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かれこれ10年近くになる
どうやら最近のBBSはAPTでもちきりのようだ。
APTはアプトと読みます。端的に言うと、私が大学時代に在籍していた演劇サークルのことです。入ったのが10年前?9年か。
何故AとPとTなのか。私が在籍していた当時、諸説飛び交っておりましたが、まあ、なんつうか「あんぽんたん」の略だということだ。劇団あんぽんたん。
まったく、大学生の考えることって・・・。
しかし、アプトなくして私の演劇人生はありえないわけで、もう良かったんだかなんなんだかですよ。先輩。
さすがに今、当時のビデオを見ますとこれはもう、どうしてくれようかと言った有り様で、いや、先輩方ではなくて私ね、私の芝居。まったくもって恥ずかしい限りなのですが、今の私が、ビデオの中で飛び跳ねている私より成長しているのかと考えるといささか疑問もあり、じゃあ今やってることもけっこう恥ずかしいことになるわけで、なにやってんだって感じです。9年も10年もやっといて。せんぱーい。
むしろプリミティブな強さを感じ、昔のビデオ見てね。で、それは羨ましかったりもする。「あれほど恐れ知らずになれるかしら?」と自分に聞けば、「いや、それは、無理っしょ」となる。むうううう。
何も昔と同じことができることがいいことだとは思わない。むしろ今も同じことしかしてないとなると、これはもう問題だ。芝居なんてやめた方がいいだろう。ただ、思い出し、新たなエッセンスとして吸収できるものはあるかもしれない、とは思った。時として後ろを振り返る作業は必要、とも思うし。時としてね、時として。
で、「パンクの園」だ。「パンク」というワードは、私に演劇でやっていくと決ましめた(そんな言い方ないかもしれんが)ワードで、なにも恐れない悪ガキな響きは今でも私のスピリットとして息づいている、と思っているのですが、しかしはたしてオレはほんとに悪ガキでいられてるだろうか?という問いにオレ自身が答えるためにつけたタイトルです。
恐れ知らずでいるにはあまりにも私はいろんなことを知ってしまったかもしれない。へこんだことも数知れず。やめてやる!と思い泣いた夜もあったようななかったような、だ。だが、なにも知らないやつが恐れ知らずなのは、まあ、当たり前なわけで、知っててなお立ち向かう気持ちを失わないなら、その時、今よりもっと皆さんに胸を張って作品をお見せできるかもしれない。
パンク(役立たず)なやつらのパンク(くだらない)な芝居なのである。ちと観念的でアレだが。あえて言うなら青春群像激。じゃない、劇。この世界には無い、まったく別の世界の日本の、とある町の、現在を描きます。だからSF的でもあるわね。
ただ、チラシでもうたっているのだが、パンクパンク言うからってバンドやるわけではない。トゲトゲな服を着るわけでもない。モノも壊さないし火も吹かない。(火はちょっと違うか?)私は性根が悪くて意地悪です。知能犯で確信犯です。私なりの解釈でパンクやらせていただくので、ほんと気をつけないとコロッとやられちゃうからね。
不親切な芝居を書いてるのはわかってる。ただそこに皆さんの入り込む余地があると考えている。1から10まで全部教えてくれる芝居は、えー、他で観てくれ。「大回転」、「塵、クズ」、「夏休み」、「青空」、「ゆっくり」と、毎回違うことを探しながら作っているわけだが、根底には必ず大事ななにかがある。あるが、それが皆さんにとって大事かどうかと言ったらそんなもん私には分からん。代わりにそれぞれの方がそれぞれの方なりに楽しんでいただけるようにいろんな余白を残している、のだ、と思って、やってんだ、よ、ねえーん。・・・なんか散らかってきたな。話が。だから、えーと、ま、そんなかんじ。がんばるよってことです、がむばってます。せんぱーい。
そう言えば昨日の昼に書いたまぶたの件だが、また一つ分かったことがある。
こんな時間にパソコンの前でパカパカやってるからいけないのだということだ。
2002年9月 1日 03:48