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馬場泰範の退団に添えて

ご報告です。長くなりますがどうか最後まで。

ブルドッキングヘッドロックにおきまして、2001年5月の『彼方の塵、クズ』より役者として活動してまいりました馬場泰範が、2012年6月をもって同劇団を退団、役者としての活動も終了することとなりました。

これまで暖かいご声援をくださったみな様に、勝手に本人になりかわりまして、慎んで感謝申し上げます。ありがとうございました。

馬場と最初に出会ったのは、旗揚げ公演『思考の大回転』の劇場仕込みの時のことだったと記憶しています。

寺井が連れて来たのではなかったでしょうか。「知り合いの知り合いに、演劇をやったことはないけど手伝いたいという人がいるんですよ。(寺井)」ずいぶんな頼りなさです。そして劇場に現れたのは、ずいぶんと太くてダメージ感の強いジーパンを、ゆったりと腰で穿きこなした、無口極まる茶髪青年でした。

どうしてこういう風貌の人が演劇を手伝いたいなどと…と思ったのをはっきりと覚えておりますが、なにをどう手伝ってもらったのかはあまり覚えておりません。淡々と重い平台などを運んでくれていたような気もします。

その後、なぜだったか、それも寺井が誘ったんだったか、劇団のミーティングにも顔を出し(と言っても当時は劇団員という概念はなく、ひとまず出演者が集まることになっていましたが)、ミーティング終了後、帰宅する途中の駅前で「演劇がやりたいです…。」という言葉を直接聞いたのでした。家路を急ぐ人たちでごった返す中、ずいぶん小さな声で、恥ずかしそうに、しかしあきらかに高揚した風で、思いの丈を述べてくれました。意外とよく喋る…と思ったものでした。

私は「じゃあやろうよ。」と答えました。今では考えられない、驚くべき安請け合いでした。

そして彼は、第2回公演『彼方の塵、クズ』に出演したのです。同作は、宇宙を舞台にしたナンセンス活劇でした。彼が演じた役はヨネオカという男で、ヨネオカは、宇宙ステーションの整備係らしいのだけど、故障もなく、やることもなく、ひたすら私が演じる上司コズミダに、「なにか仕事はないですか、やることはないですか。」とまとわりついてくる、どうにもよくわからない気味の悪い男でした。

その役が彼の主な配役だったのですが、古くからいる劇団員にとっては、もう一つ、兼ね役として演じた、地球の管制塔の管制員bの方が印象が強いようです。『彼方の塵、クズ』の冒頭シーン、宇宙に憧れる少年たちが社会科見学で訪れた宇宙管制塔。そこの管制員bとして、パントマイムで管制室のなにかを操作している芝居を、彼はしていました。台本にはbと書かれているだけで、名前はありません。もちろんもう一人、aという役がありました。

aは、石飛篤史という男が演じていました。彼もずいぶん前にブルをやめました。

そのシーンの最中、なにか大事な操作をするらしく、aとbが、なにかわけのわからぬ専門用語をいくつか交わしあいます。そして、管制員aが「PPR!ゴウ!」と言いながらレバーを押し上げるパントマイムをするのです。すると隣にいるb(馬場)が、遅れて「ゴウ!」とレバーを押し上げるパントマイムをする。それを見ていた少年たち(小島、西山、篠原)が、「かっこいいー!」と嬌声をあげる。という演技があったのでした。

わけのわからぬ言葉を言いあい、ありもしないレバーを押し上げながら、ゴウ!と叫ぶ。それが、馬場のブルドッキングヘッドロックでの、あるいは演劇人生での、最初の仕事だったのです。

ずいぶんな初仕事です。演技もなにもあったもんじゃない。少々の敬意と大部分の嘲りでもって、今でも劇団員の間で語られる馬場のデビューにまつわるエピソードです。当の本人も含め、今では笑って話せる話になっていて、まあ、良かったです。

しかし、思えば私の安請け合いが、彼をずいぶん苦悩させたのではないかと反省するところもあります。

馬場は、先にも登場した石飛という男とほぼ同時にブルドッキングヘッドロックに参加しました。そして、その石飛という男が妙な魅力を持った男で(馬場の通称が“ハイトーンブギ”なのに対し、石飛はあろうことか“容疑者”でした。)、結果、『彼方の塵、クズ』において、たとえ名も無き役であっても、石飛の方がaで、馬場はbをふられることになるのでした。次の第3回公演『青空と複雑』でも、石飛の方に比較的露出の多い、観客の覚えのいい役が行く傾向がありました。稽古場で見ている共演者の笑いを引き起こすのも石飛でした。たまたま最初の役がコンビだったからか、彼らはよく比べられていたような気がします。いや、私が比べていただけかもしれません。

さらに、同じ公演に、その頃はまだバリバリのバンドマンでスキンヘッドだった西山宏幸、ライブに精力的に出演していたお笑いコンビの村田賢嗣と稲垣禎巳、宮沢章夫さんの演出を受けていて衣装にも強い高橋哉子、私と大学時代からの付き合いがあって共通言語の多い関家麻紀子、流山児事務所と掛け持ちで籍を置いていたダンスの得意な矢野裕美(当時)らが初めて参加してくれました。どの人も観客の前に立った経験がありましたし、よそで磨いた、演技以外の個性的な技能を持っていました。ちなみに石飛も、駆け出しでしたが映像作品に精力的に出演していたようでした。

まったく未経験だったのは馬場だけでした。

実は馬場は『青空と複雑』の終盤で、とても魅力的な、スマート先輩という役を演じ、ゆえにその後は徐々に作品にとって重要な役を得るようになって行くのですが、しかしどうも関わりたての頃は、不遇だったのではないかと思わずにいられません。

なぜなら私が、彼のことをよくわかっていなかったからです。本当にすまない。よくわかっていませんでした。

安請け合いしたのは私です。彼がどういう人なのか、よくわかりもせず板の上にあげてしまいました。白状します。当時の私には、馬場を活かす決定的なアイディアがありませんでした。

だけど馬場という男は、誰よりも真面目で誠実な男でした。どうすればこの集団で存在感を示せるのか、どうすれば私の作品に貢献できるのか、黙々と、例えば酔った勢いで私に直接アピールするなんてバカなことをすることなく、ただただ与えられた仕事の中で、悩み、苦しみました(勝手な想像ですが)。

そして時が経って2007年夏、第13回公演『不確かな怪物』で、馬場はブルドッキングヘッドロックでの初主演を果たします。

DVDにもなっている作品なので多くは語りませんが、その役も、気味の悪い男の役でした。親兄弟たちの前では膝を抱え黙っているばかりの男が、部屋で一人、怪物の様相を呈していく、という話です。主人公ですし、慎重に決めるべく何人かの候補を検討しましたが、ほどなく馬場に決まりました。いや、彼に決めさせられた、と言っていいのかもしれません。

デビューから6年もかけて、彼は、私が彼に出会って最初に託した“どうにもよくわからない気味の悪い男”という役柄と、その役に必要な演技のアイディアを大事に温め、稽古場でのオーディションのような状況をくぐり抜け、私に作品を一本書かせ、観客をおおいなる微笑とおおいなる混乱の世界に引きずり込んだのでした。

彼は、ひたすら黙々と課題に挑み、そっと乗り越えていたのです。

気づけば石飛はブルをやめていました。今では連絡も取れません。村田も稲垣も高橋もやめました。矢野と関家は違う道を選びました。西山はある日突然我らの主宰に生まれ変わり今もって抜群に健在ですが、馬場はというと、劇的に変化することはなく、地道に着実に、だけど劇団になくてはならない存在へと変貌して行きました。

それが馬場だと思います。馬場はそういう男です。

今でも馬場とまともに話す機会は多くありません。退団の意向を知り、「ちょっと話そうか。」と私が誘って居酒屋で交わしたのが、後にも先にも、初めての二人きりの酒だったと思います。真面目な演劇の話だって、あの日、駅前の喧噪の中で「演劇をやりたい。」「じゃあやろう。」と交わして以来かもしれません。二人きりでは。

二人で酒を飲んだ日、「もう少し早くこういう話をしてたらなんか違ってましたかね…。」と馬場は笑って呟きました。

私はその問いにうまく答えられませんでした。

すまない。僕はいつだってなにもわかっていないんだ。すまない。

役者をやってる人なら誰だって悩み苦しむ問題があります。それを自らがなにかしらの方法で乗り越えなければ、役者を続けていくことはできません。そして続けていかなければ、名を成すことも、充分な報酬を得ることもできません。馬場がどういう理由でやめて行くのか、具体的なことをここで話すつもりはありませんが、彼はやはり黙々と、役者としての自分に悩み苦しんでいたのです。

黙々と考えた末に、彼は役者をやめるという道を選びました。

やはりそういう男でした。

おそらく…、私は思います。私と早く話していたとしても、やはり同じ答えが出ていたのではないかと。馬場という男は、自分の中で精一杯悩み苦しみ、やがて、得るべき答えをちゃんと導き出す男です。私はその答えを導く触媒でしかない。

先日、西山から、劇団員とスケベの話の出演者の前で、馬場の退団が報告されました。その時の馬場の顔はとても晴れやかでした。名残を惜しみ、朝まで何人かで飲み明しましたが、その席でもとくに馬場が主役になることはありませんでした。初めて出会った頃と同じく、いや、腰ばきや茶髪はさすがに卒業したようですが、そっとその場に居続けてくれました。そういう男です。

彼は今、黙々と人生に挑んでいます。とするとですよ、とすると、きっと、きっとそっと、そーっと人生を乗り越えて行くのだと思います。

なぜなら馬場は、そういう男だからです。

これまでにも両手で足りないくらいの数の人たちがブルドッキングヘッドロックから去って行きました。一番最近では2010年に三科喜代という超個性派女優がやめていきました。誰かがやめるたびに、「やめてもいいさ、演劇やってりゃまたどっかで出会うよ。」と言い張って来た私です。現に今年、舞台の上で元気に活躍している三科を目撃しました。終演後、思わず彼女と抱擁したほどの感動が、そこにはありました。

しかし馬場とはもう、こっちの世界で出会うことはありません。これはとても寂しいことです。残念ですがこの度はこう思うことにします。

「生きてりゃいいさ、生きてりゃまたどっかで出会うよ。」

それじゃまるで、どっちもカツカツの崖っぷちみたいですか?どうかご安心を。案外そんなことはありません。馬場はすでにもう一つの進みたい道を歩み始めています。私も毎日を忙しくさせてもらっています。ブルドッキングヘッドロックのメンバーも、すでに迫ってくることが決まっている大きな大きな課題に向けて、虎視眈々、自らを磨いています。

馬場と同じように退団とともに演劇もやめた吉田真紀という女性がいます。彼女は今でも頻繁に公演を観に来てくれています。楽屋に彼女が現れると、メンバーの表情がパッと明るくなります。その様子を見て、これでいいんだなぁ、と思います。馬場ともそういう関係が続けばと願っています。

いや、むしろこっちがパッと明るくさせてやらねばなりますまい。今、ブルドッキングヘッドロックがあるのは、観客の声援はもちろんのことながら、やめていった彼らの無償の愛があったからに他ならないのですから。私には、いやこの劇団には、たくさんたくさん借りがあるのです。

長々と失礼しました。これでもまだ書き足りないことがあります。

彼が、その反骨心から、『スパイシージュースHOT』という作品の出演を辞退したエピソードなんてのもあって…まあ、でもそれはいいでしょう。私の外部演出作品、『リンダリンダラバーソール』で、世間的には無名ながら、出演者の誰よりも確実にイメージ通りの仕事をして見せてくれた時の感動といったら…まあそれもいいです。必然があればまた書きます。どれもどれも大切な思い出です。

きっと、他のメンバーには他のメンバーで、それぞれに馬場との深い思い出があるはずです。大切なメンバーが一人抜けますが、それを乗り越えて、次のステージへ進むブルドッキングヘッドロックを、どうぞよろしくお願いいたします。

というわけで馬場くん、本当にありがとう。そしてこれからもよろしく。未だに僕は馬場くんのことをよくわかっていません。メンバーがいつも冷やかす彼女さんとやらの顔も僕は知らない。なんでそんなにパスタ料理がうまいのかもよくわからない。客演先でどう立ち振る舞っていたのかも聞いたことがない。どこで服を買ってるのかなんてどうでもいい話もしたことがない。女好きで手が早いとメンバーにあることないことヤイヤイ言われながらも実際のところはどうだったのか問い詰めたことがない。でも、わからないからこそ、たくさん、僕一人の力では到底書けない役柄を書かせていただきました。キミのおかげです。他の誰でもない、キミだったからこそ書けた本がここに、ここにあります。紛れもない、役者、馬場泰範の手柄です。

悪いけどこれからも、よくわからないくらいの案配でいかせてもらいます。その方が、この先にまだまだ楽しみがあるように思うので。僕の気づかないところでどうか真摯に軽やかに馬場くんらしく人生を謳歌してください。で、気づいた時にまた再び、僕を驚かせていただけたら、こんな素晴らしいことはないではありませんか。大きな声で申し上げます。


馬場に幸あれ!


最後に。ババ、ババ、連呼すると、それだけでなんか愉快です。『バババレンタイ』というよくわからない物販の企画とか、『ババマン』なんていうよくわからない映像作品もありました。本人の名前がそのまま劇団の企画になる人もあまりいないのではないでしょうか、よくわからないけど。これはたいしたもんです。

よし…。ではまた!

2012年6月 6日 00:30

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コメント

ちょうど昨日馬場さんが退団したことを知ったのですが…とても急で正直すごくショックでした。。

オンラインでよくTシャツをおしゃれに着こなしていたのが印象的な馬場さん。
謎が多くて、よく女の子を襲う役が多い馬場さん。
テンションが高めで周りを明るくしてくれる役の馬場さん。
もう見れないと思うととても残念ですが、私の中でも、みんなの中でも、もちろんブルの中でも輝いていて、愛されていた役者さんだと思います。

新たな一歩を踏み出した馬場さんを、これからも変わらず応援してゆきます!


…馬場さん宛のコメントになってしまいました(笑)

投稿者 まぁ : 2012年6月 6日 22:14

まぁさんへ。それが一番嬉しいコメントです。ありがとうございます。

投稿者 キヤス : 2012年6月 6日 22:20

馬場さんの歩む道が、ワクワクで、楽しくて、輝かしいものでありますように。
ですね\(゜ロ\)(/ロ゜)/

投稿者 ひなた : 2012年6月 8日 22:28

ひなたさん、ありがとうございます。

投稿者 キヤス : 2012年6月 9日 11:33

キヤスさん、素晴らしい出会いでしたね。
キヤスさんと関わった全ての人々に、
そして、ブルの全ての皆様に、
幸多からんことを願って止みません.

投稿者 もうり : 2012年6月12日 03:49

もうりさん、ありがとうございます。

投稿者 キヤス : 2012年6月14日 11:25

次に進みたい道があっての退団でしたら、寂しいケド、笑顔で背中押してあげられますね
元気で頑張って欲しいですね
(*^_^*)


私も踊り手として何か作品に出させて頂けた時に「あなただから良かった」と思ってもらえたら幸せだなぁ


喜安さんの親心的な面を感じる事が出来て、なんだか ほっこりしました
(*´∀`*)

投稿者 ともみ : 2012年6月21日 00:41

未だに喜安さんの舞台を実際に見れた事が無いから
何も言えないんですが、
舞台をしている皆さんがいつもかっこいいと思ってます。
どんな気味の悪い枠な役でも、私にはすんごくかっこ良く見えます。
いつも感動して、物語の世界がうらやましく感じます。
だからどんな場所でも、絶対カッコいいに違いない
喜安さんの文章をみてるとそう感じれました。退却

投稿者 真優 : 2012年6月28日 00:41

こんばんは。
久しぶりに、コメント書きます。

5月から6月中旬まで、入院していまして。
全く、HPを見ていませんでした。
ので。トップページにあった「馬場泰範の退団のお知らせ」で知ったのは、本当に最近なのですが…

正直、ショックで残念な気持ちはありますが…
喜安さんのブログ拝見して、素直に馬場っちって、やっぱりカッコいいなぁ。ファンで良かったなぁ。
これからも、馬場っちの人生が素晴らしくあればいいなぁ。
と、応援せずにはいられない!です。
(なので、こんな遅れてコメント書いてますが(汗))

もしも、馬場っちがこれを見てくれたなら、
「お互いに頑張っていこうね!」
って伝えたいです。
役者・馬場泰範が大好きでした!
公演後にお話してくれる、優しい馬場っちも大好きでした!

ありがとう。

喜安さんも、ありがとうございましたm(_ _)m
これからも、ブルを応援し続けます!!
また春に元気にお会いしたいです♪

投稿者 チエ : 2012年7月29日 00:28

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