コンスト対談企画 「脚本家×脚本家」 喜安浩平が、古川貴義さんに聞いてみた!後編


セリフを書く時に心がけていることはありますか?

喜安 セリフを書いてく時に心がけてることってあったりしますか?今、脚本を劇団員全員で共同創作しているもんですから、勝手にそれぞれが考え出すとキリがないと思い、ある程度、プロットのようなものを立てて、それに沿っていくように進めているんですが、すると、それに沿ったセリフばかり書きたくなっちゃうんですよ、みんな。

古川 うんうん。

喜安 そうしなくていいよ、と言葉では言えるんだけど。それって、何がどう違えば、プロット通りなのにちゃんと活きたセリフになるのか。

古川 ああ。

喜安 プロット通りなら正解なはずなのに、でもそのセリフじゃ正解じゃないんだよってセリフ、あるじゃないですか。

古川 ああ、ありますね。

喜安 なんなんですかね、セリフを書くときに気にしてることってありますか?

古川 ああ、今のお話の流れで言うと、設定を説明するような発言が出ちゃったら全部捨てます。んんー。説明台詞から逃げるっていうのがあるんですけど、えーと…。

喜安 「今我々は個室にいるんですけど」。まあそんなセリフはないんですけど、

古川 ああ、そうそう。それを書きたがるじゃないですか。僕も書きたての頃、分かりやすいようにまずそういうのを書いてたんですけど、もう恥ずかしいなって。我々普段言わないじゃないですか。だから例えば、その時に話題がなくなって、話題を探す少し気まずい沈黙があって、「…こんないい空間あったんですね」と感想として言ってもらう。それって感じたことだから、設定としてでなく、状況を説明できるかなと。設定や状況はありきで、その空間にいて思うこと、感想を言えばいいのかな、と。

喜安 なるほどね、それはなんか普段書かない人でも、納得できる説明だと思いました。そこにいる感想をまず言わせてみればいいんだね。その結果、じゃあ、「こんないい空間があったんですね」って言ったら、もう一人の人間が「壁で仕切られててね」って言って、そこが個室だとわかっていく。二人目が状況を言い表す分にはもう…

古川 説明台詞ではない。

喜安 ね。だって会話になってるから。なるほど。それはなんか非常にわかりやすい。今、いろんな脳みそが集まることで俺じゃ思いつかないアイデアが出てくるから、それ自体はいいことだなって思いつつ、やっぱり、いろいろ踏まえた分だけ、セリフにする段階になってもなにかが引っ掛かってるのかなって。結末はまだいいよ、とか、この作品の何を大事にしようか?とか、そういうことはいろいろ話していくうちにみんな理解できて、言葉にもできるんだけど、いざセリフが魅力的じゃないと、そもそも大事にしようって言ってたことすら、錆びて見えるっていうか。


魅力的なセリフとは?

古川 魅力的なセリフってどういうセリフだと思いますか?

喜安 僕はですね、僕の中では実は、セリフじゃないところにそれを感じてしまうことが多くて、あえて音にするとしたらそれは「え」なんですけど。「え」の音がいっぱいあるのがいいと思っていて。

古川 すごい、よくわかります。

喜安 その。「え」をそんなに言わせたくないから「…」にしちゃうぐらいのことがあるんですよね、だからなるべく短い音でその人の今いる位置とか感情とか、その時誰を見ているかとか想像させることができるような文字が理想です、というか魅力的なセリフです。だからなるべく短くしていきたい。

古川 で、含有量は多くしていきたい…?

喜安 そう。

古川 あの、人間って意外と喋ってないっていうか、喜安さんて昨日何時間喋ったかわかります?

喜安 わかんない、いや、俺そんなに喋ってない、あでも、昨日は比較的稽古があったから…

古川 あ、そうですね稽古があると…

喜安 稽古場で喋ったけど普段だったらほとんど喋ってないかも昨日。

古川 家でほとんど喋んないとしたら24時間のうち5、6時間も喋ってないんですよ。多くて4時間、普通だと1、2時間とからしいんですよ。ま、仕事にもよるけど。で、仮に4時間喋ってるとしても、一日の活動時間のうちの4分の1でしかない。演劇の台本には、残りの4分の3が詰まってるはずなんですよね。その4分の3が、「え」とかの一言に匂ってくるのがいいセリフで。

喜安 そう、俺、書いててふと立ち止まっちゃう時があって。リアリティで言うと、こんな喋るか?って思う時がある。自分の台本読んでても。なんかもう次々によく喋るなあって。ま、人数が増えてけば喋ってない人もいるのかもしれないけど。よく喋るなあ、って思うわけですよ。それって、「実際」と「演劇上必要だから」という事の間に、どうしても薄い乖離があるっていうか、演劇上のリアリティと日常のリアリティの間の差って、書くときに気になったりしませんか?

古川 気になります。

喜安 それって、演劇だからってことで納得する?みんな何で納得するんだろう?

古川 そこ、なんだろうな。たとえばそれが、客席からの笑いを確実に生むとか、客席がザワっとするっていうフックになるのであれば、それは日常から、スンってずれた瞬間で、きっとみんな普段感じているはずだと。それがたまたまそういう「ずらし」になったと思って自分は自分を納得させます。

喜安 うんうんうんうん。なるほどね。俺は普段から書いてるからそのことについてどっかで、「とはいえ」演劇だからって思える。でも普段書かない人と一緒に書こうとすると、どうしても人物に喋らせようとしちゃってることを感じちゃう。決めた内容があって、そこに進むためにはとりあえず台本って形にしないといけないとしたら、その人達に喋らせないといけないと思ってしまうのはしょうがないのに。それがすごい…台本を書こうって言っておきながら、セリフにしなくていいよ、って言わなきゃいけないこの矛盾、がね、なかなかうまく言葉にならない部分で。

古川 あの、若い書き手というか、書き始めて日が浅い書き手の本を読むことがあるんですけど、セリフに100入れちゃおうとしてるんですよね。全部をこのセリフ上、ト書き上で説明しようとしちゃうんですよね。さっきの一日何時間喋ってるの、ていうのと同じで、最低でも4分の1ぐらいでいいんですよ。それを4分の4にしてしまうと、つまんなーいセリフにばかりになってっていうところで。なんなら黙ったっていいんだよ話題がなくなったらって。どっちかっていうと、ストーリーを進めることよりも、じゃなぜ話題がなくなったのか、何をしたいから話題がなくなったのか、何を発言したいから話題がなくなったのか、を構築する方が脚本って早く書ける気がするんですよね。結果、魅力的なセリフが書ける気がしてて。


嬉しいのはどんな時ですか?

喜安 最近、特にそう思うんです。基本的に自分は会話劇が書きたい人だと思ってたし、ま、脚本家として認知されるようになったのも、どうやらセリフに特徴があると思われていた節があって。なので、まずは会話を面白く、って思ってた時期があったんだけど、だんだん、「え」とか「…」にしたくなっている自分がいる。ま、昔から実はそうだったんだけど、いわゆる発言というよりは、発言も含む「行動」っていうんですか?台本に行動が書きたいとやっと思えるようになってきたというか。たとえば、誰かを問い詰めるっていうのも行動じゃないですか。そのためにすげえ喋ることになったりするんだけど、重要なのは問い詰めることなので、すげえ喋るよりも、例えば会話を録音したスマホを目の前に置いた方がよっぽど問い詰めたことになるだろうし、セリフよりも、スマホを置くというたった一つのアクションの方が何かが生まれる気がする。セリフを聞くよりも、スマホをポンって置いた時の相手の目線にこそ一番のサスペンスがあるかもしれないなとか、やっと最近それが楽しいな、って。それを脚本に書くことが楽しいなって思えるようになった。

古川 楽しいですよね。脚本に書いてもそこだけじゃあ収まらないっていうか伝わらないから、役者さんに演じてもらって狙った空気が生まれた時のすがすがしさ、それ!ってなるのが楽しいですよね。

喜安 あ、聞こうと思ってたんですけど、僕が先に喋っちゃってごめんなさい(笑)、僕が最近嬉しいなって思うのは、そのシーン、その会話が、こういう「行動」の元に成り立っているんだっていうことがちゃんとイメージ出来ていて、そのことが俳優さんにも伝わって、極端な話、それを言ってる人たちの会話が、ガラス越しにやってても、その空気が伝わってくるっていう…

古川 ああ。

喜安 声は聞こえないんだけど、これはやばそう、とか。脚本にちゃんと根が生えている感じがして、言葉だけに頼ってない本になっているから、実際音声をシャットアウトしてても興味がわくし、音声も聞いてみるとなお面白いですよ、ってなるといいなっていうのが、書けたときに嬉しいんですけど。なんかこう書いてて「よし!」っていう瞬間って今までにどんな時にありましたか?書いててこれは嬉しかったっていう…。

古川 稽古場に持って行って嬉しいっていうのは、さっき喜安さんがおっしゃったみたいに、これは!っていうアクションが黙っていても見えるし、相手の返しで100%ひっくり返ったっていう時とか、バシバシはまってそれこそ、その人が言った時に、言い方、音、タイミングがバーンとはまった時が第一の嬉しさで、やっぱいいシーンになるなって。で、稽古重ねていくうちに、別にセリフいらねえじゃん、ってガラス越しでもすごいものがあるぞ、セリフ聞いたらより面白えぞって時になった時に、最初自分が書いた時の音とかタイミングとかどうでもいいですわこれ、ってなります。あなた、それもう思った通りにその表情してくれればベストです、って思った時が、演出家としてでしょうけど、第二の嬉しさです。で、それとは別に、家で書いてるだけ、あるいは外部に渡すだけの時は、わ、こんなことこいつ言った?っていうこともあって。直近だと2年ぐらい前に『もっと美人だった』て公演を打った時に、地方議員のポンコツ秘書が「僕ー、総理大臣になりたいんですよー」ってセリフをつぶやいた時に、自分で書いておきながら、わ、なんだこいつはって(笑)。稽古場持ってった時にも俳優さんも、なんなんすかこのセリフ、ってやはりなって。いや、わかんないけど言ったんだよねこの人物がって。で実際、演ってみたらおかしいから。異常事態なんだけど、言えちゃうって人物がいたら面白いな、っていうがセリフとしてパンと出てきたときは、まあ、嬉しいですね。

喜安 そういう時って、一人で書いてる時もちょっと笑っちゃったりする?

古川 笑ってる時ありますね(笑)。

喜安 俺も。たまに笑っちゃったりして、我にかえる時がある。まずいな、って。一人で書いてる人が、さっきまですげえ難しそうな顔してたのに今はちょっと笑ってるよって。

古川 (笑)

喜安 こわいよね(笑)

古川 気持ち悪いですよね(笑)。喫茶店とかで書いてて、それ出てきちゃったりすると大変ですよね。

喜安 ね。声に出しますか?書いてて。

古川 ものによりますね。ただ、できるだけその俳優さんが喋ってる口調をイメージしてその音を聞くみたいな感覚です。自分で口に出さないです。その俳優さんの口調で…。


 ご自分なりのコツはありますか?


喜安
 今、なんか書いてるんですか?

古川 書いてます。

喜安 次の劇団公演の新作?

古川 …のと、あと2つほど。

喜安 並走して?

古川 並走して。てんやわんやでございます(笑)。

喜安 それって書いてる状況としては、それぞれ違うところ?書き上がりかけ、とか山場とか中盤とか、今やっと手をつけ始めたとこだ、とか違うタイミング?

古川 それぞれ違いますね。違います。

喜安 俺もあるんだけど、そういう時って、どうやって切り替えますか?

古川 これね、ものによるんだよな、ものによるんだけど、短編とか中編とかって、まとめてガッとやった方がいい気がするので、プロットを仕上げるとこまではガーッとプロットを書く。で、仕上がったら、いったんおいておいて、違うのに取り掛かる。で、劇団公演は集中しても出てこないものもあるので、ざっくりいけるところまでプロットを仮で組んでみたり、書き始めてみたりして、それでいったん寝かしてみてっていう風にしてるんですけど、よそに書く長編が大変ですね。なかなか。

喜安 長編はね、なんか、短距離を何本も走る練習っていうか…インターバル走?間にインターバルがあってゆっくり走ってる時もあるにはあるんだけど、このコーナーにきたら否応なしにまたダーッと走らなきゃいけない、みたいな感じなのを、何周って決められずにずーっとやってるようなイメージっていうか(笑)。「ハイ走ってください」って言われたからドワーッと走って、インターバルがきて「ありがとうございます、お疲れ様です」って言ってくれるんだけど、ちょっとカーブに差し掛かると「で、ここなんですけど」って(笑)。

古川 (笑)

喜安 んんん?あ、終わんない?ってなって、またドワーッて走る感じ。

古川 (笑)。チンチンチーンて(最終周の合図が)鳴んないですよね。

喜安 そう。全然鳴らないから、また始まるんだなあって。まだマラソンみたいに同じペースで走って、ここまで辿り着けばゴールですよって言ってくれてれば、自分の力の配分が分かるんだけど。

古川 でも、そのコース決めてるの一応我々の側ですから、勝手に周ってる結果なんですよね。

喜安 うん、そうだね(笑)。

古川 その最短距離を見つけるテクニックがあればいいんですけど、なかなかね。

喜安 今、劇団公演の次回作の段階としては初期の段階ですか?

古川 脳内台本があって、浦島太郎と、水仙のナルキッソスって神様がいたのをモチーフにしてやろうと思ってるのが結構はっきりしているので、それをモチーフにした人物がムクムク育って早く喋らせろって言ってますね。ごめんね今、よそのを書いてるからちょっと待ってねって感じです。

喜安 そういう時はメモったり?

古川 はい、ストックしていきます。後であーでもないこーでもない、って。返し見して2割5分ぐらいのプロットにして、書き始める感じです。

喜安 具体的な方法として、僕は脚本を書く前の段階は、「ほぼ日」に日にちとか気にせず、とにかく前のページからずーっとメモを取っていくことをするんです。セリフはパソコンで書くんですけど、セリフ以外のことは一度手書きにするっていう方法を取ってるんですね。なんかそういう自分なりのルーティンとか作業方法ってあったりしますか?

古川 うーんと、手書きは気持ちすごい分かります。

喜安 そういうネタ帳は持ってたりしますか?

古川 えーとね、全部における脚本作業のネタ帳はなくなりました。全部パソコンに、ていうかGmailの下書きメールに、タイトルを書いて、次、第24楽章なので 「24_」ってして。それについて思いついたら本文にバーッと書いて保存してって感じです。

喜安 へえー。それを見返して。

古川 はい、見返して。後で見て、なんだこれってのもあるんですけど、そうしてます。

喜安 へえー、それインデックス的にいいね。俺のすごいアナログだからなあ。書いた日のページに書いてないから、例えば3月に考えてることなのに、メモはもう4月に行ってて。メモの方が自分の実際の時間を追い越してる時あるんですよ。俺、このこといつ考えたっけってなってます(笑)。それでかえって混乱したりする。

古川 そうですね、これ何用のメモかな?ってなりますもんね。

喜安 そう。最近は最低限、考えたことにはタイトルを入れるように、例えば「コンスト」って書いて、ブルのことを考えてる日ですよーってわかるようにしてるんですけど。考えが走り始めちゃうとペンも走り出すから、間に2、3言あれば読み返してもわかるのに、もう今の俺では読み解けないスピードで書かれてるから…

古川 思考が飛びすぎてる。

喜安 そう、思考が。ベストな方法がまだない。

古川 煮詰まった時にわりと手書きにいってみたりすることはありますね、台本書いてきてある程度できた時、この後、どうなるのこの人たち?って思う時、あ、やべわかんないわかんないってなった時に、いったんそこまで刷ったものを、バーッと読み返して、あ、この人はこうなるなとか、こう言うなって、そうなるとこういうやりとりになるな、っていうのがパソコンよりは手書きスピードの方が、自分のスピード?に近いのか追い越していくのか…。パソコンで書いてるとそれがわりとフラットな状態になっちゃうから、楽なんだけど、どうしてものらない時ってあったりするから、それを手書きにしてみるとのったりして、そうか!って気づくこともあります。

喜安 初めて書いた台本ってもうパソコンだった?

古川 手書きでした。キャンパスのノートに縦書きで手書きで。

喜安 俺も最初は手書きだったんですけれども、それっていくつの時ですか?

古川 じゅう…17かな

喜安 若っ!

古川 高校演劇です。

喜安 あ、高校演劇か。いいっすね、その時と、当たり前だけど、違うじゃないですか?速度も違えば、当然喋りの速度も違うし。

古川 違いますね。

喜安 その人が喋る温度も違うじゃないですか?

古川 違いますね。

喜安 過程に手書きの要素を残しておきたいのは、入り口がそうだったからなのかなって。もう、ほんとその頃は演出なんてわからなかったから、大きい声で喋って欲しいセリフは字も大きいみたいな。「おりゃあ!!」ってセリフがすげーでかかったりして、もう中学生の落書きみたいなかんじ。

古川 まくし立てるときはすごいギュって。字間が詰まってたりして、ありますね、そういう感覚って。

喜安 いまだに煮詰まった時のコツってなんかあんまわかんなくて、結局どのパターンを試してみても煮詰まるときは煮詰まるなって。自分内統計学としては、メモに立ち帰れなくなった時ほど煮詰まってんだな、っていうのが分かってきたんですけどね傾向として。そんだけ余裕がないんだなって。

古川 (笑)

喜安 同じ煮詰まっていても、パソコンを閉じて「ふう」って一息ついて、メモ帳開いて一回書き出せてる時は

意外とまだ大丈夫なんだなって。なるべく手書きに戻るっていうのを心がけてるんですけど。みんなどっかに負荷を抱えてると思うんですけど、前に福原允則さんが、腰が痛いからスタンドデスク、立って書ける机、家にも自前のスタンドデスクがあるって言ってて。ずっと立って書いてんの?ってすごいね、って(笑)。みんな書き続けるために試行錯誤してるんだな、って。

古川 あ、場所変えますね。書く場所。

喜安 ああ、なに?この場所もう書けないな、って思ったら河岸を変えるかみたいな。

古川 喫茶店で書くか家で書くか。だいたいファミレスとかで書いてるんですけど。ファミレスで書いててうーんとなって、家に帰れば何かあるかもって帰ってみたりするんだけど、家だとネットニュースとか見て無駄な時間を浪費するな、とか思って、あ、これはある種煮詰まってる状態だって思ってドトール行ってみたりとかしますね。


古川さんの次回公演は?

喜安 次の公演はどんな…

古川 『インテリぶる世界』ってタイトルでやるんですけど。みんな知識人になっちゃって、でテレビに出てる評論家とかをこいつの言うことはあてになんないよね、こいつのここはいいけどこういうところは間違ってるよねって、論理的にこう、論評する、一般大衆が…それってなんだと。自分にも少なからずそういうところはあるし。フェイスブックやツイッターでもそういうやり取りをみんなするし。それってどこに向かってるんだろうと。で、ぶっ叩いて土下座した人を逮捕にまで持ってったりとか私刑も流行ってるし。今、それが何処に行くのか知りたくてしょうがない。そういう時代、世界に生きてる私たちの感覚ってなんなんだろう、そこをどうやって空気として見られるのかなって考えたらナルキッソスと浦島太郎だったっていうところにつながるんですけど。

喜安 そこに繋がるの?えー、一番最初のお話に戻ると、そろそろシチュエーションも見えてる状態ですか?

古川 ええ。グループでアート活動してた人たちが、20代の人たちが20年ぐらいたって40になってみたら、リーダー以外の人はそこから離れていってしまっている。そういう状況で、リーダーがまたなんか活動しようとしている時に戻ってくる人もいれば戻ってきて文句だけ言う人もいたり、それに家族とかも変な知恵をつけちゃっているから、そんなことやっても…って言ってきたりする、そういうアーティスト集団を舞台にしてやろうと思ってます。

喜安 それだけ聞いたらね、もう書けそうな気しかしないよね。

二人 (笑)

喜安 俺が劇団員だったら、ああ古川さん書けるんすね、って(笑)。ここからいろんな紆余曲折がね。

古川 血ヘド吐きながら書くんだと思うんですけど。

二人 (笑)

古川 全然変わるかもしれませんしね。

喜安 今、うちも最初に言ってたことと全然違うことになってるチームもあって、まあ行けるだけって行ってみろって思ってるんですけど。

古川 楽しみですね。

喜安 今日は本当にありがとうございました!

(文責:深澤千有紀)


ゲストプロフィール

◇古川貴義(箱庭円舞曲 脚本・演出)
1980年生まれ。

日大芸術学部在学中の2000年「箱庭円舞曲」を旗揚げ。
代表として、全ての作品の脚本・演出を務める。
人間は、あまねく勝手に生きている。それ故に孤独であり、いつも誰かと食い違う。
そんな、極めて日常的な人間関係を細微に描くリアリズムと、そこに漂うズレたコミュニケーションの可笑しみ、そして脳内を抉られるような感覚が人気を博している。

◇箱庭円舞曲第第二十四楽章『インテリぶる世界』-in terrible people-

2017年5月10日(水)~2017年5月17日(水) @下北沢ザ・スズナリ

http://hakoniwa-e.com/


【コンスト】ワークインプログレス『下見』のお知らせ
2017年4月4日、4月5日にイベントを開催いたします。

各チームの通し稽古と、演出喜安による修正作業をご覧いただけます。1200円で飲み物付き。1チームだけの観劇も歓迎します。お気軽にご参加ください。

4月4日(火)
13:00【その25】/16:00【その38】/19:00【その41】
4月5日(水)
12:00【その38】/15:00【その41】/18:00【その25】

出演:コンスト出演者、喜安浩平
会場:絵空箱(有楽町線江戸川橋駅徒歩2分/東西線神楽坂駅 徒歩9分)
チケット料金:各回1,200円(1ドリンク付きです。)
リピート割:500円※ドリンクは付きません(別途ご注文可)

イベント上演時間は、各回約2時間を予定しています。
開場は開演の15分前です。

詳細・ご予約→http://www.bull-japan.com/stage/108/
(『下見』をお選びください)

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ブルドッキングヘッドロック Extra number

コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション
~108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について~

2017年4月16日(日)~22日(土)
全12ステージ
@下北沢 小劇場B1