年を越す前に

正式なタイトルを決め、オカイさんにご連絡を差し上げたのが、2016年12月31日、午前3時。メールの履歴がそうなっています。いい迷惑ですね。

 

というわけで年を越したいところですが、少し時間を遡り、今回は12月20日とその前後のお話です。

 

この日、劇団員が勢ぞろいし、前作『バカシティ』の決算報告が行われました。決算報告は、出演していてもいなくても、全員受けることが原則です。だから今回で言えば、西山や篠原など、『バカシティ』に出演していなかった面々も揃い、それはそれは見た目だけは随分賑やかに、決算の内容を確認します。

 

皆さんご承知のように、劇団はさほど儲かるものではありません。なので、仮に儲かったとしてもたかが知れております。そんなにはしゃぐことはありません。逆に儲からなかったら、当然はしゃぐことはありません。

 

はしゃぐことがあるとするなら、決算報告を終え、最初に次回公演に想いを馳せる時くらいです。

 

ここでさらに少し遡ります。11月29日。年賀状撮影と、5人の準劇団員が正劇団員になって初の劇団員との対面のため、全員で集まりました。

 

その場で劇団員に、『コンスト』(この時点ではタイトル未定でした)のおぼろげな構想を伝えました。劇団員を年代別に分け、それぞれのチームで1時間程度の新作を作る。という企画はどうかという程度です。皆、神妙に聞いていました。

 

それから約一ヶ月、12月20日まで、『バカシティ』の残務処理や、12月中旬に3回に分けて開催させていただいた『喜安浩平とおかしみワークショップ』などにかまけ、劇団員と共有を深める時間を作れずにいました。

 

そしてその間に、私は私が伝えた構想がまだ脆弱であると思い始め、揺れておりました。そこで20日、私は劇団員に、これはこれでいいのかね?と投げかけたのです。

 

それから1時間くらいの、劇団員の(特に西山や篠原のような脳みその質感が私とは異なるおじさんたちの)、ざっくばらんで豊かな提案は、私を大いに勇気づけてくれました。

 

総じて、オムニバスという形式に対する不安があるようでした。逆に、そういう形式にすることで普段足を運ばないお客様にもご覧いただけるのでは?と、前向きに捉える劇団員もいないわけではありませんでした。私の抱える揺れと同じものでした。

 

企画を立ち上げる時、私はできることならオムニバスという形式にしたくない、と考えます。私はナイロン100℃の劇団員でもあります。所属しておきながら恐縮ですが、ナイロンの『偶然の悪夢』という作品が本当に素晴らしく、私は大好きで、今でも時折、客席から眺めていたその光景を思い起こすほどなのですが(私は出演していませんでした)、あの作品などは、ある意味、オムニバスのような形式をとっています。幾つかの小作が蓄積して『偶然の悪夢』を形成する。その集積自体が魅力的で、また、一つ一つの作品の奇妙な緊張感に(青山円形劇場でした)、囲む観客が皆、そっと息をひそめる感じがたまりませんでした。

 

それくらいやらないといけない。

 

と思っているのかもしれません。それくらいやらないと、どうも【番外編】のような気安さを与えてしまう。ナイロン100℃はその後も何度か、形式的にはオムニバスととれなくもない作品を上演しています。そういった時には、普段やれないことをやるというケラさんの野心が、キャスト以外にも振付、音楽、衣装など、様々なところに、それはもう潤沢に反映されています。やはり、それくらいやらないといけないということなのでしょう。

 

正直に申し上げると、次作で、「オムニバスをやるならこれくらいやらないといけないレベル」のものをやれるイメージはありませんでした。それは、もう一つ正直に言えば、お金がないからです。「お金がない状態でやるためのオムニバス」になってしまう気がしました。それは楽しくないと思いました。それよりも私には、地方遠征や再演に耐え得る、何度も繰り返し挑める作品作りに興味がありました。なのにオムニバスをやろうとしている?

 

その私の矛盾を、劇団員は、責めるわけではなく、別の視点から解きほぐそうとしてくれます。あるいは、前回のタイトルの時と同様、“もっと”について考えてくれます。

 

3チームとも同じ脚本にして、世代だけ分け、出来上がりを比較してもらうのはどうか、という案も出ました。日替わりゲストを招聘してはどうか、という案も。一方、劇団員だけの作品を見てみたいと熱めに主張したのは、入団から3年を経過した浦嶋建太でした。

 

「世代別」というのが、観客にはイメージしづらいのでは?という意見もありました。出演者が何人でも上演出来る作品にする、というのは西山の案ですが、今こうやって文章にしてみて、なんだそれどういうことだ?と思います。本人も、言ったかどうか覚えていないかもしれません。

 

上演予定の12ステージで、毎回異なる12の作品を上演する。12本の連続ドラマのように上演する。などという無茶な案も出ました。ついうっかり、「1時間の話を12本か。ドラマ1クール分………いけるか」などと、なにかが麻痺して、麻痺した答えを返す私がいたりもしました。みんな真剣ですが、真剣が故にそこにおかしみがあります。劇団員の親御さんがその様子を見ていたら、心配になったかもしれません。こいつら、どこへ向かっているんだと。

 

確かに不毛な話し合いのようでもあります。しかし、一足で答えに辿り着ける我々ではない以上、不毛なアイディアについても、いちいち向き合ってみないといけない。わからないから。わからないのです。わかるために、わからないことについて考える、その時間が、私には大変ありがたいものでした。

 

で、結局、みんなのアイディアが採用されることはありませんでした(笑)。

 

採用はされませんでしたが、私が思う、今回の企画イメージを、最後まで押し通すだけの勇気をもらうことができました。劇団は本当にありがたい。劇団でなければ、できないことがあります。私が、劇団以外のところで、脚本業、声優業、俳優業、様々な活動をさせていただいているのも、劇団という土台があればこそです。

 

12月25日、プレゼントの代わりに劇団員にメールを送りつけてやりました。ちなみに同日、劇団員に送った別件のメールの最初の挨拶文が、

「夜分メリークリスまです。」

となっていたことに、今、資料を遡っていて気づきました。台無しですが、あの頃の私はおかまいなしです。

 

そのメールに、20日の劇団員の意見提案に対する返事の断片を載せました。以下の箇条書きがそれです(多少抜粋、文字修正などしています)。

 

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先日以降、作家の方で考えたこと、企画の端緒をお伝えいたします。

・オムニバス(のような形式)は、あくまで手段。

・再演や、キャストの入れ替えなどにも耐えうる、強度のある作品の開発、が目的。

(その目的すら、劇団の経済的な発展と継続という大きな目的のための手段ですが)

・劇団員の露出の増加、若手の台頭などは、あくまで内部的テーマであって、現時点ではそれらが最善の宣伝文句にはならない。

・「作品開発」そのものを観客に披露し、楽しんでもらうことはできないか?

・先行イベント、脚本のウェブ公開、ワークインプログレス(公開稽古)、公演中の脚本修正と公開、公演中のフィードバックの様子を公開(内覧会)、千秋楽明けの日曜日にアフターイベント開催、さっそく再演計画を策定など、、、これらを、可能な限り、有料で。(我々が消耗してはいけません)

・企画の目的を適度に明らかにした上で、その過程を観客に、また、クリエイティブに興味のある方に覗いていただく。然るべき機会を作り、意見をいただき、それを作品に反映させる。

・従来の、「完成品を見せ感想をいただく公演」ではなく、「完成していく様子そのものを見せていく」という考え。ある種のドキュメンタリーだが、勿論、我々がやる以上、それ自体がちゃんと娯楽的でなければならない。

というようなことを考えています。主宰としての考えは今日のMTGで見つけていきます。

よろしくお願いします。

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……以上のように劇団員に伝え、もともとあったプラン通り、年代別にチーム分けをして、年末、各チームとの最初の打ち合わせに入ったのでした。オカイさんに正式タイトルを連絡する前のことです。

 

ここから怒涛の日々が始まります。

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ブルドッキングヘッドロック Extra number

コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション
~108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について~

2017年4月16日(日)~22日(土)
全12ステージ
@下北沢 小劇場B1