その41
2017年3月14日
「飼いたい」と解体
どうもご無沙汰しております。
解体の悲しみに打ち震えております、「その41」の篠原です。
本日、「その41」はものの見事に解体いたしました。正確に言いますと、第三幕の『ロッジにて』が解体いたしました。自分にとって、それはもう解体も解体。大解体でした。
我々は脚本を喜安、篠原で分担して建設しておりました。喜安が冒頭からの「一幕」「二幕」、私が上演時間の半分以上を占める「三幕」を担当し、それぞれが執筆を進めておりました。
全てのプロットを固め、私は三幕のシナリオを30p、ひとまず書き終えました。自分でいうのもなんですが、それはなかなか目をみはるスピードでした。ひとまずの完本予定の三日前の話です。
三幕では冒頭、拾った「狼かもしれない犬」が失踪し、大人たちが捜索する、そしてラストでそれを拾った男が見つけ、飼うことを決意。結果、自分が向き合わなくてはならない『親』と向き合う。という流れでした。ですがここで、書いて出来上がったシナリオを見て、皆がふと、描きたい焦点のズレを感じたのでした。
拾った犬はロマンの象徴。それはつまりロマンの喪失です。そして犬は狼ではなく犬であり、しかし主人公はそれを取り戻した。それを原動力にして主人公に変化が生まれる。というプロット。いざ形にしてみれば、描きたいはずの人物よりも、起こる出来事にとらわれるだけの脆弱な話に見えてしまったのです。つまり、要素が多すぎたのです。
そこで、要素を減らすために「犬がいなくなる」ことをやめる、という、ひっくり返す提案がなされました。僕以外の二人からです。私は戦いました。それは書いたものとしての本能的なものだったかもしれません。書いた時はそれは信念に等しいものですから。しかし、得てしてそういうものはいい作品作りの阻害につながります。しかし、やはり捨てきれませんでした。「いや、いなくなることに意味があるんだ」と。ロマンの喪失、そう『ロマンの喪失論争』です。
しかし、結果は敗れました。何しろ自分でも感じていた、『この上演時間内で人物にもっとフォーカスを当てるためには、大きな要素の何かを犠牲にしなければならない』があったからです。それは、書いた私も大いに感じていたからでした。
正直私も人間ですから、「なんだよ皆で作り上げたプロットにのっとって書いたものなのに!ひでえこと言いやがる!」「もっと詰めてから書いてれば!」という黒い何かが一瞬頭をよぎりました。ドキュメンタリーとしては相当いい感じの流れです。
しかし、シナリオを書く現場ではこんなこと珍しくありません。共同執筆なら尚更です。個人的にも、映画ユニット『三箇日』で共同脚本を経験した時に(その時も三人でした)、嫌という程二人に叩かれ、「じゃあお前らが書けよ!」と思うこともありました。しかし、結果そのことで、自分でも納得のいく完成の形を見たことを覚えていました。その経験は、今回にも大いに反映されていると思います。
長々となりましたが、とにかく新たな土台づくりから再建築していく所存です。正直今は目がグラングランしますが、どうかどうか劇場にて、皆様が面白いと思える作品になっているかどうかご確認いただけますよう。
よろしくね。
(動画は、解体を宣告された時の私です。グラングランしております。)
(記録:篠原トオル)
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ブルドッキングヘッドロック Extra number
コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション
~108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について~
2017年4月16日(日)~22日(土)
全12ステージ
@下北沢 小劇場B1