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今日は桜子さんの質問に答えます

 愛媛県伊予郡松前町に生まれた私は喜安家の長男、一人っ子。だから小さい頃はかわいがられたんだと思います。もはや他人事の勢いですが。

 親父は小さい私には畏怖の対象で、お袋は今も昔も忙しさを苦にしない(私の勝手な見方かもしれませんが)女性で、だからけっこうばあちゃんと遊んでたような、おばあちゃん子だったんじゃないかなあ、と。思う部分もありますがあまり覚えてません。なにやってたんだオレは。あ!ばあちゃんたちと八十八箇所、廻ったよ。小学生の時。そうそう。ばあちゃん子な。

 実家は、西は瀬戸内の海、東には石鎚の山が望めるのどかな田園地帯のど真ん中、みたいなところだったので、よく田んぼの中をうろうろしてた記憶があります。一人で真っ暗になるまで田んぼのあぜ道をうろうろして、いろんなことを夢想してたのではないでしょうか。一人っ子だったので、一人で時間を潰す術は早くから身につけていたのだと思います。今でも一人でいる方が楽な時があります。昔と同じようにうろうろしながらいろんなことに思いを馳せます。あと、自転車に乗るのも好きでした。あてもなくただ自転車を漕いでどこかへ辿り着くのです。で、漕いでる間はなんか考え事してるから、自分がどうやってそこへ辿り着いたのかわからなかったりするわけ。変な子。

 怪獣と恐竜が大好きな子で、ウルトラマンより怪獣の味方をする所があり、ひらがなより先にカタカナを覚える勢いだったそうです。怪獣の事とか一人で考えていたんでしょうねえ。

 友達づきあいも普通に出来る子だったとは思うんですけど、でも引っ込み思案だったかなあ。あ、よく通知表に「消極的なので」とか「もっと積極的に」とか書かれてたのは凄く覚えてる。別に当時はなんとも思わなかったけどなんだろうね、覚えてるってのは。自分からすすんで友達の家に行く子ではなかったです。来てくれるのを待ってた。一人っ子やからね。甘えん坊。

 なんかずーっとのらーりくらーり生きてきたと思います。お世話になった先生方が、今私がこんな仕事をしていると聞いて、思ったとおりだとおっしゃる方はいないと思います。目立てない子でしたし。目立ちたいのに。でもしたたかな子だったからね、目立とうとせずに注目を浴びる方法について常に目を光らせていた。ような気がします。

 小学校の時は普通にいじめっ子だったりいじめられっ子だったりしたし、中学校は適当に勉強して休み時間になったらやたら元気になって、みたいな奴だったし、もちろん女子の目を意識しまくりだったし、高校の時は、んー、普通科に通う普通な少年だったからなあ。んー、あ、体育会系の部活でホッケーやってました。陸上ホッケー。競技人口の少ないところを選ぶあたり、あわよくば目立ってやれという魂胆が見え見えですね。そうだなあ、美術やるって決めたあたりから自分の中で少し違ってきたかもしれませんね。

 自分で決めたから。美術やるって。結局やってないけど。そんなもんさ。所詮。

 美術の先生になるつもりだったからね。大学で実習行ったけど、自分で言うのもなんだけどすげえ子供受けのいい奴でしたよオレ。でもね、先生にはなれないと思ったんだな。友達にはなれるんだけどね。先生は先生でないといけないっつうのが私の考えなので、友達はちょと違うな、と。もちろんそんなきれいごと以上に芝居がやりたかったというのがあるんですけど。

 話しそれたな。でもだから愛媛にいたときの私はほんと目立とうにもそんな勇気がなく、そのくせ一人っ子だからちやほやされないとだめで、そんな地味で甘えた奴でした。

 なんかダメ伝記な。でもそんなもんさ。かっこ良くもかっこ悪くもないの。普通。なんでそんなオレが皆さんの目にさらされる仕事やってんのか、自分でもよくわからないままここまで来た感があります。

 近くの海岸が辺りでも最大の暴走族の溜まり場地帯で(当時)、友達とその中に忍び込もうとしてでもやっぱり怖くて挫折したりとか、そんな、やんちゃ未満、みたいな思い出はあるけどねえ。

 なんか質問の答えになってないかも。答えになってなかったらごめん。あと冷静。どうも過去を振り返ろうとすると冷静になりがちなのな、私って。こまっかーいディテールまで話せばすげえ面白いエピソードもあろうかと思うんですが、それ書き出すときりがないから。別の機会に書きます。少しずつ。だからまた読んでねーん。

 質問受け付けます。こぞってどうぞ。

 明日は「DEAR」の打ち合わせと「ドントラ」の稽古。あとブルに関する細かいいろいろ。うひょ!

2003年5月 3日 02:21

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