コンスト対談企画 「脚本家×脚本家」 喜安浩平が、古川貴義さんに聞いてみた!前編

箱庭円舞曲、作・演出・主宰の古川貴義さんに脚本を書くことにまつわる様々なお話をききました。ブルの劇団員も箱庭さんには時々出させていただくことがありますが、作劇についてお話をするのは初めてです。


喜安 お答えいただける範疇で。

古川 はい。僕もむしろこれ僕がききたいなってことがいっぱいで。

二人 笑

喜安 正直、今回の企画(※コンストのこと)は普段よりも、作家さんに、どうやって書いてます?ときき易い企画というか。

古川 そうですよね、劇団員が書いてるんですもんね。

喜安 劇団員と僕で。今はまだ、僕はディテールを修正するぐらいで、ベースは劇団員が書いてくれてるんですけど。なので今回はうちの劇団員も含め、なぜか台本を書かなきゃいけなくなった人達に、勇気を与えられるような対談になればいいなっていうか(笑)

古川 なるほど勇気を(笑)

喜安 なるほどこうすればいいんだとかとか、なるほどそういう事かっていうようなヒントになればいいな、と。

古川 書き方、たぶんかぶってるなって部分もあれば、全然違うなってとこもありますよね。

喜安 うんきっとね、人様の作品に出る時もさすがに、どうやって書いてるんですかってきくことないし、きけたとしても俳優と作家の間では、ここまでしかきけないってラインがあるじゃないですか。なんかそういうのをひょいっと脱け出してきけたらいいなと。

古川 いくらでもむき出しにしますよ(笑)

喜安 ありがとうございます。あの古川君がいつも書くのってオリジナル…

古川 自分の劇団では、オリジナルです。


最初に決めることは何ですか?

喜安 我々も今、ゼロからオリジナルの作品を作ろうとしてるんですけど、オリジナルの新作を作るときに何からスタートするんですか?

古川 ああ、ほんとの根っこのところでいうと、違和感ですね。日常生活とか誰かとのやりとりの中で、うん?今なんかズレたよな?てところを。みんなそれをスルーっと流していくところをメモっておいて、それが例えば美容室で感じたことなら、美容室の芝居やりたいな、って場所の設定して、その違和感に名前を付けるとしたらなんだろう、タイトルつけるとしたらなんだろ、と。それとは別に、タイトルとしてピンとくるワードがいくつかあって、こんなタイトルいいな、という引き出しにいくつか溜まっていて。そういう、違和感の引き出しとタイトルの引き出しがあって、それが一致した時にこれ作品にしよう!って感じで提出するって感じです。

喜安 やっぱりタイトル重要ですよね。

古川 タイトル大事ですね。

喜安 僕は、アマチュアの方に脚本の書き方をお話しする機会がたまにあって、そういう時に何から書きますかって問われることがあるんですが、何となく皆さん、テーマを決めて、プロットを書いて、とかって期待されてるような雰囲気があるんですけど、僕もやっぱり最初にタイトルなんです。生まれてすぐつけるのが名前であるみたいに。

古川 生まれてどう育つか分からないけどタイトルつけてみて…こうなったみたいな(笑)

喜安 そう。あと、さっき教えていただいたことで興味深かったのは、我々は演劇をつくっているので、そこがやはり重要なのかなって思ってるんですけど、シチュエーションって早い段階で先に決まっているもんですか? さっきで言うと、美容室っていう入れ物が重要だったりするんですか?

古川 そうですね、どういう場所で生きてるかっていうことによって、その人物が何に問題意識をもってたりどういうやりとりするって自然と決まってくるな、と思っているので。これを言いたいっていう人物を先に決めてしまうと、それを言うための場所を後から用意しなければならない、それってあまりうまくいかなくて失敗することが多いので。逆に環境を先に作ることが多いです。

喜安 なんでそれをうかがったかっていうと、今劇団員が作っているものにもちょっとその傾向があるんですが、「これを書こう」と決めてしまうと失敗しがちじゃないですか?

古川 うん

喜安 あれってなんなんだろう。脚本というのは、「書こうとしたもの」のためにあるんじゃないんだなって。なんなんだろうね、あの失敗しがちっていうのは。

古川 あぁ、これは設計者と詩人の違いじゃないかと。喜安さんも設計者側だと思うんですけど、舞台として建ち上げて、そこで生身の人間が呼吸してやりとりして中におかしみや嘆きが出てきたりっていうのが楽しいんじゃないかと。ところが、詩人の劇作家だと、書いて満足なんですよね。「ああこんなに劇的なセリフが書けた」では満足できちゃう。そこが大きな違いなんじゃないかと思いますね。

喜安 なるほどね、逆に言うと、そこに俳優とかスタッフワークとか、このクリエイティブに関わっている人たちをイメージできてないから言葉だけになっちゃう、っていうことなんですかね。

古川 おそらく。そういう人って設定とかってどうでもいいんでしょうね。自分の思いとか書きたいことを好きに書くから、関係性とか場所とかにバンバン矛盾出てくるし。そういう脚本たまに見かけて「ふざけんな」って思ったりもします(笑)


失敗したなって思った時は?

喜安 たとえば、こうしちゃって失敗したなっていうか、上手くいかなかったって経験はあったりしますか?

古川 あります。

喜安 どういう時に?さしつかえない範囲で。

古川 えーと、一時期、神待ちしてたんですよ(笑)。

喜安 ああ(笑)。降りてくるのをね、ありますあります。

古川 脚本の神様が降りてくるのを。それが、震災直後かな。3.11があった後、5月に公演を予定してたんですけど、それまで書き進めていた脚本もプロットもこんなもんじゃダメだって、全部捨てたんです。もう一回組みなおしてプロットを立てて書いてたら、だんだん登場人物たちが「そっちじゃない、俺こっち行きたいんだ」ってそれぞれの意思表示をし始めて、自分で書いてはいるんですけど、「え、そっち行くの?」ってなって。思いもよらぬ方向にいってラストシーンが出来上がって、あれ書きあがった、え書きあがったの?ってよく分からない感じになったんです。多分その時初めて神が降りたってことだと思って。それをその後2、3回の公演で、よし待ってみようって。神来いって。でもなかなか降りてきてくださらず(笑)。あ、ひょっとして、あの時プロットを捨てたから神が降りてきてくれたのかもしれない、と、設定だけ残してプロットを無しにしてみたり。

喜安 降りてきたときと同じ手順で(笑)

古川 ってやったら、これが全然書けなくて、書き上がったものもよくわかんないしな、上演してもお客さんポカンとしてるしな、っていうのが一番の失敗ですね。

喜安 それは本人の中の状態が明らかに違ったんですかね。

古川 ああ。それはあるでしょうね。

喜安 なんかすげえわかるなそれ。

古川 あります?そういうの。

喜安 うまくいったイメージ、記憶をトレースしたくなる、っていう部分で共感するんですけど。前に書いた時は、ある要素を決めたら途端に風穴があいた気がして物語もぐっーと動き出したから、きっとこれを決めたらうまくいくんだろうという自分なりのデータの集積があって、また同じ手順を踏もうとするんだけど、でもまだその要素があんまり他の要素と紐づいてなくて、むしろ扱うモチーフによってはまったく紐づかなかったり、登場するキャラクターによっては全然そんなことを決めなくても動くのに、そういうのを考えて設定したばっかりに逆に窮屈になったりっていう…。

古川 それに縛られちゃうっていう…。

喜安 うん、あの時上手くいったものと今扱っているものがどう違っているか、構造的に全部理解してて同じことをやってる分にはいいんだけど、単純に、パンパン(柏手)お願いします、ってやってることに近いというか、毎朝神棚に手を合わせるのと同じような意味で、これから手をつけた方がいいに違いないって思って、安心しようとしてる時はある。

古川 脚本上の、ここで事件を起こしてみたいな?

喜安 うんうん。僕はそうですね、ざっくり3分の1ずつに刻むんですけど、その3分の1目安のところに何を置くかとか。

古川 ああ

喜安 とくに最初の3分の1を重視してるんですけど、それをあんまり先回りしすぎると、さっきのお話みたいに、人物がそこに行こうとしてくれない時があって。考えていたプランと、登場人物に置いたちょっとした設定とがうまく嚙み合ってないことに気づかない時とかあって、なんか全然目安まで辿りつかないし、行こうとすればするほどそいつが面白くなくなっていくってことがある。


結末はどのように決めますか?

喜安 僕は、ちょっとずつ稽古場に脚本を持っていくタイプなので、毎日リミットがある。そのリミットに対して自分が大らかに構えられれば、ある日ごそっと内容を変えることもできるんですけど、そのリミットに対して自分が緊張感を持ちすぎている時は、とにかく前に進めなきゃって。脚本の歯車が狂っている部分が何処なのか探る事よりも、まずは形として稽古場に持っていって、後になってもっと大変なことになって、結局大きな修正をしなきゃいけなくなるってことは、若い頃はよくありました。

古川 ありますね。僕も劇団公演の時はちょっとずつ持っていくんですけど、気まずいなって思うことも…。途中までベテランの客演さんが必死こいて覚えてくださったのを、後から「ごめんなさい、差し替えさせてください」とかままありまして。それってでも、話ちょっと飛びますけど、徐々に持っていくときって、例えば稽古場行くの遅れたりするじゃないですか。

喜安 遅れます遅れます。

古川 そういう時の心境って(笑)。僕はもういたたまれないんですけど、そういう時の気持ちってどういう?

喜安 遅れること自体よりは、それで持ってったものがどうかの方が結構…それが面白ければ説得できる気がしてる。遅れるに足りうる成果はあったぞっていう。それが、自分の中で、今日はとにかくなんとなくって時は、やっぱり非常に申し訳なくなるっていうか、稽古に専念できる状態になるまで時間がかかる。まず一回、今日は演出家!演出家!って。とにかく今は、あるものから脚本にフィードバックできる何かを拾おうと頭を切り替えるまでにちょっと時間がかかるっていう。

古川 はぁー、すごい共感します。

喜安 そういうのを経て、なにしろ書き上げないといけないじゃないですか。結末はどの時点で決まるんですか?

古川 えーと、あの、この人の希望なり絶望なりを見たいなって思うある主人公が、書きながらここに行くなって見える時がありまして・・・、だから、書き始めてからですね。最初にこの結末にしようって思って書くとつまんないっていうか。最初に決めちゃうと、そこにどういうレールで行くのかを選ぶしかなくなるので。でも100%決めないで20%ぐらいでおいといて、そこに行くかもな、くらいに思ってたら、全然違うところに出ちゃうってことがあって、楽しいんですよね。もちろん最初に想定していたところに辿り着くこともあるんですけど、それが想定もしなかったルートだったりとか。だから、あんまり明確に決めないことが多いですね。

喜安 言葉は悪いかもしれないですけど、結末って、つまりは僕もそうなんですけど、成り行きみたいなところがあって。だから批判されるときには、結末がよく分かりませんでしたという言葉をいただくことが多いんですけど、でもそれは甘んじて受け入れるしかないなと思ってるんですね。この人たちは「ここ」に行ってしまったんだから。そして実は僕の中で、「そこ」じゃない所に確信があったっていうか、結末以外の所に「確信」があることも多いんですけど。それが伝わってないことをこそ反省しないといけない。そもそも、その脚本を作るときに何を重視します?仮に結末じゃないとしたら。

古川 生きてるかどうかですかね

喜安 人物が。

古川 うん。先日、鐘下辰男さんのワークショップをお手伝いすることがあって、そこで衝撃を受けたのが、台本って、戯曲って結果なんだと。ああ、確かに、と思いまして。そこに生きてる人たちがいて、そこでたまたまそれを言って、その言った結果、取った行動を言葉を文字起こしした物が台本だって考えたら、例えば誰かの長台詞の間、相手役は黙ってるけど、それは黙っていざるを得なかった結果があるはずで。おっしゃる通りだと思っで、我々脚本家が先に、ストーリーという結果を置いてしまうと、みんながそこに行くしかない。でも僕は、登場人物一人一人がどうしたい、こうしたいという意思があって、それらがたまたまぶつかる時間が舞台上にある、それこそが面白いと思うんです。意志がぶつかりあっていくために、登場人物が生きていれば、面白い結果になっていく。ラストシーンがどうか、とか結論は何だったとかじゃなくて、いかに生きていかに死ぬか、立ち向かうか、逃げるか。だから、いかに生きるかが一番大事ですね。

喜安 一方で演出家としては、お客さんと俳優さんの間を繋いでいかないといけないじゃないですか。そうなった時に、つまり登場人物が生きていった結果、自分内作家が自分内演出家にこういう風になるはずだよって言ってたのと違うことになることだってあるじゃないですか。そういう時は俳優とはどういう対話をしていくんですか?これはそういうものだからと脚本を渡すことで伝えていくんですかね。それとも、その都度変わっていくイメージを説明したりディスカッションしたりするんですか?

古川 えーと、ディスカッションしますね。するんですけれど、まずはこの脚本を読み解いてみようというのが多いですね。脚本て…文字って限界があるじゃないですか。たとえば同じ「おはようございます」にも色んな言い方、色んなニュアンスがあって、でもそこまで台本に書けないじゃないですか。カッコト書きで「(サクッと)」とか「(丁寧に)」とか書いてもそれにも限界があって、そういうところを、これはどういうニュアンスでどういう音だろね、っていうのは相談したり稽古で積んでいったりするのが稽古の第一段階です。それで、こうね、こうなってこうなって、こういう意志を持ってやりとりしてたのね、ていうのがはっきりした後に、全部忘れてみようと。改めて生きなおしてみましょうとやると、どんどん変化しいていくしそれを楽しめる。その時は100%演出家モードになれるかなと思います。

喜安 じゃあ最初の導入部分から、俺はこういうつもりで書いたんだっていうよりは、脚本に対して中立な立場で稽古に入る感じなんですか?

古川 これ、役者さんの自主性をどう担保するかを考えた時に、もちろん脚本家としての自分の答えは用意してるんですけど、それを役者さんが自発的に見つけてくれた時に、「そう!それだと思うんだよね僕も」って言えると、役者さんも「ですよね!」と嬉しくなってくれるので、そういう意味での答え合わせを一緒に楽しむことはありますね。


煮詰まった時どうしますか?

喜安 俳優さんに書かされちゃうみたいな感覚はありますか?

古川 ありますね。

喜安 普段うちは、僕が脚本を書きおろして、それを俳優である劇団員に渡して、というのを繰り返す感じで、作品についてディスカッションすることが多くないと思うんです。台本がきた瞬間に、ある程度分業が始まるっていうか。でも、派手な変化ではないんですけど、昔いたメンツは今はもうほとんどいなくて、若い人の割合が多くなってきていて、その人達と一緒に作品を作るためにはディスカッションも必要だなって。つまり、作品に対して同じ距離感で話をしないと、共有できないなって時があって。ただ、正直歴然と経験が違うので、俺の書いた本について語り合おうよと言ってもやっぱり無理がある。だからかなり乱暴な施術として、今回はお前らも書けっていう…。

古川 (笑)。今回の企画はそういうことだったんですね?

喜安 一つにはあるんです。いろいろある中の一つとして。俺と同じだけこの本について語ってみろってことなんですよね。で、もちろん、僕はいくつか書いてきた人間なので、多少なりとも書く人の脳みそが備わっているから、実はまだよく分かんなくても、感じたことを喋っていくうちに脚本が構築されてくことがある。でも、普段書いてない人はそんなこと分かるわけないから、そんな人たちでもアプローチする方法はないか、って試行錯誤しているところです。逆に劇団員からこの脚本は……、とかいうアンサーがあったり、古川君が煮詰まった時に劇団員に相談したり、そういう脚本を介した関係性はあったりするんですか?

古川 今の二人(辻沢綾香さん、白勢未生さん)に限らず、前に所属してた連中とかと書きあがる前に、稽古帰りに、ちょっと煮詰まって、今日はみんなと話したい、って飲みに行って「この本はなんなんだろうね」ってぶっちゃけて聞いてしまったりとかはあります。その時に俺はこう思う、私はこうなんじゃないか、っていうのを言ってもらって、正解は出さず持ち帰って自分のヒントにしたりっていう経験はありますね。

喜安 外部に書き下ろすときはどうするんですか?完全に書き終わって現場に持って行く感じですか。

古川 そうですね。

喜安 そこで例えば、演出家さんやプロデューサーさんと書きながらディスカッションしていくなんてことはあるんですか?

古川 プロットの段階ではよくありますね。プロットで出して、あーでもないこーでもないってやって、それで決着がついたら、書きます、ってことになります。決着がつかなかったら、とりあえず全部書かせてください、書いているうちに見えてくることもありますんで、って書いて出してっていう。

喜安 偉いなあ!ちゃんとプロット段階があるのか。それって劇団の時も一回プロットにするんですか?

古川 仮で。

喜安 変わるかもしんないけど、とかそういうことですか?

古川 そうですね。でも外部の時はダメですね、怒られるから(笑)。

喜安 偉い(笑)。俺、初めて映画の脚本を書いた『桐島、部活やめるってよ』で、「プロット書けないんですけど」って言ったら「いいですよ」って言って下さったので、最初からプロットではなく脚本で渡しちゃったんですよ。しかも全部書けたわけじゃなくて、柱だけがあって、こんなシーンがある、ってイメージだけが書いてある状態で。苦手なところは全部苦手なまま、っていう。そんな残念な脚本から始まってるんですけど、それについてずいぶん辛抱強く皆さんが付き合って下さったというのがあったから…、

古川 それについて話しながら…仕上がった?

喜安 そうです。その後は、やはりいろいろなタイプの方と出会ってきたから、この方と対話するには、もうちょっと文面になってた方がいいんだな、とか思うようになったんだけど、なにしろ本当に今も、仕事しながら勉強もしながらなので、なんだかすごい、すっごい(笑)なんて言うんだろう、素人みてえだな、って思う時があって。自分の言い草とかね、書けないことについての。本当にね、もうやんなっちゃう時がある。

古川 でも、脚本の世界って、演劇以外にも映画だったりドラマだったりいろいろあって、そこに行けば行ったら行ったでいろんな形がある。いろんなやり方があるし、そしてまたそこにいる人達とのやり方があって、その都度、勉強だなって思うんですよね。この人と仕事を上手く進めるにはこういうのが必要で、とか。で、そういうので地獄を見た経験も多分おありなんですよね?「もう本当に泣くな俺」っていう経験とかありますよね。

喜安 もう本当に。なんだろう、もう廃人…もうドクターストップですよっていう状態で、一応会議には座っているという(笑)。

古川 会議に行く電車に乗るか、ホームから一歩踏み出すかっていう…。

喜安 でもそれで、書き上げるコツは何ですか?なんてことを僕聞かれたことがありまして…。その時に答えたのが、その日書けてなくても、打ち合わせには行くって。

古川 はあはあはあ(笑)

喜安 書き上げるには、要は脚本って結果だっていう、先ほどきいたことに似てるんですけど、僕の表現であると同時に、誰かにとっての手がかりであったり、いろんな人の思いや考えが集積していった結果が完成台本です、ってことだから。抱えすぎてもよくないな、って。出来るまで頑張りますって言って良かったことがないですね。そっち行って良かったことがない。

古川 はあはあはあ。

喜安 逆に「ダメです」って。

古川 さらして?

喜安 ここと、ここと、ここが分かってないです、て言ってしまう。

古川 あぁ。やりたいな、それ。

喜安 僕はどの現場でもかなり、最初に期待されてるよりは、「こいつもしかしてポンコツか?」って思われてると思うんだけど。理屈上こうなった方がいいのはわかるんだけど、そこに辿り着きません…って。

古川 それは例えば人物がなぜその発言をするのか、って?原作ものだったりしたら?

喜安 うん。あるいはもう、その前の打ち合わせで「こうしましょう」っていうコンセンサスが取れて、その時は自分もなるほど、って思って帰る。でも実際人物を動かしてみたら、全然自分の中にその要素がない。

古川 はい(笑)

喜安 全然わかりました、じゃなかった、って。ん?!ってなって、「わかってなかったです」ってもう一回もって行くっていう。

古川 はあはあ。

喜安 全然行かないんですよここに、って言っちゃう。

古川 それ位さらせると良いなあ…。

喜安 僕はやはり脳みそが、入り口が俳優だったもんですから、その文法があんまりロジカルじゃなくても、脚本にした時に自分の体をすんなり通る分には、人を説得できる気がするし、いける雰囲気が本にも乗るんです。けど、完全に頭の方だけで考えちゃうと、だいたい動かなくなるっていうか。だから打ち合わせの現場にいる時の僕は、ある角度から見たら、ちょっと面倒くさい女優さんみたいな(笑)。

古川 ははは!

喜安 この人こんなこと言わないと思う、私こんなこと言えない、みたいなことを俺は言ってるのかもしれない。定点カメラで撮ると、この人女優さんみたいだな、って(笑)。

古川 いますからね、そういう人(笑)。

喜安 イメージの中に必ずいるじゃないですか、そういう女優さん。本当にそんな人いるのか?って思うけど、いるとしたらここにいたっていう(笑)。

古川 でもその問いって、最近あながち間違いじゃないのかもなって思うんです。「こんなこと言わないと思う」って、それ言っちゃ役者としてお終えよって思いながら、じゃあそれを取っ掛かりに、何で言うのか一緒に考えましょうよって。その方がプラスの転換ができると思うんで、喜安さんがその脚本会議なり打ち合わせなりで、わかんないんですよね、って言っていても、パンってそこが開けると、そここそが多分面白のポイントになるんですよきっと。

喜安 正直、自分がそう言われると、作品を良くするために考えているのか、ただその人を納得させるために考えているのか、目的が一瞬よくわからなくなる時はあって。

古川 はい。

喜安 多分、自分の中でロジックを積み重ねるうちに、だんだんと、この人に分かったって言わせたいだけになってるな、って。

古川 うん(笑)

喜安 自分がわかってない時に、周りの方が言って下さる言葉の中にも、どうしてもそういうところはある。だから最終的に、わかったことというのは、自分を納得させる、あるいはこの場を納得させる言葉についてなのか、それとも、本当に作品の重要な何かのための風穴だったのかを見極めないといけないんだなって。

古川 うんうん。

喜安 わかったって言って帰ってきて、わかんなかった時って往々にして、納得させられただけだったんだな、って。

古川 自分の体に落ちてない状態。

後半に続く

(文責:深澤千有紀)


ゲストプロフィール

◇古川貴義(箱庭円舞曲 脚本・演出)
1980年生まれ。

日大芸術学部在学中の2000年「箱庭円舞曲」を旗揚げ。
代表として、全ての作品の脚本・演出を務める。
人間は、あまねく勝手に生きている。それ故に孤独であり、いつも誰かと食い違う。
そんな、極めて日常的な人間関係を細微に描くリアリズムと、そこに漂うズレたコミュニケーションの可笑しみ、そして脳内を抉られるような感覚が人気を博している。

 ◇箱庭円舞曲第第二十四楽章『インテリぶる世界』-in terrible people-

2017年5月10日(水)~2017年5月17日(水) @下北沢ザ・スズナリ

http://hakoniwa-e.com/


 

【コンスト】ワークインプログレス『下見』のお知らせ
2017年4月4日、4月5日にイベントを開催いたします。
各チームの通し稽古と、演出喜安による修正作業をご覧いただけます。1200円で飲み物付き。1チームだけの観劇も歓迎します。お気軽にご参加ください。

4月4日(火)
13:00【その25】/16:00【その38】/19:00【その41】
4月5日(水)
12:00【その38】/15:00【その41】/18:00【その25】

出演:コンスト出演者、喜安浩平
会場:絵空箱(有楽町線江戸川橋駅徒歩2分/東西線神楽坂駅 徒歩9分)
チケット料金:各回1,200円(1ドリンク付きです。)
リピート割:500円※ドリンクは付きません(別途ご注文可)
イベント上演時間は、各回約2時間を予定しています。
開場は開演の15分前です。

詳細・ご予約→http://www.bull-japan.com/stage/108/
(『下見』をお選びください)

  1. […] た。 観劇が好きなかたにも、脚本家を目指すかたにも、幅広く読んでいただきたい対談です。 前編と後編があります。第二弾も予定しているので、今後もお楽しみにしていてください。 […]

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ブルドッキングヘッドロック Extra number

コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション
~108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について~

2017年4月16日(日)~22日(土)
全12ステージ
@下北沢 小劇場B1