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ところで

太宰以外のことも書かないと、なんだこのブログは、太宰さんのブログか、と勘違いされてしまいそうなので、久しぶりにここ最近のことを書き留めておく。


1月のブログに書いた通り、吸収する作業を行っている。太宰を読むのもまあその一環だ。さらにここ最近では、「劇団鹿殺し」さん、「FUKAIPRODUCE 羽衣」さん、「はえぎわ」さんと、立て続けに小劇場観劇に勤しんでいる。


それぞれの劇団さんに誰かしら関係者がいて、だから全く先入観無しに、とはいかないのだが、それでもここ最近なぜか疎遠になっていたり、公演自体は初見だったり、そういう公演ばかりが続いたので、刺激になってありがたい。


くしくも、三劇団とも劇中で歌を歌っていた。そうなると、劇中で歌を歌うことについて考えざるをえない。私も、ここ最近こそそういう仕掛けを頻繁に施してはいないが、かつては毎公演劇中で歌を歌ってもらっていたことがある。一番最近では「女々しくて」か。


演劇の中で歌を歌うことの意味について考えなければならない。だって、ただ歌が歌いたいなら、演劇なんてやってないで、バンドでも組んで、ライブハウスに出演すればいいのだ。どうぞ演劇畑から出て行ってください。競争相手が減れば楽というものです。


演劇という媒体の中で歌を歌うからには、ライブハウスでバンドが演奏するのとは、違うなにかをはらんでいるべきだろうと、今の私は考える。


それぞれの劇団さんが、歌を歌う意味について、真摯に取り組んでいる印象があった。それでもしっくり来ない場合もあった。なんだろうかと考えれば、やはり曲よりも詞であろうと思う。詞が届くか届かないか、そこが重要で、だって演劇の場合、曲に乗せて体を揺すり、フォウ!とか言えないのだ、たいていの場合。てことはメロディがどうであれじっくり聞かざるをえず、そうなると、詞のリズムやその意図、言葉の持つ力、役者個々の持つ声ヂカラを意識してしまうのだ。


曲のノリはよくても聞き取れないのではしかたがない、あるいはメロディにはめただけではこっちは納得しない、と敢えて言う。


いずれ私もまた劇中歌を導入するだろう。その時に自分がどういう心境で、劇中歌というものをどうとらえているかは正直わからないが、少なくとも今は、丁寧に思考を巡らせて、劇中歌を劇中歌たらしめようと考える。


そんな事を考えました。考えさせていただいて感謝です。


じゃ、太宰に戻ります。

2010年2月 5日 00:00

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コメント

喜安さんおはようございます。
久しぶりに近況報告が出て太宰色に染まりつつあった喜安さんが戻ってきて少しホッとしています。歌のことは舞台のバリエーションが広がっていいと思います。
舞台楽しみにしています。
頑張ってください。

投稿者 ごろう : 2010年2月 5日 09:08

日々吸収しようと努力なさっているんですね。
頑張ってくださいね。
応援しています!
劇中歌については、演劇にはあまり詳しくない一観客として私が感じるのは、楽しめる時と訳がわからないなぁと思う時、はっきりどちらかにわかれる事が多いかもしれません。
何はともあれ、観劇してあれは面白い、つまらないなど、言えるって幸せなことだなぁと思います。
見る側は気楽なもんですね。

投稿者 りか : 2010年2月 5日 11:16

知ってる劇団さんがあって、テンションがあがりました☆
歌って、響くと意味もなく泣けます!
前にそんな舞台を見たことがあったんですけど、良い物だなぁと思いました。

投稿者 あひる : 2010年2月 5日 11:47

東京さむい!!


青山円形劇場いってみたいなあ…

投稿者 まちださん : 2010年2月 5日 21:53

私も明日、劇団鹿殺しさんを観に行くので、
私なりに劇中歌の意味を感じてこれればと思います。

投稿者 かこ : 2010年2月 5日 23:41

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