっかけたエピソードを語る主人公の、その混乱ぷりがとてもいい。何度も“わからなくなりました”というのがいい。わからなさが極っまている人というのは、申し訳ないが魅力的だ。異常なまでの愛憎ないまぜの感情。複雑でわけがわからない。が、そのわけのわからなさは、なんか、とてもわかる。気持ちのうねりの、憎悪から愛、そして憤怒、そのスピード感も簡潔でいい。


主人公が、ひどく矮小な人物として描かれているようにも思われるが、作者がそんな主人公に肩入れしているようにも思われ、だからだろうか、私も肩入れしたい気持ちになったのだった。

2010年1月29日 08:00

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コメント

お早うございます。
今日もお疲れ様です。

駆込み訴えは、当時の私には理解の範疇を超えた小難しい話のイメージがあって途中で投げ出した記憶があります。
現在でも読んでいません。

けど、今読んだら何か変わるかな…チャレンジしてみます。

投稿者 良湖 : 2010年1月29日 10:53

読み込んでおりますなぁ………隊長。

とりあえずは『満願』ですね……スケベイだしね………読まなきゃね((o*>д


また、隊長に『ヨコシマなっ』って言われちゃいますね(〃(エ)〃)ノ

でゎ|°∀°)ノ))))

投稿者 ゆかりどん : 2010年1月29日 12:43

わ!わたしこの話!すっごい好きなんです!!
結局のところどっちかなんてどうでもいいんです
なんか、切なくて、この話は好きです
表現の出来ない好きさです
退却

投稿者 真優 : 2010年1月31日 00:13

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