『とける』出演者名鑑

篠原トオル

篠原トオル

「私とあの先生」

私が中学生の時である。


その学校の美術教師が、なんというか『絵に描いたような美術教師』であった。

孤高の人、とでも言おうか。ドラマやスクリーンに出てきそうな教師なのである。若かりし私は一発で憧れてしまった。なにしろこんな先生見たことない!とビックリして嬉しくなって、家に帰って飛び跳ねまわっていたのを覚えている。なんとも無邪気な私ではないか。


他の教師と接している姿は一度も見たことはない。アンチ。何かにたいしていつもアンチな姿勢。はみ出しもの。一匹狼。はぐれ教師J・J・派。etc…。
いつも一人で教室の窓から空を眺めているイメージ…。すげえ!すげえかっこいいぞい、先生!


ってまあ、私の『憧れフィルター』によって完全に美化されちまってるイメージなんだろうけど、なにしろいよいよもって素敵な『孤高先生』だったのである。


見た目はといえば、あまりパッとしなかった。むしろ冴えなかった。だらしない風貌。身だしなみもよろしくない。教師としてやる気があるのかないのかでいえば、きっとないのであろう。そんな素行。ちゃらんぽらんな言動。教師らしからぬインモラルなギャグ。その自由度。いやはや、グッとくるのである。どうにもこうにもコレ、しびれまくりなのである。個人的に。


美術の時間は生徒に好きなように描かせ、その間、教室の後ろのロッカーの上で昼寝をする…。
今思えば、かなり問題があったんじゃないか?ってかんじの授業放棄っぷり。最高である。我々はおしゃべりしながら描いたり休憩したり、一人で黙々と描いてみたりして、その時間を過ごす。そのころ『孤高先生』は完全に熟睡状態だ。大いなるいびき声。幸せそうにあお向けで寝るその無防備なスタイルは、『スヌーピー』を彷彿とさせた。


だが、先生の本領はこの後だ。この『孤高先生』が、目覚めたあと少しだけ鋭い目をするから、またかっこいいのである。


それは、生徒の作品を評価する時だ。先生は、鋭い眼差しでじっくりと作品に向き合い、ポツリポツリと「ここがいい」と言う。今思えば、『寝起きだったから』かもしれないが、ともかくもいいと思うところをポツリポツリと述べるのだ。決してどの作品にも「もっとこうしたらいい」とは言わない。必ずいいところを見つける。そして褒める。同級生がみて「どうしようもないだろう」的な作品も、間違いなく褒める。すべてを全力で褒める。ありきたりのことは言わず「ここがこうだからすごい」と言って心から褒めるのだ。


ある同級生は絵が大の苦手だったが、ある日私に「実は最近、描くのがそんなに苦じゃない」とこっそり言った。


先生のスタンスはずっと変わらなかった。今思えばすごい、と思う。


先生の言葉に、今でも忘れられない言葉がある。
「空を青に塗らなくてもいい。ピンクに見えたらピンク色に塗ってもいい。自分の好きなように塗れ」
である。
私たちはポカーンとしてしまった。空は青だと決まっていた。固定観念というやつだ。しかし言われてみれば、空だってよく見たら青じゃないのかもしれないぞ。薄い緑かもしれない…。紫なのかもしれないね。

私たちは物事を、自分の目で見てなかったのかもしれない…。


ざわ…


教室は間違いなくざわついていた。


ざわ…


そして、その後に続いた先生の一言は


「おやすみーぃ」だった。


次の瞬間、先生はロッカーの上でスヌーピーになられたのである。思えばそれが初スヌーピーだった。


あれから数年後。
私自身も、教師になろうとし、そして挫折した。
さらにその数年後、舞台の上で美術教師を演じている。舞台の教室の窓からあの時の先生のように、ぼんやりと外を眺めている。不思議だよ、先生。


先生はご健在だろうか。どうしてらっしゃるだろうか。


私の心は今でも、その先生へのリスペクト具合といったら、当時のまんまなのである。