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強さが欲しい
執筆の合間合間に手にしていた、太田光さんの「トリックスターから、空へ」と、宮沢章夫さんの「考える水、その他の石」を読み終える。
おいそれと感想を書けない、そんな衝撃を受けた。いや、衝撃と言ってしまったものの、それは破壊されて砕け散るような、そういう種類のものではなく、なんというか、乾いた砂山にゆっくりと水をかけられて、ぼろぼろと崩されたような、そんなイメージだ。ダメージを受けたと言ってもいい。私はダメージを受けたのだ。
いったいなにが私に響いたのか。それは、卓越した文章力とか、オリジナリティ溢れる視点とか、確固たる思想とか、そういった凡庸な言葉では言い表せない、いや、もちろんそれらは間違いなく抜きん出ているのだが、それらをひっくるめた、なんと言うか、表現者としての強さだ。それもまた凡庸な言い回しだが。
彼らは、芸人さんがとか作家さんがとか、そういう肩書きは関係なく、ただもう、文を綴るにあたって、なにを表現すべきか、あるいは、したいかということが濃く、強い。その強さが生むパトスは、批判や分析の対象にされている者や物だけでなく、端から傍観しようとしている読み手にまでおよぶのだ。傍観することは許さない、そんな静かな気迫に満ちているというか。
いや、それはこっちが勝手にそう受け取っただけだ。許さないとか、そんなこと思ってないよと言われそうだ。これはあくまでも想像だが、やはり彼らはとにかく、自身の明確な価値観のもと、文章を綴るという表現をしているだけなのだ。オレはこう思う。だからこう書くのさ。と。
のさ、とか言わないだろうけど。表現の強さとは、自分の価値観を声明する、その意志の強さだ。と思わされた。大声で叫んでいるわけではない。淡々としていても、その声(文)に込められた意志の強さは確実に私に届き、そして、意志を強く込めようとする表現者としての逞しさに、私は巻き込まれ、やられたのだ。
読み終えて思う。私になにができるのか。私に強い表現ができるのか。そもそも強く表現すべきなにかはあるのか。私には、なにかを表現しなければならないわけでもあるのか。・・・残念ながら答えは容易に出せない。ただただ呆然とするばかりだ。
それでも言えることがあるとするなら。
それでも私は本を書く。稽古をする。放り投げる気はさらさらなく、ただもう、思考を巡らせ、一歩一歩歩くしかないのだ。ということ。
水をかけられた砂山はぼろぼろと崩れ落ちたが、足下にあるそれらはしっかりと潤い、一つ一つがひと握りの塊となる。磨き、削り、そこに新たな土を混ぜ、ゆっくりと混ぜ合わせていこうじゃないか。次にできるのは、水を吸っても崩れない、緑に覆われた小高い山だ。
の、はずだ。
2007年1月30日 17:12
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コメント
こんばんは。表現者としての強さですかぁ…。このブログを見ていると思うのですが、喜安さんにも、その、表現者としての強さが十分にあるのではないでしょうか。ただの私の感想ですが、喜安さんのコメント読むと、いくら短い文でも、何ともいえない面白さというか、読んでいて惹きつけられて、読んだ後にも印象に残るんです。喜安さんが自分で思っているより、表現者としての強さ、あると思います。でも、もっと、もっとブルが楽しく、表現者として強い劇団なっていく事を願ってます!偉そうなこと言ってすみません!では。
投稿者 ゆい : 2007年1月30日 18:48
あああ……
出張の帰りです……JRの中で、半分魂が抜けかけています。駅到着まであと1時間はかかりますよ(泣)おケツが痛い(*_*)
文章は…喜安さんに、小説やエッセイを書いていただきたいなぁ☆私も色々な方の本を読みましたが、この前のブログだって…
「優しい時間」での表現や喩え方などがとても惹きつけられ、有名な作家さんに負けてないですよ。だから私は毎日喜安さんの文章が読みたくて、毎日読んで「ジワァーン」と何かを感じとっているんです。喜安さんと同じく、言葉では言い表せないんですが……ジワァーン。これです。
でも、感動したり、衝撃をうけたりできる方が私は大好きですので☆まぁ…喜安さんが大好き…です(^▽^*)
読んでる本をまた教えて下さいね♪
あ、手はどうですか?親指動くようになりました?
では、私も毎日更新を楽しみに、毎日コメントさせていただきます☆てへ☆
投稿者 トモ : 2007年1月30日 20:09
表現の強さ=意思の強さなら、これは絶対こうだっていう
揺るがざる信念を見つけないとですね。
何を核として表現したらいいのかって問いについては
私の超個人的意見ですが、人間とか人道主義なんじゃないかなって思います。
なんか世の中、結局なんでも「人」に帰結する感じがします。
でも頭で理解してても、それを自分のコアにしないと
強い文って書けないし、話題ごとに芯がぶれますよね。
人ってのはただ私がそう思っただけで、答えに正解なんてないのかもしれませんが。
そんな試行錯誤をしながら、それでも自分の内側にある物を
120%出し切って表現したら、いつか何かがどうにかなるのかもしれませんね。
緑に覆われた小高い山ができたら登らせて下さい。
きっとそこから海が見えるんじゃないかな。
投稿者 ユウキ : 2007年1月30日 22:11
喜安さん 今晩は。
私は毎日新しい本を開くように 喜安さんのブログを読んでいます。ぐいぐいと引き込まれ 読んだ後に 早く続きが(次が)読みたい!と思うこの気持ちは なんでしょう?トモさんが「ジワァーン」なら 私は「ワクワク」です。
「とぐろ」も「カエル」も書きながら 本も読んでいたのですね。今はどんな本を読んでいるのか 聞いてみたかったのですが 執筆活動が活発で 読んでいないのだと自分勝手に想像していました。が 。どちらの本も私は読んでいないので コレは早速探して読みます!!喜安さんの受けたダメージを私も味わってみたいと思います。
ユウキさん・・・私も一緒に海が見たいです。
投稿者 コデマリ : 2007年1月30日 22:49
喜安くん、今晩和。 私の共感できた言葉なんですが…
『「過去」を踏み台に 「未来」を夢見ず 最高に今を過ごす!』
そして…
私の考える強さとは…
『消えるものは他の声 見えるものは目の前の自分 聞こえるものは総ての声』
分かり易く言いますと…何にもとらわれず自身をしっかり見極めなさい。そうすることで色んな者·物が理解できる。 と言う意味です。
人によって 強さのとり方·考え方は様々ですが…
他人に認められることだけが強さではないと思いますよ。 では、また。
投稿者 かわのかよ : 2007年1月31日 00:05